旅行・地域

2017年8月28日 (月)

ホームページの更新(その7)

ホームページの更新(その7)

新しいホームページ(http://www.kuniomi.gr.jp/geki/2017hp/aratanahp.pdf)を更新しました。

更新した項目は、「旅」です。

No3「深く知る旅」を新設し、プカランガンについての説明をするとともに、インドネシアの思い出(概要)をYOUTubeにしました。さらに、ジョクジャカルタに焦点を当て、 タプラウィサタ劇場のラーマーヤナと メラピ火山の砂防ダムを詳しく説明しました。

プカランガン:http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/pukarangan.pdf
思い出のインドネシア(概要):https://www.youtube.com/watch?v=ppJySVPmwo4
タプラウィサタ劇場のラーマーヤナ:http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/gekira-ma-yana.pdf
メラピ火山の砂防ダム:http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/merapisabou.pdf

また、No4を新設し、参議院時代に参議院から命ぜられた、タイとインドネシアへの視察調査の報告をしました。

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/odasisatu.html

2015年6月24日 (水)

岩井國臣の「知られざる京都」(その履歴)

私は、 京都生まれ、京都育ちです。高校は朱雀高校、大学は京都大学です。お墓は妙心寺の大心院です。趣味は、もっぱら歴史的ある いは哲学的な論文を書いています。 その中から、知られざる京都というテーマで昨年の08月02日からmixyに発信していますが、今回その履歴を整理しましたので、ここにご案内申し上げます。

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/kyoumix.html

2015年4月 3日 (金)

安房一の宮について

安房一の宮について

日本の歴史の中で平安時代がいちばん平和な時代であったと言われている。平安時代のどこに平和の原理が隠されているのか? 当時、ちょうど平安遷都1200年ということもあって、私は, 平安時代のどこに平和の原理が隠されているのか・・・ そんな疑問を持ちながら,「怨霊,妖怪,天狗」の勉強をはじめた。平安時代というのは,怨霊のうごめく時代であった。多くの権力者が「呪い」におびえる時代であった。そういう時代がなぜ歴史上いちばん平和な時代になったのか? その秘密は,どうも御霊神社がそうであるように,「祈り」にあるようだと気がつきながら,私は、これから私の哲学の勉強をどう進めていけば良いのか,はたと困ってしまった。そのような折に、 中沢新一の「精霊の王」(2003年11月、講談社)の勉強をしながら、「劇場国家にっぽん」のおいて、「和のスピリット」というページを作ったのであった。

しかし、その後、洲埼神社を訪れたことがひとつのきっかけになって、ホト神様に関していろいろと考え、現地にも出かけていって、 「花園神社」「宝登山神社」のページを書き上げたので、ここに紹介しておく。

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/hanazono.pdf

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/hodosan.pdf

人びとがホト神様に祈れば、どういう御利益があるか?  人びとがホト神様に祈れば、 人びとは本当に豊かな人生が送れるのか? ホト神様は、国というものがなかった時代から、宗教というものがなかった時代から、限られた特定の人たちかもしれないが、それなりの人びとによって延々と祈られてきた。その場所が、現在、神社として存在していれば、ホト神様に対する祈りは、神に届きやすい。だから、「洲埼神社」「花園神社」「宝登山神社」は、強力な「バワースポット」になっているのである。また、桜井徳太郎 によれば、日常生活を営むためのケのエネルギーが枯渇するのが「ケガレ(褻・枯れ)」であり、「ケガレ」は「ハレ」の祭事を通じて回復する。だから、そういうところの祭にはせいぜい出かけて行って、祭りを楽しんでもらいたい。

安房一の宮・洲崎神社の「ミノコオドリ」は、1961年(昭和36年)に千葉県の無形民俗文化財に指定され、1973年(昭和48年)には国の無形民俗文化財に選ばれた素晴らしい祭りである。


