シビルエンジニヤリング

2009年12月11日 (金)

ハイデガーの「投企」が始まるか!

8月15日のブログで申し上げたように、
http://iwai-kuniomi.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-7864.html
風景には、「現実の風景」と「風土に根ざした風景」と「精霊に根ざした風景」があるというのが私の考えだ。盆栽や箱庭などの縮景や見立ては、実際に見えるものの奥に、それよりさらに意味のあるものを感じ取ろうとするものである。「現実の風景」から「風土に根ざした風景」を感じ取る。これは文化の問題であるが、さらに「現実の風景」から「精霊に根ざした風景」というか「古層の神」を感じ取ることができれば、ハイデガーのいう「投企」が始まるかもしれない。もしそうなれば、そこから新たに自分を捉えなおし、新たな生き方を始めることができる。これはもう単なる文化を超えた問題である。風景と景観、風景と風土、風景と精霊、これらの問題は極めて大事な問題である。 
さて、「神と自然の景観論」(野本寛一、2006年7月、講談社)という文庫本がある。原本は、1990年11月に書かれた「神々の風景、信仰環境論の試み」(白水社)であるがなかなかの名著であると思う。そのなかで、野本寛一は次のように言っている。すなわち、
『 「神々の風景」は総じて変貌が著しい。それは衰微・荒廃してきているといって間違いない。その変貌と衰微は日本人の「神」の衰微であり、日本人の「心」の反映にほかならない。すべての環境問題の起点はここにある。自然のなかに神を見、その自然と謙虚に対座し、自然の恵みに感謝するという日本人の自然観・民族モラルが揺らぎ、衰えてきているのである。』・・・・と。

 かく彼の言っていることについてはよくよく考えねばなるまい。景観問題を矮小化してはならないのである。そうなのだ。「現実の風景」から「精霊に根ざした風景」というか「古層の神」を感じ取ることができれば、ハイデガーのいう「投企」が始まるかもしれない。もしそうなれば、そこから新たに自分を捉えなおし、新たな生き方を始めることができる。
私は、ジオパークにおいて、「スピリット」や「空(くう)」もさることながら、プラトンの「コーラ」という哲学概念が地域リーダーに充分理解されなければならないと考えている。専門家の行う専門的な語りと仲介者の行うわかりやすい語り、この二つの語りが重要である。この二つの語りがあってはじめて、田舎を元気にすると同時に都会の若者を元気にすることができる。かかる観点から、私は、ジオパークなくして、今の若者に生き甲斐を与えることはできないと考えているし、宗教の近代化もなし得ないと考えている。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/maramyo07.html

私の風景論は、「風土」とか「コーラ」とか「ジオパーク」とかを意識したものである。「精霊」というか「古層の神」のことも随分気になっている。若者なり子供たちの将来が心配なのだ。「歴史と伝統文化」を勉強しているうちに、多分、ハイデガーのいう「投企」が私の心の中で始まっているのだろう。
「古層の神」・「妙見さん」のことをいずれ書きたいと思っているが、とりあえず、景観論はここで終えて、「現在の心配」を書いていきたい。今いちばん気になっているのは、政治問題である。鳩山総理に限らず、国会議員は勉強不足で、肝心かなめの議論がなされていない。自民党も・・・である。マスコミの軽薄さは言うに及ばない。

私の「景観論」の目次は次のとおりである。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/keikan00.html

2009年11月26日 (木)

景観哲学

 今私は、オギュスタン・ベルクの「風土学序説」を手がかりに、私なりの景観哲学を語っている。ところで、景観と風景はどう違うか? また、景色とか風光という言葉もよく使われるが、それらは風景はどう違うのか? 言葉の使い方としては、「田舎の風景」とか「都市景観」という言葉がよく使われ、「田舎の景観」とか「都市風景」という言葉は一般的に使わない。それは何故か? まず、それらの点をはっきりさせた上で、つまり風景というものを感覚的にしっかり把握していただいた上で、景観哲学で今私が何を問題にしようとしているか、それを説明したい。
 広辞苑によれば、
景色とは、山水などのおもむき。ながめ。風景。
風光とは、景色。ながめ。風景。
風景とは、1けしき、風向。2その場の情景・・・とある。そして、情景は感興とけしきであり、感興は興味を感じることと説明されている。
景観とは、1風景外観。けしき。ながめ。2自然と人間界のこととが入り交じっている現実のさま。
・・・とある。これを見る限り、風景と景色と風光とは、まあ同じようなもので、そこに風土的な「おもむき」があるといってよい。景観は風景の外観的な側面をいっており、風土的な「おもむき」はない。
 オギュスタン・ベルクは、「風土学序説」のなかで、「風景は風土(エクメーネ)の展開である。」・・・と言っている。 そしてまた、景観については「自然科学の視点から、環境の形態を考察して、この対象を<景観>と呼ぶことができる。」・・・と言っている。
 ところで、私は前に、『 風土は、広義には人間のすまいとしての「エクメーネ」であり、狭義には社会の空間と自然に対する関係としての「ミリュウ」である。それぞれに多くの要素が絡み合って、華厳の世界といって良いかもしれないが、複雑な関係が出来上がっている。その関係が風土のおもむきをつくっている。歴史的なおもむき、自然的なおもむきである。 』・・・と述べたが、かかる観点から、オギュスタン・ベルクの言い方を私流の言い方に言い替えよう。
 「風景には風土のおもむきがあり、景観には風土のおもむきがない。」・・・・これで景観と風景の違いが感覚的にはっきりしたのではないか。 オギュスタン・ベルクは、景観について「自然科学の視点から、環境の形態を考察して、この対象を<景観>と呼ぶことができる。」・・・と言っているが、<景観>は、景観の形態を考察するとは言うものの、それは自然科学の視点からのものであり、風土学の観点からのものではない。技術は自然科学であるが、私たちの建設技術によって自然は破壊され都市は造られていく。そこにモニュメントなど芸術家の関与もあるかもしれないが、それは建設技術者の造形の中でのことだ。都市建設の責任者、都市における造形の責任者は建設技術者である。最近は竹林征三君によって「風土工学」という新しい学問分野も育ち始めているが、プラトンの「コーラ」やオギュスタン・ベルクの風土学を十分意識してどのように景観問題と取り組むのか、そこが問題で、そういう問題意識から私は、今、私なりの「景観哲学」を語っている。間違いも多かろうと思うが、気のついた時点でそれは訂正するとして、ともかく実践活動を始めようと思う。歩きながら考えるという訳だ。
 その際のキーワードは、「風土的なおもむき」、すなわち「歴史的なおもむき」と「自然的なおもむき」である。このキーワードを常に念頭に置いて、おもむきのある風景を極力残し、人工的とはいえ意味(サンス、期待)のある景観が造られるように働きかけていきたい。

2009年11月10日 (火)

自然のあり方

 私は先ほど、
『 先ほどは、トポスとコーラの語源的な違いを述べたのだが、それらを哲学的に鍛え上げて行った結果、今では、哲学的な概念がそれなりに確立している訳で、当初の語源とは違ってきているかもしれない。当初の語源的なイメージでは、コーラが都市に対立したものとしての田舎というイメージであったとしても、哲学的な概念のもとでは、コーラを都市に対立するものとしての田舎に限定して理解するわけにはいかないだろう。都市にコーラがあっても良い。すなわち、都市における田舎があっても良い。私は田舎的都市というものを考えている。都市が「人々の生にかかわる場所」でなければ都市は都市たり得ない。都市的田舎と田舎的都市があってもいいではないか。』・・・と述べ、
『 プラトンの「コーラ」は、その場所がある特定の存在にかかわるものであるか、その所有物であることを示したりそれに帰属することを現しているが、今ここで大事なことは、そう言う「コーラ」といいうる場所は自然であり人工ではないということだ。典型的な都市は「コーラ」がない。田舎的都市には多少の「コーラ」がある。純粋自然というか原生林などの人工的なてのまったく入っていない原自然には「コーラ」はない。「コーラ」として哲学的に意味のある場所は私たちの生活域で普通に見る自然であり単に自然と呼ぶものである。田舎、それは都市的田舎という意味だが、そういう田舎と田舎的都市、これらがプラトンのいう「コーラ」であり、そこには、前に述べた歴史的な向き(おもむき)のほか、自然的な向き(おもむき)があるのである。これを大切にしなければならない。』・・・と述べた。