一つの 令制国(りょうせいこく)に一の宮が二つあるのは珍しいが、安房の国以外にもない訳ではない。しかし、私は、安房の一の宮である安房神社と洲埼神社のを論ずることは、神社というものの生い立ちを理解する上できわめて大事だと思うので、「 安房にはなぜ二つの一の宮があるのか? そして、どちらの方がより古いのか?  」、そういったことを考えながら、私は、旧石器時代または縄文時代の信仰形態が現在の神社にどのように繋がってきているのかを明らかにしたいと考えた。

ご夫婦の神様を祀った神社は全国に安房しかない。何故か? 安房神社の他に洲崎神社を創建せざるを得ない特別の事情があったのではないかと思われるが、その事情とは何か?

「安房一の宮」という次に紹介する論文は、その事情を探ったものである。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/awaitinomiya.pdf

2015年3月29日 (日)

タイの思い出

タイの思い出

私は、参議院の決算委員長をしていた頃、第一回ODA調査のため、タイに初めて行ったことがある。その時タイの歴史伝統文化に触れ、大きな感動を覚えたので、それを思い出しながら、私が感動を覚えたその所以をお話ししたい。

毎朝の散歩で必ず目にするのは、托鉢の僧侶と喜捨する人びとの姿である。
毎朝の散歩で必ず目にするもう一つのものは、街かどのいたるところに設置されている祠とお祈りをする人びとの姿である。

これらの風景を見てまず感動したのは、タイは聞きしに勝る仏教国だということだ。そこで、私は休みの日に、タイでもっとも有名なチェンライ<エメラルド寺院>という大寺院に行った。

これまた驚きで、歴史上、タイにも聖武天皇のような人がいて、仏教を国教として国を治めたことがあったのだ。だからこそ、仏への信仰心が人びとの心に染み込んでいて、それがタイの国民性になっているのだと思う。

タイ族が11世紀ごろに現在のタイへ下って来た当時は、タイ族はピー信仰(精霊信仰)を信仰していたが、上座部仏教がマウリア朝アショーカ王の時代にインドから主に南方のスリランカ(セイロン島)、ビルマ、タイなど東南アジア方面に伝播した。

上座部仏教が最大の勢力を持つ宗教として成立するのはラームカムヘーン王(在位・1279年~1300年)の時代である。後に王に即位したリタイ王(在位1347年~1368年)は、衰えて行くスコータイ王朝を仏教思想で立て直そうと、タイ族の君主として初めて出家を行い、仏法王と名乗った。これは大仏を建てることで、天皇の権威を高め国政を安定化しようとした聖武天皇のケースと似ている。

以上述べたように、タイの仏教は、中国から伝わったものではなく、インドから直接伝来したもので、その点が日本の場合と基本的に異なっているようだ。だから、密教はないし、禅宗や日蓮宗のようなものもない。日本の仏教とタイの仏教とどちらがいいのかということことは、一概に言えないが、タイの人びとの信仰心を見ている限り、タイの方が私には親しみやすい。



私は、朝の散歩でスラム街に迷い込んだことがあった。しかし、身の危険性はまったく感じなかった。タイでは、スラム街に住むような人たちでも、穏やかな人たちが普通のようで、これもタイ仏教のお陰であるようだ。

インド伝来文化、その典型がタイ仏教だが、他にそのようなものがないか調べてみた。あった。タイの格闘技カラリパヤットである。

インドの格闘技のカラリパヤットが伝わって形成されたことから、伝説では『ラーマーヤナ』のラーマ王子を始祖としている。しかしながら、古式ムエタイがいつ興ったものかははっきりしていない。タイの関わった戦争の中で各民族の戦闘術と関わりながら徐々に発展していった素手素足の格闘の技術が古式ムエタイの原型になっているようである。
タイがミャンマーの属領とされていた1584年頃に、ナレースワン大王が、ミャンマーのタウングー王朝との戦争に勝って独立を回復したのだが、この時に、古式ムエタイが兵隊たちの戦闘能力に大きな役割を果たしたとされた。
カラリパヤットはインド南部のケララ地方発祥の古くから伝わる武術だが、それがタイに伝わって古式ムエタイを生み出したらしい。