 ところで、自然のあり方は、この田舎と都市的田舎と田舎的都市における「風土性」つまり風土の「おもむき」によって決まってくるものであり、「おもむき」というものが重要になって来る。オギュスタン・ベルクは、「風土学序説」の第1章第1節 で次のような極めて難解な文章を書いている。すなわち、
『 かくして歴史と物理的な拡がりである場所を貫いて、意味は旅を続ける。だからこそ、物理的な拡がりには相対的な価値しかないのだ。これを名指す言葉にも相対的な価値しかないのだ。しかし現実においては、言葉と拡がりの関係ははっきりしていて、疑いを招かない 。どの島でも、この小さな宇宙において、コーラは風景のうちに象眼され、比類のない独自の役割を果たしている。そして世界、この小さな島、人々が生き、他のことはなにも知ろうとしないこの場所にも、同じことが言えるのだ。』・・・と。
 「意味は旅を続ける」とは何のことでしょうか? オギュスタン・ベルクは、私たち日本人にはなじみにくい「意味(サンス)」という言葉を使う。オギュスタン・ベルクの風土論を理解するには、この「意味(サンス)」という言葉がしっかり理解されていなければならないので、前に述べたことではあるが、もういちどここに掲げておく。
 風土性という言葉自体、フランス語には存在しない。オギュスタン・ベルクは風土性の概念を補足するために、仏語でsens、日本語で「おもむき」ということばを用いている。そして彼は『日本の風土性』(1995)の 中で、「風土性」というものを「ある社会のそれを取り巻く環境との関係の <おもむき>(方向性)である」と定義した。「風土としての地球」(著者オギュスタン・ベルク、訳者三宅京子、1994年3月、筑摩書房)の訳注には次のように書かれている。すなわち、
『 Ⅳ部のタイトルになっている「向き」はフランス語ではorient、一般的な語義では「東」という意味だが、著者はこの語に「方位」と「期待(東=日の出の方向)」という二重の意味を込めており、それをあらわすために著者の希望に従い「向き」とした。著者によればこの「向き」は風土の「おもむき」に通じるという。』・・・・と。
 すなわち、「風土性」というものは・・・、それは 三宅京子によれば 仏語でsens(サンス)、日本語で「おもむき」と考えていただければ良いのだが、オギュスタン・ベルクが「風土性」というものを「ある社会のそれを取り巻く環境との関係の <おもむき>(方向性)である」と定義しているように、ある方向性を持って出来上がって行く。それは、三宅京子の解説にあるように「期待」の持てる方向である。つまり、風土性(意味、サンス、おもむき)というものはある期待を持てる方向に変化して行く。歴史のなせる業だといってしまえばそれまでだが、風土論では、「コーラ」の力なのである。人々の生活域に、オギュスタン・ベルクのいう「意味作用」が働いて、「風土性(意味、サンス、おもむき)」というものは期待の持てる方向に変化して行くのである。風土性というのはそういうものらしい。
 その「意味作用」は、その場所の場所性(歴史性とトポス性)によって千差万別である。風土性を大事にしている限り、世界は多様性社会に動いて行くのである。私たちは、「意味作用」を見間違わないように、 その場所の場所性(歴史性とトポス性)を見間違わないように、多様性社会を目指さなければならない。
 私は前に、コーラに関して次のように述べた。すなわち、
『 「すいば」は個人にとってその人とその仲間にとってかけがえのない場所であるが、里山がそうであるように、全体的には地域のコモンプレイスという性格もあって、地域にとってもかけがいのない場所である。 私は、地域コミュニティには「すいば」が必要であると思う。京都には民族自然誌研究会というのがあって、いろいろと面白い勉強をしている。その会があるとき「すいば」論をやったことがある(2000年7月1日)。山田勇氏(京都大学東南アジア研究センター)が、「『すいば』と生態資源保全」と題して、1950年代の京都衣笠金閣寺周辺での本人の「すいば」を紹介し、さらに「すいば」風景の原要素として、場・モノ・うれしさ・テリトリー・仲間が考えられることを述べた。さらに、山田氏は、ボルネオ、中国雲南省、カナダ、アマゾン・アンデス、パタゴニア、フィンランドでの生態資源保全についての調査の旅から、子どものとき経験した「すいば」への思い入れが、いろいろな地域においてその土地で生活に必要な資源を有効に生態保全している人びとの土着の知恵と相通ずるものであることを報告した。この話は大変いい話で、余分なことは言わないでそのまま受け止めておけば良いのかもしれないが、私としては、実は、コーラに関連してひとこと言いたいのである。
 私は前に「文化というものの土地への帰属性」について書いたことがある。 そこで言いたかったことを今ここの文脈で言えば以下のとおりである。100年200年経ったとき、何代もにわたって次々と子供たちはその「すいば」でそれぞれ何かを体験し、何かを身につけ、何かを生み出して行く。その何かは人によってそれぞれ異なるであろう。生み出されるものは必ずしも特定されないけれど、何かが生成しているのである。主役は人ではなくて場所である。主役は何かを生み出す場所である。すなわち、「すいば」は「生成の場所」・「コーラ」であるということだ!』・・・・と。
 そうなのだ。「すいば」は「生成の場所」・「コーラ」である。そういう「生成の場所」・「コーラ」で何が生まれるか? それは「意味作用」である。上述したように、 その「意味作用」は、その場所の場所性(歴史性とトポス性)によって千差万別である。風土性を大事にしている限り、世界は多様性社会に動いて行くのである。私たちは、「意味作用」を見間違わないように、 その場所の場所性(歴史性とトポス性)を見間違わないように、多様性社会を目指さなければならないのである。

 オギュスタン・ベルクは、「意味が旅を続ける」などと難解な言葉を使うが、彼の言いたいことは以上のようなことではないかと思う。意味が旅を続け、さまざまな「意味作用」がその場所に働き、多様化社会ができて行く。それは「コーラ」のお陰だ。オギュスタン・ベルクは文中象眼(ぞうがん)という言葉を使っているが、「コーラ」というものは誠に大事なものである。象眼(ぞうがん)とは、象嵌 (ぞうがん)のべつめいであり、 金属・陶磁器などの表面に模様を刻み、金・銀などをはめこむことまたは嵌め込んだものをいうが、印刷関係の専門用語では、鉛版などの修正したい部分を切り取り、別の活字をはめこむことをいう。オギュスタン・ベルクは、風景のなかにコーラが象眼(ぞうがん)されていると言っているが、この文面の意味としては、一般的には何でもない風景のなかにコーラという大変な意味をもった哲学的に誠に重要なものが嵌め込まれている・・・という意味であろう。

 もう一度言うが、「コーラ」で生まれる「意味作用」が大事なのである。 その「意味作用」は、その場所の場所性(歴史性とトポス性)によって千差万別である。風土性を大事にしている限り、世界は多様性社会に動いて行くのである。私たちは、「意味作用」を見間違わないように、 その場所の場所性(歴史性とトポス性)を見間違わないように、多様性社会を目指さなければならないのである。
 さて、「意味作用」という言葉もちょっと判りにくいので、ここで、「おもむきにしたがってその場所が変化して行く、その作用」と言い直しておこう。その作用は、「コーラ」の本質からいって、人々という主観的な力と場所という客観的な力の両方に起因する。 主観的な力を働かせるとき、その場所の場所性(歴史性とトポス性)の重要性を十分認識していなければならない。場所をして語らしめよ!

 しかし、「場所をして語らしめよ!」といってもそう簡単なことではない。場所をして語らしめようとする人物の力量によるからだ。オギュスタン・ベルクによれば、風土は、広義には人間のすまいとしての「エクメーネ」であり、狭義には社会の空間と自然に対する関係としての「ミリュウ」である。それぞれに多くの要素が絡み合って、華厳の世界といって良いかもしれないが、複雑な関係が出来上がっている。その関係が風土のおもむきをつくっている。歴史的なおもむき、自然的なおもむきである。宗教的なおもむきというものもあるかもしれない。これは知識もさることながら感性の問題でもある。第六感というか直感が働かなければならないかもしれない。これは人の力量の問題だ。場所は人の力量に応じて何かを語り始める。大きく打てば大きく響くのである。プラトンの「イディア」に注目しよう。

2009年11月 2日 (月)

自然的な向き(おもむき)

 私は前に、「地消地産の哲学」について書いたことがあり、次のように述べた。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/imapuro.html

すなわち、
『 今西錦司のプロトアイデンティティ(原帰属性)というのがある。
 私たち動物は、仲間を仲間として認識できる。自分たちとは異なる種を自分たちの仲間とは認めないのだ。神は自分たちとは異なる種との交配を禁じているようだ。そうでないと、世の中の秩序はムチャムチャになり,種の保存なんてできませんからね。
 また、私たち動物は,自分たちの棲息する「場所」を自分たちの生活の生息空間として認識できるようだ。今西錦司のすみ分け論を前提とした場合, 仲間を仲間として認識できると同時に,自分たちの生息空間をそのように認識し,決して他の生息空間を荒らさないようにしなければならないなど・・・・自分たちの生息空間を自分たちの生息空間として認識できなければならない。
 これらの認識能力は,もちろん本能ではあるが,今西錦司は特に「プロトアイデンティティ(原帰属性)」と呼んでいる。』

『 帰属性と帰属意識とはちがう。帰属性は先天的なものでここにいうとプロトアイデンティティ(原帰属性)と・・・・後天的なものでプラトンのいうコーラに起因する帰属性というものがあるが、それらはともに無意識である。帰属意識はすべて後天的なもので意識である。 ハイデガーのいうように「ふるさとの喪失」することによって否が応でもニヒリズムに陥らざるを得なくなるのは、プロトアイデンティティ(原帰属性))を原点とする帰属性によるのであって、後天的なな無意識である。意識の問題ではない。したがって、教育が悪いとか政治が悪いとか・・・そんな問題ではまったくない。「ふるさと喪失」によって、誰もが無意識のうちにニヒリズムに陥ってやる気をなくすのである。現在はそんな世の中になっている。こういう状態から脱却するには,「ふるさと創生」が必要であるのだが,そのためにはどうすれば良いか,そこが問題だ。』

『 共生の哲学、地域通貨の哲学,地消地産の哲学,そういう哲学のないままふるさとがないがしろにされている・・今の現状を見ていると,もはや「地方の時代はやってこないのではないか?」・・・と心配になってくる。』・・・・と。

 さて、自然的な向き(おもむき)は人々にどのように認識されるか? ここではそれを考えることとしたい。帰属については、上述のように、後天的ではあるが無意識のうちに生じる帰属性と先天的であるが故に当然無意識である帰属性と後天的でかつ意識的な帰属意識の三つに分けて考えると良い。ひとつ目は今西錦司の言い方にならって原帰属性と呼ぼう。そして、二つ目は単に帰属性と呼び、三つ目は帰属意識と呼びたい。原帰属性と帰属制と帰属意識・・・、この三つの単語を使いながら、「 自然的な向き(おもむき)は人々にどのように認識されるか?」・・・、その関係を説明をしたい。自然にはあるがままの自然と少し人為の加わった自然がある。前者は純粋の自然であり原自然と呼んでいい。後者は私たちの生活域で普通に見る自然であり単に自然と呼ぶものである。これに対し、都市がその典型であるが、自然の部分がまったくないという訳ではないがほとんど壊れてしまって人工的な部分が圧倒的に多い場所がある。原自然と自然と人工・・・、自然に関するこの三つの単語と上の帰属に関する三つの単語との関係をいえば、明らかに、原自然は原帰属性に、自然は帰属性に、人工は帰属意識にそれぞれ対応している。
 プラトンの「コーラ」はここでいう「自然」のことであり、それを認識する場合、帰属性を伴う。オギュスタン・ベルクは、先に述べたように、「バイイの辞書に載っていないのは、コーラはトポスとは異なり、ある場所が特定の存在にかかわるものであるか、その所有物であることを示すということだ。トポスにはこうした所属の意味はない。このコーラの意味が、わたしたちのテーマにとっては重要なのである。」・・・と言っているが、オギュスタン・ベルクのいう「所属」は私のいう「帰属」のことである。すなわち、プラトンの「コーラ」は、その場所がある特定の存在にかかわるものであるか、その所有物であることを示したりそれに帰属することを現しているが、今ここで大事なことは、そう言う「コーラ」といいうる場所は自然であり人工ではないということだ。典型的な都市は「コーラ」がない。田舎的都市には多少の「コーラ」がある。純粋自然というか原生林などの人工的なてのまったく入っていない原自然には「コーラ」はない。「コーラ」として哲学的に意味のある場所は私たちの生活域で普通に見る自然であり単に自然と呼ぶものである。田舎、それは都市的田舎という意味だが、そういう田舎と田舎的都市、これらがプラトンのいう「コーラ」であり、そこには、前に述べた歴史的な向き(おもむき)のほか、自然的な向き(おもむき)があるのである。これを大切にしなければならない。

 ハイデガーのいうように「ふるさとの喪失」することによって否が応でもニヒリズムに陥らざるを得なくなるのは、プロトアイデンティティ(原帰属性))を原点とする帰属性によるのであって、後天的なな無意識である。意識の問題ではない。したがって、教育が悪いとか政治が悪いとか・・・そんな問題ではまったくない。「ふるさと喪失」によって、誰もが無意識のうちにニヒリズムに陥ってやる気をなくすのである。現在はそんな世の中になっている。こういう状態から脱却するには,「ふるさと創生」が必要であるのだが,そのためにはどうすれば良いか,そこが問題だが、私は「コーラ」の前提としての「自然的なおもむき」を大切にすることであると思う。
 私は上で、『 共生の哲学、地域通貨の哲学,地消地産の哲学,そういう哲学のないままふるさとがないがしろにされている・・今の現状を見ていると,もはや「地方の時代はやってこないのではないか?」・・・と心配になってくる。』・・・・と述べたが、私は今ここで、「景観哲学」の必要性を訴えたい。それはプラトンの「コーラ」、オギュスタン・ベルクの「風土」に関する哲学でもある。そういう哲学を確立し、それにもとづく実践活動を始めなければならない。では、自然的なおもむき(自然的な風土性)を大切にする実践活動とは具体的に何か? そこが問題だ。 

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/yokubous.html

2009年10月20日 (火)

歴史的な向き(おもむき)

 オギュスタン・ベルクのもっとも言いたいところを象徴的に記述した部分が「風土学序説」の第1章第2節であるが、さらにその中でもっとも重要な部分が第1節の冒頭部分である。冒頭部分は次のような記述から始まる。『黄褐色の山脈を背景に、白く輝くコーラがくっきりと思い出される。長年の間、そこに登るには、ロバの背に揺られながら 、ロバの道をたどり続けた。 そしてロバの蹄が、道の石を磨り減らしてきた。太陽、跳ね返る光、夏のさまざまな匂い -‥・。登るにつれて、海が次第に大きくなる。浜が次第にくっきりとみえてきて、岬の位置がはっきりしてくる。テセウスはここでアリアドネを捨てた・・・少なくとも島の神話、おそらく私的な伝承ではそう言い伝えている。別の口伝によると、それはナクソス島だったという。』・・・・と。オギュスタン・ベルクはこの部分をさらに「ロバの道」と象徴するが、この「ロバの道」からは丘の上の真っ白に輝くコーラが見え、その町並みやら店店やらホテルやらが頭をよぎるだけではなく、そのコーラにおける人々の生活ぶりやら歴史的な出来事まで思い出されるのである。そしてその向こうには黄褐色の山脈が美しいが、きっとその山には不思議な形の岩岩や老木などがあって、いろいろな民話が語られているに違いない。下を見れば、エーゲ海が美しく輝いている。海と港と浜と岬、それらは将に一幅の絵・・・。そしてその風景の奏でる交響曲・・・。ロバの背に揺られながら 、ロバの道を赴く。ゆっくりゆっくり休みながらだ。それはきっとうっとりとするひとときであるに違いない。 テセウスはここでアリアドネを捨てた・・・という島の神話が語るように、この島の歴史は古く、それが「ロバの道」と相まって島の風土性(おもむき)を醸し出すのである。私は、その地域の自然的なおもむきとともに歴史的なおもむきがその地域の風土を創りだすのだと考えている。地域の風土というものは大事であるが、風土を大事にするということは、その地域の自然的なおもむきと歴史的なおもむきを大事にするということである。
 風土性という言葉自体、フランス語には存在しない。オギュスタン・ベルクは風土性の概念を補足するために、仏語でsens、日本語で「おもむき」ということばを用いている。そして彼は『日本の風土性』(1995)の 中で、「風土性」というものを「ある社会のそれを取り巻く環境との関係の <おもむき>(方向性)である」と定義した。「風土としての地球」(著者オギュスタン・ベルク、訳者三宅京子、1994年3月、筑摩書房)の訳注には次のように書かれている。すなわち、
『 Ⅳ部のタイトルになっている「向き」はフランス語ではorient、一般的な語義では「東」という意味だが、著者はこの語に「方位」と「期待(東=日の出の方向)」という二重の意味を込めており、それをあらわすために著者の希望に従い「向き」とした。著者によればこの「向き」は風土の「おもむき」に通じるという。』・・・・と。
 私は、日本人向けには、「風土性」というものを「ある社会のそれを取り巻く環境との関係の <おもむき>(方向性)である」などと定義する必要はないと思う。私たち日本人は、「おもむき」という言葉が身に付いているので、あまり難しいことは考えないで、普段使っているとおりの使い方や感覚で良いと思う。広辞苑には、1心の動く方向。心の動き。心のあり方。 2事柄の大事な内容。伝えたい事柄。趣旨。意味。 3物事のなりゆき。事情。ようす。 4しみじみとしたあじわい。おもしろみ。・・・などと説明している。まあ、難しい定義などしないで、広辞苑に説明してあるイメージで普通に使えば良い。要するに「おもむき」なのである。