インドには元々ドラヴィダ人が住んでいた。そこにアーリア人が 来て住み着き、文化を築いた。南に残ったケララ一帯ではドラヴィダ人によるサンガム文化が発達した。サンガム文化では尚武の気風を尊んだ為、ドラヴィダ武 術が発達していった。 その後、西から異民族が攻めてきたので、一部のアーリア人が南下した。そこでアーリア人が身に着けていた武術と、ドラヴィダ武術が合わさってカラリパヤッ トの祖形が出来たといわれている。

伝説によれば、禅宗(「座禅」もヨガである)の僧・達磨大師がインドの格闘技を中国に伝道した。その際に禅の修行に僧達が耐えられるように、心身を鍛える術を記した『洗髄経』『易筋経』を与えた。それが現在の少林寺拳法になったと言われている。この武術がカラリパヤットかどうかは不明であるが、達磨が南インド出身である事から、何らかのドラヴィダ系の武術とみられている。そのため、ドラヴィダ系の武術は、少林寺拳法や古式ムエタイ、琉球唐手等のアジア武術の元祖ともよばれる。

タイの格闘技カラリパヤットは、まちがいなくインド伝来文化である。タイの文化はインド文化と深く繋がっている。

タイの観光がどのようなものか私はあまり詳しくないが、少なくとも大寺院チェンライ<エメラルド寺院>は一見の価値があるし、是非、バンコクには一度は出かけ欲しい。その際、一二泊ほど予定を増やし、じっくり朝の散歩を楽しんでもらいたい。人びとの暮らしぶりがよく判るだろう。タイには、多くの人々が朝の散歩に出かけ、ジョギングをしたり、体操をしたり、さまざまな楽しみ方をしている立派な公園がある。その様子を紹介したホームページがあるので、それをここに紹介しておこう。このような立派な公園は日本にない。
http://4travel.jp/travelogue/10747529

ホテルを出て、ぶらぶら朝の散歩をしていた時、スラム街であったろうかそれとも別のところであったであろうか、精霊を祀ってあると思われる面白い祠を見た。タイの「ピー信仰」に間違いない。

この「ピー信仰」は、タイ族の原始宗教であるが、精霊信仰である。タイには、もう一つ面白い信仰として男根信仰があるようだ。私には、男根信仰の象徴である塔を大寺院チェンライ<エメラルド寺院>で見た記憶がある。

タイの舞踊がどの国と深い繋がりがあるのか、私にはよく判らないが、インドネシアと深い関係があるように思われてならない。それがそうだとすれば、タイは太平洋文化圏にも属す訳で、今後、海洋国家としての発展も大いに期待できるのではなかろうか。その点でも日本は、タイとの友好親善をさらに深めなければならない。

タイは不思議な国である。東洋の二大文化、インド文化と中国文化の間に挟まれて、独特の発展をしてきた。

詳しくは次をご覧いただきたい。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/tainobunka.pdf

2015年3月25日 (水)

インドネシアとマダガスカルの思い出

インドネシアとマダガスカルの思い出

私の若い頃、まだ河川局治水課の課長補佐の頃ですが、JICAの仕事でソロ川のダムの調査に行ったことがあります。私は先日77才になりましたが、年を取ると昔がいろいろと懐かしくなるものですね。今頃になりインドネシアが懐かしくなりました。そこで、当時を思い出しながら、YouTubeを作りました。インドネシアの思い出を一言で言えば、ブンガワンソロのメロディーに込められているように思われます。インドネシアの素晴らしさは、自然と言い歴史伝統文化と言い、ブンガワンソロのメロディーのとおりです。
https://www.youtube.com/watch?v=ppJySVPmwo4