 歴史的な出来事を書いた本は多いが歴史的なおもむきを書いた本は極めて少ない。例えば、東大寺はいつ、誰が、何のために、或はどのようにつくったかなどということはいろんな研究が進んである。著書も多い。しかし、東大寺の建造という出来事が指し示す「歴史的なおもむき」についてはほとんど研究されていないように思われる。少なくとも私はそういう著書にお目にかかったことがない。しかし、東大寺の建造という出来事が指し示す「歴史的なおもむき」を多くの住民が知るところとなれば、奈良の風土は変る。奈良の文化観光の国際性が高まって、外国観光客はもっともっと増える筈である。観光で大事なことは歴史的な事実だけではなくて「歴史的なおもむき」を見てもらうことである。
 前に述べたが、『 観光客というか旅人はさまざまであるし、観光資源というか見るべきものもさまざまである。しかし、私が文化観光を重視するのは、国際貢献に資すると思うからだ。わが国の「歴史と伝統・文化」を語るべき「場所」はさまざまであり、何を語るか、その内容によって語るべき「場所」が違ってくる。語るべき人によっていろいろな「場所」があるということであろう。しかし、私が語りたいのは、わが国の「歴史と伝統・文化」の心髄である「違いを認める文化」であり、そのもっとも好い場所は奈良公園だと思う。興福寺や春日大社を含む東大寺界隈だ。
 わが国の「歴史と伝統・文化」の心髄は、常々申し上げているように、「違いを認める文化」だと思う。河合隼雄さんは「心髄がないのが心髄だ」とおっしゃっていたが、私は、わが国の「歴史と伝統・文化」の心髄は「違いを認める文化」であると考えている。もしそうだとすれば、これは大変なことで、これからの新しい世界文明を切り開く力がわが国にあるということである。日本の「歴史と伝統・文化」の何をもって「違いを認める文化」と言い得るのかということは、そう簡単には説明できないだろう。歴史的な考察と哲学的な検討も必要だと思う。わが国のアイデンティティーが「違いを認める文化」にあることを明らかにするには、やはり学者の研究が欠かせない。私は、今後の研究が大いに進むことを期待しながら、ここでは、「違いを認める文化」との関連から3人の人物、良弁、徳一、明恵について語っておきたい。まあ、私なりの問題提起と考えていただいて結構です。』・・・と。3人の人物、良弁、徳一、明恵についての話は、ここでは省略するが、私のホームページを見てもらいたい。ここで言いたいのは、「歴史的なおもむき」を語ることの重要性だ。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/gekinara.html

2009年10月13日 (火)

トポスとコーラについて

オギュスタン・ベルクは、「風土学序説」の第1章第2節の中で、「コーラ」の語源について次のように説明する。すなわち、
『 アナール・バイイのギリシア語辞書を調べてみよう。この「中・高校生向け」の辞書では、コーラという語が顕著に地理学的な意味をもっていることを示している。この辞書ではコーラを次のように説明する。 (Ⅰ)だれか、またはなにかが占めている土地の限られた空間。とくに①二つの物の間にある土地の空間へ間隔、②用地、場所、③だれか、またはなにかが占めている場所 (とくに河床など)、④マークが付けられた場所、席次、部署、⑤生活のなかで人が占める場所または位置。(Ⅱ)国の空間。①国、地方、領土、祖国、②土壌、大地、③田舎 (町に対立したものとして)。ここから田舎の土地という意味が出てくる。

このバイイの辞書ではコーラは、通常は場所 (トポスtopos)(場所、場、箇所、国、領土、地方、距離、範囲。証明の場所、テーマ、議論の素材。チャンス)とは異なる意味をもつが、この二つの単語の関係にはあいまいなところがあることも示している。一般にトポスは、コーラよりも狭い場所を示すことが多いが、逆の場合もある。そして片方の語を他方の語の代わりに使うこともできる。

しかしこのバイイの辞書に載っていないのは、コーラはトポスとは異なり、ある場所が特定の存在にかかわるものであるか、その所有物であることを示すということだ。トポスにはこうした所属の意味はない。このコーラの意味が、わたしたちのテーマにとっては重要なのである。たとえばクセノフォンには次のような用例がみられる。choran lambanein(自分の席に座る)。 kata choran echein (自分の場所につく、自分の部署につく)。同じょうに別の視点では、コーラは特定の町に属する田舎であり、あるポリスに固有の領土を意味する。たとえばアテナイにとってはアッティカがコーラだ。』・・・と。

 すなわち、 ギリシアには場所を語る言葉にトポスとコーラという語があったが、日常的にはそれほど隔てなく使われていたらしい。しかし、バイイの辞書を見る限り、トポスには町に対立したものとしての田舎という意味はまったくないし、コーラには議論する素材としての場所という意味はまったくない。トポスという言葉とコーラという言葉については、オギュスタン・ベルクが言うように、両者の関係には曖昧なところがあるが、強いて両者の違いを言えば、こういうことになる。この違いに着目し、プラトンはコーラを町に対立したものとしての田舎というイメージで使い、アリストテレスはトポスを議論する素材としての場所というイメージで使った。すなわち、プラトンは町に対立したものとしての田舎というイメージを持ちながら哲学的にコーラの概念を鍛え上げていったのだし、アリストテレスは議論する素材としての場所というイメージを持ちながら哲学的にトポスという概念を鍛え上げていったのである。

 上述したように、オギュスタン・ベルクは「バイイの辞書に載っていないのは、コーラはトポスとは異なり、ある場所が特定の存在にかかわるものであるか、その所有物であることを示すということだ。トポスにはこうした所属の意味はない。このコーラの意味が、わたしたちのテーマにとっては重要なのである。」・・・と言っているが、私も、トポスとコーラの違いを理解するためには、オギュスタン・ベルクの指摘するような場所の所属性というものを理解しておくことが重要であると思う。すなわち、「場所」というものを理解する場合に、その場所が「特定の存在にかかわる場所」なのかどうかという観点が重要であるということだ。先ほどは、トポスとコーラの語源的な違いを述べたのだが、それらを哲学的に鍛え上げて行った結果、今では、哲学的な概念がそれなりに確立している訳で、当初の語源とは違ってきているかもしれない。当初の語源的なイメージでは、コーラが都市に対立したものとしての田舎というイメージであったとしても、哲学的な概念のもとでは、コーラを都市に対立するものとしての田舎に限定して理解するわけにはいかないだろう。都市にコーラがあっても良い。すなわち、都市における田舎があっても良い。私は田舎的都市というものを考えている。都市が「人々の生にかかわる場所」でなければ都市は都市たり得ない。都市的田舎と田舎的都市があってもいいではないか。
 私は、実はそういうことを考えているが、そういう中間的なものではなくて、もっと典型的な例でトポスとコーラの違いを説明しておこう。その方が判りやすい。ひとつはトポスとしての「箱庭」であり、ひとつはコーラとしての「粋場(すいば)」である。

 「箱庭」については、河合隼雄と中村雄二郎の共著「トポスの知」(1993年2月、ティビーエス・ブリタニカ)に詳しく書かれているのでそれを読んで欲しい。ここでは、「箱庭」が典型的なトポスであるという理解の仕方の核心部分を紹介しておきたい。中村雄二郎はその著書の中で、次のように言っている。すなわち、
『 <身体ー家ー都市ー宇宙>という図式を用いていえば、身体性を帯びた存在である人間(ミクロコスモス)が宇宙(マクロコスモス)との結びつきにおいてそのその心的宇宙を家や都市(私のいうメディオコスモス)のうちに・・・・あるいはむしろ家や都市として・・・表現し体現すると言って良い。
 ところで、生の表現としての空間という問題を哲学的(存在論的)に捉え直すとき、そこに現れるのが、<トポス論>(場所論)である。そしてトポス論というのは、それ自体として考えるとき、古来の人間の知の営みの中でいくつかの重要な側面を含んでいる。
 トポス論あるいは場所論は、おおむね次の四つの角度から捉えられた「場所」についての考察から成り立っている。1、存在根拠としての場所、2、身体的なものとしての場所、3、象徴的なものとしての場所、4、ある主張についての表現の仕方や論じ方の蓄積を含むところとしての場所、いわゆる「言語的トポス」、である。
 これらの場所のうち、箱庭療法と直接関係があるのは3の「象徴的なものとしての場所」と2の「身体的なものとしての場所」であるが、4の「言語的トポス」も、箱庭療法と必ずしも無関係とはいえない。』・・・・と。
私は,かって、「劇場国家にっぽん」を構想するに当たって、中村雄二郎のリズム論を踏まえながら、西田幾多郎の「場所の論理」を勉強しておくことが不可欠であるとの観点から、中村雄二郎の西田幾多郎に関する著作(西田幾多郎(1)、中村雄二郎、2001年1月、岩波書店)を手がかりに「場所の論理」の勉強をしたことがある。この勉強が今は大いに役立つことになっているので、ここにそれを紹介しておきたい。

 

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/nisidawh.html

 次に、コーラとしての「粋場(すいば)」について少々触れておきたい。私は今日と埋めれ京都育ちであるので、「すいば」という言葉を使っていた覚えがある。「粋場」とか「好き場」と書くらしい。自分の特別に好きな場所であり、特に仲のいい友達には教えてやりたいが、一般的には教えたくない秘密の場所である。山であればウサギや狸を良く見かけたり、昆虫が採れドングリや栗が採れたりする。小川であれば泥鰌やフナがいっぱいいる、そういう場所である。 そういう「すいば」について京都大学名誉教授の 阪本寧男さんが書いているページがあるので、ここではこれを紹介しておきたい。 
 http://homepage3.nifty.com/~jmc/priken/priken53/53nd_abst2.html

 「すいば」は個人にとってその人とその仲間にとってかけがえのない場所であるが、里山がそうであるように、全体的には地域のコモンプレイスという性格もあって、地域にとってもかけがいのない場所である。 私は、地域コミュニティには「すいば」が必要であると思う。京都には民族自然誌研究会というのがあって、いろいろと面白い勉強をしている。その会があるとき「すいば」論をやったことがある(2000年7月1日)。山田勇氏(京都大学東南アジア研究センター)が、「『すいば』と生態資源保全」と題して、1950年代の京都衣笠金閣寺周辺での本人の「すいば」を紹介し、さらに「すいば」風景の原要素として、場・モノ・うれしさ・テリトリー・仲間が考えられることを述べた。さらに、山田氏は、ボルネオ、中国雲南省、カナダ、アマゾン・アンデス、パタゴニア、フィンランドでの生態資源保全についての調査の旅から、子どものとき経験した「すいば」への思い入れが、いろいろな地域においてその土地で生活に必要な資源を有効に生態保全している人びとの土着の知恵と相通ずるものであることを報告した。この話は大変いい話で、余分なことは言わないでそのまま受け止めておけば良いのかもしれないが、私としては、実は、コーラに関連してひとこと言いたいのである。
 私は前に「文化というものの土地への帰属性」について書いたことがある。 そこで言いたかったことを今ここの文脈で言えば以下のとおりである。

 100年200年経ったとき、何代もにわたって次々と子供たちはその「すいば」でそれぞれ何かを体験し、何かを身につけ、何かを生み出して行く。その何かは人によってそれぞれ異なるであろう。生み出されるものは必ずしも特定されないけれど、何かが生成しているのである。主役は人ではなくて場所である。主役は何かを生み出す場所である。すなわち、「すいば」は「生成の場所」・「コーラ」であるということだ!

2009年9月27日 (日)

「コーラ」という言葉の響き

 オギュスタン・ベルクは、「風土学序説」の第1章第1節と第2節において「コーラ」の語源と「コーラ」の本質的なものについて書いており、この部分が感覚的にわからないと、「風土学序説」の全体をきっちり理解することは困難である。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/p271-1.htm

 この第1章第1節と第2節においてオギュスタン・ベルクが説明しようとするその意図を察知できれば、「風土学序説」の全体をきっちり理解することができるであろう。これから「風土学序説」の第1章第1節と第2節の解説を始めるが、その解説は「風土学序説」の核心部分を説明することになるので、本来は私の手に負える代物ではない。間違った説明をするかもしれない。間違いについては、後日、いろんな方からご指摘を頂戴し、私の勉強の糧にしたいと思う。ともかく勉強だ。勉強のつもりで、この難題に挑戦したいと思う。

 オギュスタン・ベルクは、「風土学序説」のp33で、『 コーラの場所は風景である。そしてコーラは風景の一部であり、風景そのものがコーラを支える。コーラと風景が生まれ、それぞれが現実性をもつようになるのは、空間・時間的に同じその道であり、その共通の歴史なのである。』・・・と言っているが、「コーラ」というものがわかっていないと、何故「コーラの場所が風景なのか」がわからないだろう。そもそも「コーラ」とは何なのか?
「コーラ」とは、前にも述べたが、プラトンのいう「生成の場所」、つまり何かが生まれる「場所」のことである。しかし、これだけの説明では、オギュスタン・ベルクが『 コーラの場所は風景である。そしてコーラは風景の一部であり、風景そのものがコーラを支える。コーラと風景が生まれ、それぞれが現実性をもつようになるのは、空間・時間的に同じその道であり、その共通の歴史なのである。』・・・と言っている、その意味がまったく分からない。では「コーラ」とは感覚的にどうとらえればいいのか?
 第1章第1節は、こういう文章で始まる。『 黄褐色の山脈を背景に、白く輝くコーラがくっきりと思い出される。長年の間、そこに登るには、ロバの背に揺られながら 、ロバの道をたどり続けた。 そしてロバの蹄が、道の石を磨り減らしてきた。太陽、跳ね返る光、夏のさまざまな匂い -‥・。登るにつれて、海が次第に大きくなる。浜が次第にくっきりとみえてきて、岬の位置がはっきりしてくる。テセウスはここでアリアドネを捨てた・・・少なくとも島の神話、おそらく私的な伝承ではそう言い伝えている。別の口伝によると、それはナクソス島だったという。ここはセリフォス島だ。この島の中心に位置するコーラという地名は、ナクソス島にもある。ナクソスではコーラは官庁所在地だ。 』 
 この文章で「 テセウスはここでアリアドネを捨てた」という神話が出てくるので要点だけを紹介すると、『 (前略)アリアドネは恋しいテセウスをなんとか助けようと、名工ダイダロスに相談する。そして、こっそりとテセウスを訪れ、麻糸の玉と剣とを手渡して、ダイダロスの知恵を授け、もし成功したら、自分をアテナイに連れて行って欲しい、と頼む。で、テセウスは、無事、アテナイへと戻ることができたら、必ずあなたを妻にしよう、と誓いを立てる。ラビュリントスに向かったテセウスは、アリアドネに言われた通り、糸玉の一方の端を入口の扉に結びつけ、迷宮の奥へと進む。一番奥まったところには、鎖につながれた、あの牛人ミノタウロスが……。テセウスは決然とミノタウロスに切ってかかる。牛の頭をした怪物であり、人肉も喰らうとはいえ、剣を持ったテセウスの敵ではない。彼は見事、ミノタウロスを倒すと、麻糸を手繰って入口へと帰り着く。(中略)ところがテセウスは、船がナクソス島に立ち寄った際、あっさりと誓いを破って、眠っているアリアドネを一人、島へと置き去りにしてしまう。アリアドネの手引きで迷宮を脱出し、誓いまで立てたくせに、大嘘吐きめ! 彼女が絶望して嘆いていると、酒神ディオニュソスが現われて、彼女を見初め、優しく慰めて、やがて妻にしたという。(後略) 』・・・という神話であるが、ここで彼の言いたいことは、多分、「場所には歴史的なそういう神話とか民話とかいろいろな物語がしみ込んでいる」ということだろう。
 私は前に「土着文化という言葉があるが、文化は人でなく土地にくっついている。」と言ったことがあるが、たしかに、 場所には神話とか民話とかいろいろな歴史的な物語がしみ込んでいるのである。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/6jisan25.html