ブンガワンソロの歌と言えば、次がお勧めです。
https://www.youtube.com/watch?v=Amnpel6EpdU


また、参議院議員の時にマダガスカルに二回行ったこともあります。国に対してインドネシアほどの愛着はありませんが、旅そのものは苦労もしたし、国会議員としての働きもそれなりにしてきましたので、思い出深いものがあります。マダガスカルへの友好親善訪問は、私の苦労して作った記録がありますので、この際、それを紹介しておきたいと思います。皆さんの知らないことが沢山ありますので、是非、つぶさにご覧いただきたいと思います。

http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/msosen.html

http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/diegosu1.html

http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/diegosu2.html

http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/diegosu3.html

http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/diegosu4.html

http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/4yuusi.html

http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/sanpai.html

2013年4月23日 (火)

応神天皇の旧跡について

応神天皇の旧跡に関するすばらしいホームページがある。それを以下に紹介するが、それに関して私の所感を述べておきたい。なお、応神天皇の大和入りに際して、水軍の存在を当然考えねばならないが、そのためには「海の民」の歴史について知らねばならない。「海の民」の歴史については、いずれ稿を改めて述べるが、とりあえず熱海の「海の民」についてはすでに述べた。

以下のホームページで説明されているように、丹後との関わり合いはない。したがって、応神天皇が九州より大和に東遷したルートは瀬戸内海であり、大和に入るにあたって、まず吉備(岡山)を制圧したのではないか。その後、淡路島や小豆島に水軍をおきながら、大和入りを虎視眈々とうかがったのではないか。応神天皇の大和入りには、秦氏が全力を挙げて支援したようなので、瀬戸内海航路の最大の拠点・吉備には秦氏ゆかりの地が多いのも頷ける話である。また、以下のホームページでは、応神天皇の大和入りは、紀ノ川沿いとあるのも頷ける話だ。問題は、応神天皇の大和入りに際し、大和王朝との戦いは何故記紀に書かれなかったのか、ということである。記紀の神話では、九州からの勢力(注:記紀では神武天皇と表現されているが、神武天皇は実在の人物ではない。)が前ヤマト時代から大和に入っていたことになっているが、それは史実であろうし、それら前ヤマト王朝との繋がりから、応神天皇の大和入りに際して戦いはなかったのではないか。

応神天皇の大和入りに際してなぜ戦いがなかったのか? これが問題の核心部分である。

秦一族が事前に入って、渡来人を束ねながら、応神天皇が無事大和入りができるように根回しをしたのだろう。要するに、秦一族は、当時、渡来人を束ねる力を持っていたのではないかと思う。秦の系図では、弓月氏が始祖となっているが、私は、おそらくそれ以前に渡来人が日本にやってきていて、応神天皇の頃、功満王がそれら渡来人を束ねたのではないかと考えている。そのご、加羅にいた弓月氏が弓月君は百二十県の民を率いての帰化してきた。弓月氏は日本人となったのである。したがって、秦氏の系図では弓月氏が始祖になっているのであろう。弓月氏の前に功満王がいることを忘れてはならない。
ところで、秦の始皇帝の三世孫・孝武王の子の功満王は仲哀天皇8年に来朝とされている。さらにその子の融通王が別名・弓月君である。仲哀天皇は、神功皇后の夫であり、応神天皇の父である。

私は、応神天皇の大和入りに際して活躍したのは功満王だと思う。

http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%BF%9C%E7%A5%9E%E5%A4%A9%E7%9A%87%E6%97%A7%E8%B7%A1

2011年5月15日 (日)

ジオパークとは(その14)ジオパークとは

14、ジオパークとは?