 神話とか民話とかあるいは歴史的な出来事を詳しく知れば、その場所に立ったときに何ともいえない感慨を覚えるものである。その土地にしみ込んだ神話とか民話とかあるいは歴史的な出来事が私たちの頭の中に何らかの作用を及ぼすのである。私たちの知識が豊かであればあるほど、また私たちの思いが真剣であればあるほど、土地が私たちに及ぼすその作用は大きい。そして、その作用によって何かが生成するのである。そういう「生成の場所」それが「コーラ」だ。
 上述した第1章冒頭の文章で「 テセウスはここでアリアドネを捨てた」という箇所をみて、地元で語り継がれている神話を思い浮かべることができるかどうか、それは読者の知識次第だ。オギュスタン・ベルクの意味深長な文章を読む場合、そこまでの知識が必要である。
 ところで、第1章冒頭の文章に出て来るコーラは地名であり、オギュスタン・ベルクは官庁所在地と言っているが、要は、役所のある・・・その島の中心地である。本の表紙にセリフォス島というその島の写真が載っているが、写真の真ん中よりやや上に白い家並みが見えるが、それがコーラだ。

   

 この小さな写真は、表紙の折り込みに載っているセリフォス島の港リヴァディの写真である。この写真だけではリヴァディに行こうという気など起こらないが、このホームページを見れば一度入ってみたい気が起こるのでは・・・?  島のメインポートであるリヴァディの町には、ウォーターフロントにお洒落なカフェが並び、水際に足を浸しながらドリンクを楽しむこともできるし、リヴァディにも砂浜のビーチがあり、水は港に接しているとは思えないほど澄んでいる・・・とのことだ。この港リヴァディから丘の上の街コーラにはオギュスタン・ベルクのいう「ロバの道」を行くのが良いのではないか。ロバの背に揺られながら、ゆっくりと・・・・。この島の辿ってきた古い歴史に思いを馳せながら・・・・。島の窪地では、月桂樹が花盛りだ。
 エーゲ海の島はどこも同じような風景があるようだ。ネットサーフィンをした中から私の気に入ったものを紹介しておきたい。
ナクソス島
パトモス島
シミ島
 それぞれ良いところですね。行ってみたいですね。「コーラ」というものを考えるとき、ともかくコーラという地名のあるエーゲ海の島々に行ってみて、自分なりにその風景を感じることが必要なのかもしれない。しかし、なかなかそうはいかないので、私としては、少なくともこれらの写真を見ながら想像力を働かせることとしたい。

 オギュスタン・ベルクは、コーラという地名について、次のように説明する。
『 実はこのエーゲ海 のほとんどいたるところに、コーラという地名がある。アイガイオン・ ペラゴスという地名から、イタリア人は多島海という古いエーゲ海の呼称を作った。この言葉の音がわずかにずれて、Archipelいう言葉となってフランス語に伝えられた。

ここに潜むわずかなずれが、フランス人の夢をかきたてる。究極の (archi)海であるとともに 、原初の(archi)海という言葉にみえるからだ。これは海の中の海 、すべての海の起源にある海だ。そして意味もずれた。かつては海を意味していたこの語が、いまでは海に散らばる多数の島を意味するようになった。
そしてそのすべて (あるいはほとんどすべて )の島の丘の上にコーラがある 。島の窪地では 、月桂樹が花盛りだ。
このコーラという語は、古典ギリシア語では町と対立する「田舎」を意味していたが、この語がいまでは逆に、島の官庁所在地を名指すようになったわけだ。その理由の説明を古典学者に期待してもはじまらないだろう。この逆転は、ある定かならぬ日に起きたものだろう。おそらくビザンティン帝国のもとで 、ヴェネツィアやオスマン・ トルコの支配のもとで 、あるいはジェノヴァの支配のもとかもしれない。その理由は、海から襲われる心配があったために 、城 (カストロ)を田舎の後背地に後退させざるをえなかったことにあるだろう (すくなくとも 、そう考えた くなる )。 』

 要するに、コーラという言葉は、今はエーゲ海・島嶼の固有名詞になっているが、もともとは町と対立する「田舎」を意味する普通名詞であって、プラトンのいう「生成の場所」としての「コーラ」は、この「田舎」を意味する普通名詞から来ているのである。プラトンは、「田舎」を意味する普通名詞から、哲学的な意味を付け加えて「生成の場・コーラ」という言葉を作ったのだが、私は、そのイメージとしては「田舎」があるのだと思う。ハイデガーのいう「故郷」とイメージしていいかもしれない。また、私の「地域コミュニティ論」で申し上げたように、地域コミュニティは田舎でしか育たないので、「コーラ」は地域コミュニティのある「場所」のこと・・・とイメージしていいかもしれない。地域コミュニティが主体であり、「コーラ」は受動態である。地域コミュニティが働きかけ、「コーラ」が何かを生み出すのである。オギュスタン・ベルクが「コーラはもともと田舎を意味する普通名詞であった」というとき、その田舎は、ハイデガーのいう「故郷」や私のいう「地域コミュニティ」とダブらせてイメージして欲しい。

 「風土学序説」の第1章第1節 のタイトルは「セリフォスでもナクソスでも」となっている。エーゲ海ではセリフォスと同じような島がたくさんあって、ほとんどの島に「コーラ」という地名があるとオギュスタン・ベルクは言っているが、そういう中で、何故オギュスタン・ベルクはセリフォス島に焦点を当てているのだろうか? セリフォス島よりもっと交通の便が良く観光地として有名なナクソス島でもパトモス島でもシミ島でも良かったのではないか? 何故か? 何故セリフォス島に焦点を当てているのか? オギュスタン・ベルクに会ったら一度聞いてみたいと思っているが、そういう多くの島の中で、オギュスタン・ベルクの抱くセリフォス島のイメージ、それは多分「すばらしい田舎」ということだが、そういうイメージが「コーラ」にはいちばんぴったりしているということだろう。セリフォス島という「すばらしい田舎」、それは、すばらしい風土であり、風土性の豊かな「場所」、意味のある「場所」、向き(おもむき)のある「場所」ということだろう。それが「コーラ」だ。

 私は前に、次のように述べた。すなわち、
『 原範型イデアとは何か? これがまたむつかしく、プラトン哲学を勉強できていない私などが人にこの説明をすることはできない。私には、ホワイトヘッドのいう「永遠的対象」の方が説明しよい。ホワイトヘッドの哲学は有機体哲学と言われるが、すべてのものが変化する世界観から成り立っている。その変化の中で名詞的に固定されているものが、ホワイトヘッドの考える「普遍」で、それを「永遠的対象」というのだが、それがプラトンのいう原範型イデアのことである。それは、私の理解では、存在というか出来事というか、そういうものの裏にある真実ないし真理である。

その「永遠的対象」が場所(コーラ)に作用し、変化のエネルギーによって生成という両親の子が生まれる。場所(コーラ)は、生成の母であるとか、母の子宮であるというのはとてもわかり良いではないか。
ジオパークでは、その地域における、地質的、地理的、生態系的、歴史的、文化的な「永遠的対象」を専門家が語る、その「永遠的対象」が場所(コーラ)に作用し、さまざまな物語や風俗が生まれる。私は、そういうことでジオパークの演劇性が生じてくると考えている。』・・・と。
 地域コミュニティが働きかける主体である。プラトンの言葉でいえば「原範型イデア」ということだが、ホワイトヘッド流にいえば「永遠的対象」、私流にいえば 、存在というか出来事というか、そういうものの裏にある真実ないし真理である。そういうものが働けば、「コーラ」から何か価値あるものが生まれてくるのである。そういうことの積み重ねで風土というものができてきた。
 以上が私の理解であるが、オギュスタン・ベルクは、「風土学序説」の第1章第1節と第2節において「コーラ」の本質的な説明をしているので、次に、その勉強に入りたい。

2009年9月 8日 (火)

景観問題は何が問題なのか?