* ジオパークとは、地域の人々が自ら作る公園であり、観光を強く意識して官民が協力して地域全体を整備するものである。
* その場合のコンセプトは、ジオ(地球)であり、地域の共通感覚は、国内の他地域との繋がり、東アジアとの繋がり、アメリカとの繋がり、太平洋諸島との繋が り、世界との繋がり、さらには宇宙との繋がりを強く意識した・・・・ 地球的感覚である。
* それらの繋がりは、関係と言い換えてもいいが、地質学的見地、地理学的見地、生態系学的見地、歴史学的見地、文化的見地から学問的、専門的に検討される。
* したがって、ジオパークは、地質公園と呼んでもいいし、地理公園と呼んでもいいし、生態系公園と呼んでもいいし、歴史公園と呼んでもいいし、文化公園と呼 んでもいいが、それらを総称して地球公園と呼ぶこともできよう。
* そして、基本的に大事なことは、地理学者を始め専門家の力によって、その地域の観光資源、つまりその地域の光り輝くものとは何か、そのことが地域の人々に 十分理解されていなければならないことである。(注:地理学との関係は後日触れる。)
* 近年、地球学というまったく新しい学問が始まっているが、日本ジオパークは、それとのネットワークをつくることが望ましい。「地球学とは、フレームを地球 にとり、テーマとしては人間圏に関することがらを新たな方法論を用いて論じる知的体系」・・・と言われている。
*  日本の「歴史と伝統・文化」の心髄が「違いを認める文化」にあり、そういう意味では、日本では歴史的に見て「平和の原理」が働いてきたといえる。それを 「平和の論理」として世界の人びとに語って行かなければならない。日本のジオパークは、そういうわが国における「違いを認める文化」というものをどのよう に世界の人々に説明していくか・という・・・・大変むつかしい課題に挑戦するものでもある。
*「違 いを認める文化」を語る場所は当然歴史的遺産が中心になるが、その他新たな場所の演出にあたっては、その歴史的背景や伝統や文化が密かに感じられることが 肝要だが、「和のスピリット」というものが強く意識されなければならない。「和のスピリット」の出現する聖なる空間というものは「宇宙との響き合い」ので きる貴重な空間であるが、空、地質、水に関わる場所のほか、縄文遺跡は、そういう空間になるよううまく演出されることが望ましい。
* その上で、地域の人々は、自らの地域に誇りを持ちながら、自らの知見と感覚によって、観光客のためのインフラ整備をする。
* 日本のジオパークは、観光開発として整備するだけでなく、地域の人々の感性に強い影響を与える基本的な生活環境として整備されるなければならない。風土も そうだが、環境というものは人々の感性に強い影響を与える。環境にはいろいろあって、地質学的な環境、地理的な環境、生態系的な環境、歴史的な環境、文化 的な環境などがある。そういった環境がうまく整えられた「場所」では、人々の感性はそれなりに養われるし、それなりの学習も自ずとできる。門前の小僧習わ ぬ経を詠む・・・という訳だ。
* 地域の人々が自ら活動するもっとも基本的なものは、ソフト面ではお祭りその他の芸術文化活動であり、ハード面では地域の環境整備と手作りの案内板やベンチ などの利便施設の整備である。
* 地質学的な説明などの地球学的な説明は、ジオパークのもっとも根幹をなすものであるにもかかわらず、きわめて難しいので、インストラクターの活動が不可欠 である。
* つまり、ジオパークは地域の人々が主役であり、インストラクターが脇役となる。民間企業と行政はそれらを支えるという役割分担となる。清 水博の「場の思想」が言うように、地域の人びとは「メディオン」となって、一人一人の存在感を示しながら、舞台の上の即興劇をイキイキと演じなければなら ない。そして、地域の人びとがイキイキと存在感を示しながら生きていくためには、競争社会ではダメであって、市場経済の弊害を緩和しなければならない。そ のためには、贈与経済の部分を増やしていく必要があり、ミヒャエル・エンデの言うところの「地域通貨」の普及が不可欠であると思われる。かかる観点から、 日本のジオパークは、そういう「地域通貨」という新しい課題に挑戦することが必要かもしれない。
* 民間企業は、博物館や宿泊施設などのサービス施設を整備するものとするが、その際、地域の光り輝くものが何か、その地域と他地域との繋がりはどうなってい るか、芸術的に実感できるよう工夫されていなければならない。実感できるということは、理屈でなく感覚的に虎まえることができるという意味である。
* 行政は、地域の人々と連携して、道路や河川の環境整備を行う。特に、遊歩道の整備に当たっては、地域の環境整備と手作りの案内板やベンチなどの利便施設の 整備が不可欠である。
* ジオパークは,もちろんユネスコに支援された世界ジオパークから,国立レベルのもの,都道府県レベルのものもあって良いし,市町村レベルのもの,地区レベ ルのもの或はポケットパーク的なものもあっても良い。

ジオパークについて(その13)

13、場 所の論理

  中村雄二郎によれば、そもそも「場所」というものは、コミュニティーとか環境というような<存在根拠(基体)としての場所>のほかに、<身体的なものとし ての場所>、<象徴的な空間としての場所>、そして<論点や議論の隠された所としての場所>の三つがあるという。 
  では、<論点や議論の隠された所としての場所(トポス)>とはなにか。中村の説明を紹介する。 

『  <論点や議論の隠された所としての場所(トポス)>は、古代レトレックでいうところのトピカ(トポス論)の持つ問題性をもっと広い観点から捉えなおしたも のである。もともとアリストテレスではトピカとは、自分の行おうとする議論はいかなる種類の事柄にかかわるか、どのような話題から始めるべきか、を決める ものであった。キケロによれば、隠された場所がわかれば隠されたものがたやすく見出されるように、十分な議論をしようとすれば、その場所つまりロクス(ト ポス)を知らなければならない。こうしてトピカは発見の術とも呼ばれ、政治や法律の具体的な事例についての議論に不可欠なものとされた。
  このトピカは蓋然性の上にのっとった議論であるため、永い間、とくに近代世界に至って、不確かなものとして退かれることが多かった。しかし、近年になっ て、具体的な事例や問題の考察と議論において、適切な論点を発見することがいかに必要であるか、また、現実の多面的な豊かさを考えると、蓋然性を受け入れ ることがどんなに正確であるか、が見直されてきている。必然的な真理のもとづく議論はたしかに正確ではあるが、そうした議論はいくらしたところで、問題の 持つすべての局面を考察したことにはならないからである。つまり、正確な推論の出発点となる前提は、えてして単に現実の一局面しか表わさず、したがってそ こからの結論もおのずと限られたものになるからである。 』

  哲学者の説明は難しく、私たちにはちょっと理解しにくいが、私流に判りやすく説明したいと思う。風土もそうだが、環境というものは人々の感性に強い影響を 与える。環境にはいろいろあって、地質学的な環境、地理的な環境、生態系的な環境、歴史的な環境、文化的な環境などがある。そういった環境がうまく整えら れた「場所」では、人々の感性はそれなりに養われるし、それなりの学習も自ずとできる。門前の小僧習わぬ経を詠む・・・という訳だ。

  飯田賢二がその著書「日本人の鉄」(有斐閣、昭和57年4月)に「鍛冶屋のせがれ」というタイトルで書いているが、鍛冶屋の打つ鎚(つち)の音をしょっ ちゅう聞いたり、そこから出る火花をしょっちゅう見ていると、その鍛冶屋のせがれは豊かな思想性と創造性を身につけることができるのだそうだ。嘘のような 話だが、私は何となくそうだと判る。それが中村雄二郎のリズムの世界であり、述語の世界である。
  松井孝典の「人類発展おばあちゃん説」というのがあるが、これもそうだ。女性は生理的に宇宙と繋がっているので、そもそも宇宙的、地球的なのである。おば あちゃんは長生きをするので、その宇宙的感性、地球的感性が孫に伝わり、そのおかげで人類はここまで発展してきた・・・という訳だ。