 私は先に、「 日本の「大転換」を図るためにも、 景観問題は大変重要な問題なのである。」と申し上げたが、具体的に何が問題なのであろうか? 立法上の問題や司法上の問題もない訳ではないが、ここでは行政上の問題として景観問題を考えることにしたい。
 美しい景観や風景は国民の財産である。それらを公共財といっていいかどうかわからないが、公共的な性格を持っていることは間違いない。したがって、美しい景観や風景を守りまたは創りあげて行くことは行政の責任である。もちろん地域住民と行政との役割分担というのはあるけれど、両者の繋がりがうまくいっていないと良い行政は行ない得ない。現在、私の見るところ、行政側に景観問題の認識が希薄であるし、地域住民と行政との繋がりも脆弱である。行政側に景観問題の認識が希薄であれば、景観問題に関する地域住民と行政とのコミュニケーションがうまくいかないのも当然であり、私は、景観問題を煎じ詰めて行けば、結局は、景観に関する行政側の認識が希薄であるということに帰するように思われる。なぜ、景観に関する行政側の認識が希薄なのか? そこを皆さんにも是非考えて欲しい。私も行政側にいた人間だが、行政側の言い分もある。景観についてしっかり勉強したいのだが、土木系の学生に景観や風景のことを教える人もいないし、教科書もない。私に言わせれば大学というか学者がさぼっている。
 佐藤康邦と安彦一恵との共著に「風景の哲学」(2002年10月、ナカニシヤ出版)という本がある。「風景」について実に多数の著書が刊行されているが、総合的な見方に欠けているので、哲学としてその足らざるところを考えて行こうということで、この本を出版することになったのだそうだが、私はこの本を読んですっかり考え込んでしまった。「風景」について実に多数の著書が刊行されているのに何故総合的な見方が欠如しているのかということと、そういう問題意識から書かれた筈の「風景の哲学」という本ですら総合的な見方が欠如している、それな何故なのか? 私はがっくりしてしまった。こりゃもう病膏盲だなあという感じである。
 安彦一恵は、景観の善し悪しは好き嫌いの問題であるというようなことを言っているが、何を寝ぼけたことを言っているのかと思う。哲学かなんか知らないけれど、難しいことをひねくり回して、景観の善し悪しは好き嫌いの問題であるという結論を導きだしている。しかし、その結論は間違っている。景観とか風景というものは、よほど感性を磨かないと「目利き」はできないのであって、画家や音楽家や詩人の感性に学ぶべきはもちろんのこと、芸術人類学的に学ぶところも多々あるのである。
 前に申し上げたが、『 風景には、「現実の風景」と「風土に根ざした風景」と「精霊に根ざした風景」があるというのが私の考えだ。盆栽や箱庭などの縮景や見立ては、実際に見えるものの奥に、それよりさらに意味のあるものを感じ取ろうとするものである。「現実の風景」から「風土に根ざした風景」を感じ取る。これは文化の問題であるが、さらに「現実の風景」から「精霊に根ざした風景」というか「古層の神」を感じ取ることができれば、ハイデガーのいう「投企」が始まるかもしれない。もしそうなれば、そこから新たに自分を捉えなおし、新たな生き方を始めることができる。これはもう単なる文化を超えた問題である。風景と景観、風景と風土、風景と精霊、これらの問題は極めて大事な問題である。』
 実際に見えるものの奥に、それよりさらに意味のあるものを感じ取ることができるかどうか。そこが問題だが、知識や感性によって見方が変わって来るというのは、景観や風景の場合も見立てなどの場合も同じであろう。かかる観点から「見立て」に関する森岡正博の説明をここに紹介しておきたい。「見立て」は作為が強く、景観や風景とは同列に論じられないが、ものの感じ取り方については知識と感性が関係するという点を私は言いたいのであって、安彦一恵のように、景観や風景の善し悪しを好き嫌いの問題で済ましてもらっては困るのである。森岡正博が「見立ての論理学」というページで言っているように、観察者の力量が関係して来る。
http://www.lifestudies.org/jp/mitate.htm

彼は言う。すなわち、
『 観賞者が見立て絵の前に立つ。観賞者は、その絵の中に描かれている絵柄を認知する。彼はこの絵が「見立て絵」であることを知っているので、絵の中に後景を暗示する何かの手がかりがないものかどうか、調査する。調査をしているうちに、絵の中の白象が「普賢」を暗示していることに気付き、彼は一瞬にして前景の遊女の姿に後景の普賢を重ね焼きにして見ることができるようになる。こうして彼は、遊女の絵を、普賢を見立てた「見立て絵」として観賞できるのである。
 このように、見立て絵の観賞とは、制作者が絵の中に仕掛けた「掛け橋」を手がかりに、目の前に描かれた前景をとおして、後景を自らの力で「発見」してゆくという能動的行為である。見立て絵の観賞プロセスでは、この「発見」という契機が重要なものになる。絵の中に仕掛けられた掛け橋と、その背後の後景を自分の力で発見したときはじめて、観賞者は前景をとおして後景を透かし見ることの快感と満足を真に得ることができるのである。
 この構造を別の視点から見てみよう。観賞者は、絵の前景の中に「掛け橋」を発見する。その瞬間、彼の想像世界の中には、その背後に隠されていた後景がありありと立ち現われる。これはちょうど、水を詰めこまれてぱんぱんに膨れあがったゴム風船に、針の先でちょっと穴を開けたとき、その穴から水が勢いよくこちらに溢れ出てくる様子に似ている。すなわち、絵の前景に「掛け橋」という通路を一点開いたとたん、その通路を伝って、後景の意味世界が洪水のように観賞者の想像世界の中へと溢れ出してくるのだ。この、前景に穴を開けるとむこうから何かがやってくる、降りてくるという構造は、見立て絵にとどまらず、芸術作品一般が共有している普遍的な構造であると思われる。
 では、前景の中に掛け橋を発見し、その背後に後景を発見してゆくという、観賞の「能動性」の本質はいったい何であろうか。それは、目の前にいま与えられているものを踏み台にして、いまここに存在しないものの方へと羽ばたこうとする精神である。すなわち、<いま・ここ>に縛りつけられた自己の限界性を一瞬解き放って、いま・ここにはない世界へと飛翔し、自分が体験したことのないもの、あるいは今後も決して体験できないようなものを、想像世界の内部で仮想体験しようとする精神である。目の前にないものを見、聞こえない声を聞こうとする精神こそが、見立て絵を存立させる原動力である。
 もちろんそれは、単に「見立て」だけが持っている論理構造ではなく、広く芸術作品一般に見られるものである。人々が、見たこともない異国の情景や、神々の姿を絵画に描いてきのは、いまここで見えないものを何とかしていまここで見てみたいという願望があったからだろう。ただ、見立ての場合は、その構造がもう一段複雑になっている。つまり、そのような情熱によって形象化された絵では満足せず、その絵の背後に、さらにもう一枚の絵を見ようとするからである。』・・・・と。

 何度も言っているように、 風景には、「現実の風景」と「風土に根ざした風景」と「精霊に根ざした風景」があるというのが私の考えだ。「現実の風景」の奥に「風土に根ざした風景」や「精霊に根ざした風景」という見えにくいが文化的に意味のある風景を感じ取る、その感じ取り方というものは見る人の力量次第であって、一般的な観光客には然るべき説明が必要だ。 しかし、地域文化の担い手でもある 地域の人々は、専門家の助けを借りながら、地域の歴史を勉強し、知識を増やしながら芸術的な感性あるいは芸術人類学的な感性を養うための訓練が必要である。大変だが、地域で生きるということはそういうことだ。そういう地域の人々の生き様というか「イデア」がプラトンのいう生成の場「コーラ」に作用し、それがまた地域の人々生き様に跳ね返る。そういう相互の響き合いによって、「風土に根ざした風景」と「精霊に根ざした風景」はさらに奥行きを増して行く。それが地域文化の成熟というものではないか。そういう地域の人々の生き様を行政は支えなければならないのである。勉強不足というか力量不足なるが故を以て,行政が地域住民の足を引っ張っぱる、そんなことが絶対にあってはならない。

 前に少し「コーラ」について勉強したことがあるが、理解不十分なまま今日まで来てしまった。「コーラ」は「場所」のことであるが、「イデア」はそれに働きかける主体であろう。オペラでいえば主役歌手である。私の理解では、「コーラ」はその背景で歌うコーラスみたいなものであって、中沢新一流にいえば「後戸の神」と言って良いかもしれない。「コーラ」(場所)についてはオギュスタン・ベルクの「風土学序説」という良い教材がある。オギュスタン・ベルクの「風土学序説」にしたがってさらに突っ込んだ勉強をしなけばならない時が来たようだ。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/cola01.html

2009年8月28日 (金)