  けだし、ジオパークは、地球公園でもあるので、それなりにうまく整えることによって、地質の好きな人間、地理の好きな人間、生態系の好きな人間、歴史の好 きな人間が育つのである。地質の好きな人間・・・それは宮沢賢治のような人である。私たち日本ジオパークモデル化研究会では、大学などの研究機関との連携 が重要であると考えている。大学の先生方の助けを借りながら、ジオパークをそれなりにうまく整えていこう。その場合のキーワードは地球学的感覚と地球学的 知見である。学者の先生方の地球学的感覚と地球学的知見によって、ジオパークをそれなりにうまく整えることができれば、日本の未来は明るい。私たちの子供 や孫は、豊かな思想性と創造性に富んだ子供たちが育つからである。私としては、ジオパークを我が国最大のプロジェクトにしてほしいと思っている。

ジオパークについて(その12)

12、地 球学とは

  近年、地球学という学問分野ができたようだ。旗ふり役はかの有名な松井孝典東大理学部教授だ。今は、この新しい学問大系の素材が出揃った段階で、これから どのような展開を見せるのか、予想もつかない。ある程度の成果が出てくるのがあと50年後なのか、100年後なのか判らないということのようだが、それで も今研究を始めなければならないということらしい。
  人間が人間圏を創造した瞬間から、環境破壊の歴史が始まった。生物圏の中に閉じていれば、これまでもそうであったように何百年も生きられる。しかし、この まま地球のストック(資源)を利用し、地球システムのフローに擾乱(じょうらん)を与え続ければ、あと百年程度で人間圏が崩壊するのは目に見えている。こ れは忍びないというわけだ。そこで、この地球上で、人類が少しでも長く生きられるように、あらゆる科学的知見を結集しようというのが地球学である。
  松井孝典がその著書「地球学・・・長寿命型の文明論」(ウェッジ、1998年5月)の中で・・・・、「地球学とは、地球というスケールの枠の中で問題に応 じてそれに適したユニットを考え、そのユニット間の関係を通じて<文明とは何か>を探求する試みかもしれない」と言っているし・・・・、「地球学とは、フ レームを地球にとり、テーマとしては人間圏に関することがらを新たな方法論を用いて論じる知的体系ということになるかもしれない。」・・・・、「その方法 論としては、システム論的分析手法と歴史的視点が挙げられる。システム論的分析手法とは、その構成要素のモノとしての実態を追求するというより、構成要素 間の関係性に注目する考え方である。歴史とは全体が意味を持つのであり、その意味でも要素還元主義的な考え方とは相いれない。」・・・・と言っている。充 分彼の言葉を噛み締めたいと思う。

  また、彼は同著の中で、「地球学とは、現代を、宇宙、地球、生命、人類、文明史的な時空スケールで位置づけ、そこに生起する諸問題をその枠組みの中で改め て設定し直し、議論する、そのような知の体系だ」とも言っている。
  彼の言う地球学は、その枠組みが大きすぎて、私たちの手に負える代物(しろもの)ではないが、少なくとも、現在、地球的なものの見方が強く求められている ということぐらいは私たちでも理解できる。地球的なものの見方が今大事なのである。

  学者の専門的知見にもとづき、その要点が一般人にも判りやすく語られねばならない。学者の専門的知見の一般化というか共通感覚化が必要である。学者の言わ んとする肝心かなめのところが一般国民の共通感覚にならなければ、国民の支持を得ることはむつかしく、行政や政治は動かない。中村雄二郎のいうところの共 通感覚は極めて大事である。国民の共通感覚を養うため、ジオパークの演劇性が重要なのである。

ジオパークについて(その11)

11、日 本ジオパーク・モデル化研究会について−その設立の趣旨

  ジオパーク(Geoparks)設立に関する活動が内外で活発化しています。ヨーロッパや中国などを中心に,ユネスコに支援された世界ジオパークネット ワーク(Global Geoparks Network)が認証する世界ジオパーク(Global Geoparks)が既に17 ヵ国の53 地域に設置されています。
  ジオパークの目的や意義を鑑みると我が国においても設置が必要となりますが,それには,まず,日本におけるジオパークの意義を確認し,そのコンセプト(基 本概念)を皆で議論し,明確にしておくことが大切です。