大転換

 私の尊敬する佐伯啓思がつい先だって「大転換」という本を出した(2009年3月30日、NTT出版株式会社)。80年前の世界大恐慌の際ボランニーが社会像の大転換を求めてそういう本を出したのを意識して同じタイトルの本にしたのだそうだが、私もまた佐伯啓思の本にあやかって「大転換」という言葉を使いたい。
 日本は、より大胆に徹底した「構造改革」を推進し、グローバルな市場競争の中で、アメリカや中国と対等な競争力を持ち、新たな経済成長を可能とする経済大国を再生させる。しかし、国民経済全体にグローバルな競争主義を適用するのはすでに無理なことははっきりしている。
 そこで佐伯啓思は経済大国の再生という夢は捨てて「脱成長社会」を目指すべきだと言っている。その点は私と考えが違う。私は、「成長」か「脱成長」かという二者択一論ではなくて、大都市や大企業等は市場競争を目指し、地域コミュニティや地域企業は贈与経済を目指すようにすればいいと考えている。日本の通貨は日銀発行の「円」と「地域通貨」の一国二制度にすればいいし、地域コミュニティにおける「地消地産」をモットーに食糧とエネルギーの自給を徹底させればいい。食糧とエネルギーの自給など夢物語だと思う人がほとんどだろうが、最近はものすごい技術が発明されてきているので、「地域コミュニティ」に限っていえば決して夢物語などではない。地域コミュニティは、「ジオパーク」など新たな観光(文化観光)に全力を傾けて行けば、 第6次産業の振興と相まって、 十分、自立経済を確立することができるだろう。それが私の見通しである。地域コミュニティにおける自立経済の確立、それが私のいう「大転換」である。 大都市や大企業等は今まで通り市場競争を目指し、日本経済全体を引っ張ってゆく。地域コミュニティや地域企業は、その大転換を図り、新たな贈与経済を目指しながら、日本文化の発展を図ってをゆく。経済と文化の役割分担をはっきりさし、一国二制度を目指すのである。
 地域企業とは、地元企業ということでもないし中小企業という意味でもない。地域の行政とNPOと連携して地域の第6次産業を担う企業を私は地域企業といっているのであって、資本の出所や規模の大小を問わない。
 なお、上述の佐伯啓思の本に呼応するように、内橋克人の「共生社会が始まる」という本が出た(2009年3月30日、朝日新聞出版)。この本は内橋克人が今まで書いた経済コラムを集大成したもので、必ずしも現在時点での思いではないので、ちょっと迫力に欠けるところがあるけれど、「地域通貨」にそれなりのページをさいていただいているのは大変有り難いことである。しかし、内橋克人がいうように、今は、「通貨にまつわる通念を根源から問い直す」というような悠長なことを言っている時期ではなくて、私は、如何に実行に移すかその方法論を真剣に議論すべき時期であると思う。
 ところで、私は前に、『 現在のところ、日本の入国管理は厳しすぎるし、言葉の壁もあるので、外国人との交流はなかなか思うようにならない。しかし、これからは、現行制度のもとでも、しっかりした受け入れ体制を作りながら、地域コミュニティが責任を持つという形で、もっともっと外国人を受け入れなければならないと思う。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/6jisanti.html
 過疎地域の地域コミュニティには、日本のいいところがまだまだたくさん残っているので、地域の人々のホスピタリティと相まって、来てもらいさえすれば、きっと日本ファンが増えるに違いない。そういう人たちがmediator(メディエイター。仲介者)となって、日本の地域企業の海外進出に力を貸してくれるだろう。大都市や大企業もさることながら、日本は、地域コミュニティや地域企業の国際化が進めば、文化観光の振興と相まって、日本は世界から真に尊敬される国になるであろう。そのための大事なキーワードは、「地域コミュニティ」と・・・「メディエイター・ネットワーク」と・・・「文化観光」である。』・・・と述べた。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/6jisan29.html

 さて、私は前に、『 要は、外国人観光客も含めて地域に多くの人に来てもらいたいのである。そのためには、地域が光り輝くように、地域を磨かなければならない。地域に恥ずかしいところがあってはならないのである。では、世界の人々に来てもらって、恥ずかしいと思う点は何か? いろいろあると思うが、私がいちばん恥ずかしいと思っているのは、私たちに宗教的な生活というものが希薄だということと景観の著しく損なわれているところが多いということだ。私は先に、< 「神々の風景」は総じて変貌が著しい。それは衰微・荒廃してきているといって間違いない。その変貌と衰微は日本人の「神」の衰微であり、日本人の「心」の反映にほかならない。すべての環境問題の起点はここにある。自然のなかに神を見、その自然と謙虚に対座し、自然の恵みに感謝するという日本人の自然観・民族モラルが揺らぎ、衰えてきているのである。>・・・・という野本寛一の認識を紹介したが、彼のいうとおり、日本人の近年における「神」の衰微は著しく、そのことが景観問題にも悪影響を及ぼしている。 景観問題を矮小化してはならないのである。』・・・・と述べたが、 日本の「大転換」を図るためにも、 景観問題は大変重要な問題なのである。

2009年8月15日 (土)

景観哲学を語るにあたって

私は、ここのところしばらく「宗教の近代化と観光開発」と題して、一連のブログを書いてきた。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/maramyo00.html

その中で、「日本人の近年における「神」の衰微は著しく、そのことが景観問題にも悪影響を及ぼしている。 景観問題を矮小化してはならないのである。」・・ということを申し上げ、景観問題に触れた。今後、景観問題と本格的に取り組みたいと思うが、そのためには、景観哲学を勉強する必要があるようである。

景観哲学も大変難しいのだが、勇気を出して勉強を始めよう!これから続く一連のブログは、私自身の勉強である。いつものように、自分のための勉強であり、まったく未熟なものである。記述内容に間違いも多いであろう。その点はお許しいただくとして、大方のご指導をお願いしたい。では始めよう!


 さて、ジオパークを進める場合に、神社仏閣というものをどう認識し、観光にどう活用して行けばいいか、その手がかりを得るために、冒頭に申し上げたように、私は先に、「宗教の近代化と観光開発」と題した一連の拙文を書いた。

 そして、そのあとがきにおいて、『  今回の勉強を手がかりに、ジオパークについて私なりの実践活動を始めるつもりである。その際のキーワードは「古層の神」である。今まで縷々述べてきたように、「古層の神」は、「縄文の神」であり、妙見さんとマダラ神である。今後、 妙見さんとマダラ神をキーワードに私の実践活動を続けて行きたい。』と申し上げ、さらに、『 要は、外国人観光客も含めて地域に多くの人に来てもらいたいのである。そのためには、地域が光り輝くように、地域を磨かなければならない。地域に恥ずかしいところがあってはならないのである。
 では、世界の人々に来てもらって、恥ずかしいと思う点は何か? いろいろあると思うが、私がいちばん恥ずかしいと思っているのは、私たちに宗教的な生活というものが希薄だということと景観の著しく損なわれているところが多いということだ。私は先に、< 「神々の風景」は総じて変貌が著しい。それは衰微・荒廃してきているといって間違いない。その変貌と衰微は日本人の「神」の衰微であり、日本人の「心」の反映にほかならない。すべての環境問題の起点はここにある。自然のなかに神を見、その自然と謙虚に対座し、自然の恵みに感謝するという日本人の自然観・民族モラルが揺らぎ、衰えてきているのである。>・・・・という野本寛一の認識を紹介したが、彼のいうとおり、日本人の近年における「神」の衰微は著しく、そのことが景観問題にも悪影響を及ぼしている。 景観問題を矮小化してはならないのである。』・・・・と申し上げたのであった。

 では、「古層の神」が景観問題とどのように関係してくるのか?

  「景観10年、風景100年、風土1000年」という人が多くなって、この言葉はけっこう有名になっているかと思うが、もともとは風土工学の先駆者・佐々木綱が言い始めた言葉である。誠に言い得て妙な言葉だと思うが、ちょっと歴史的認識が足りないように思う。

 鶴見和子がいうように、歴史が進化や段階を経ると見るのではなく、古いものの上に新しいもの が積み重なっていくと見る視点(「つららモデル」)は誠に大事であって、歴史的に日本の風景を語る場合、万年前の風景まで遡る必要があるのではないか。かかる観点から「何とか万年という場合、何といえばいいか?」、その点を中沢新一にちらっと聞いたことがある。その時、中沢新一は即座に「精霊(スピリット)」と言った。彼はそれほど深く考えずに直感的に言ったのだけれど、私は、これこそ言い得て妙な言い方だと思う。

「 景観10年、風景100年、風土1000年 、精霊万年」・・・。いいですね。

 風景には、「現実の風景」と「風土に根ざした風景」と「精霊に根ざした風景」があるというのが私の考えだ。盆栽や箱庭などの縮景や見立ては、実際に見えるものの奥に、それよりさらに意味のあるものを感じ取ろうとするものである。「現実の風景」から「風土に根ざした風景」を感じ取る。これは文化の問題であるが、さらに「現実の風景」から「精霊に根ざした風景」というか「古層の神」を感じ取ることができれば、ハイデガーのいう「投企」が始まるかもしれない。もしそうなれば、そこから新たに自分を捉えなおし、新たな生き方を始めることができる。これはもう単なる文化を超えた問題である。風景と景観、風景と風土、風景と精霊、これらの問題は極めて大事な問題である。 

 いよいよ風景哲学について語らねばならない時が来たようだ。

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