  21世紀は“ジオ(GEO)”の時代です。これからの地域づくりは“ジオ(GEO)”を強く意識した「人づくり」であり「場づくり」でなければなりませ ん。“ジオ(GEO)”とは単に地質や地形のみならずそれを土台として密接に影響し合いながら存在し,変遷していく自然と人間を一体として捉えようとする 新しい概念です。この“ジオ(GEO)”の概念のもとで,地域の優れた自然と人々の歴史や伝統・文化を素材とし,地域の固有性・独自性を主張する鮮烈な テーマを掲げて,今ある時・空を超えて宇宙と人類,自然と人間の歴史や文明とのかかわりについて,地質を中心にありのままの地域資源をビジュアルに演出し た「場」がジオパークです。我が国では地方の人口減少になかなか歯止めがかかりません。地域崩壊が始まっていると言ってもよいかも知れません。
  一方,地球規模での資源・エネルギー枯渇,環境汚染,地域間格差が加速しているよう
に, 市場経済に象徴される物質文明のいき詰まりは明らかです。サステイナブルな生き方を採るべき我が国にとって,地方や中山間地にこそ,再出発すべき日本の原 点となる自然や伝統思想や文化が“ジオ(GEO)”の構造をなして温存されているのです。
  我が国の未来のために,何としてでもこれからの日本の原点となるべき地方や中山間地を守り,過疎化に歯止めをかけなければなりません。そのためには,結 局,地域住民自身が立ち上がるしかありません。問題は「人づくり」であり「場づくり」です。その最も有力な手段がジオパークであると考えています。もちろ ん「人づくり」,「場づくり」は都市域にも通じる問題であることは言うまでもありません。ジオパークは,地域そのものが素材であり題材であり,地域住民自 体が脚本家であり演出家です。総てありのままの地域が主役という意味でジオパークは一つの究極の活性化手法です。多様な自然と歴史・文化に恵まれた我が国 においては,地方や中山間地はもとより各地のジオパークは,それぞれの地域が,地質を中心に,地球とか環境とか歴史とかを意識しながらも,地域特性を活か した市民公園として,いろいろと構想すればよいと考えています。地域住民の自由な取り組みと言うものがないと,面白くて奥の深い地域づくりはできません。

  ジオパークは,もちろんユネスコに支援された世界ジオパークから,国立レベルのもの,都道府県レベルのものもあって良いし,市町村レベルのもの,地区レベ ルのものもあっても良いと考えています。否,そうあるべきです。今,政府はVJC(ビジット・ジャパン・キャンペーン)を掲げて外国人観光客1,000 万人/年を目標にがんばっていますが,目標としてはこれでも少ないと考えています。全国各地にジオパークが展開できれば,目標1,000 万人を遙かに超えることも決して夢ではないでしょう。

  日本は「文化観光」にもっともっと力を入れていかなければなりません。「文化観光」の最も重要な企てが“ジオ(GEO)”の概念を拠りどころとするジオ パークであると考えています。内外からできるだけ多くの観光客に来てもらうためには,訪れる人々に,これからの生き方に重大な示唆を与えうると言うか,こ れからの新しい文明を創造するために役立つと言うか,そして,唯一日本のそして世界のその地域にしか存在しないとか,そう言った文化的価値と希少性の高い ものを整備する必要があります。

  日本ジオパーク・モデル化研究会は,地域の固有性・独自性に基づいた我が国にふさわしい日本版ジオパーク(JーGEOPARKS)を構想し,具体化してい くことを目標にしています。本研究会では,ジオパークを幅広く,地質・地形・地理・生態・環境・人類史・考古学および地方史・民俗文化など,自然科学から 人文・社会科学にいたる学際的な視点から俯瞰し,その中で地域に独自の「ジオパーク・モデル」を構想し,その具体化を図る上で不可欠となる「日本らしいジ オパークのありように関する一定の考え方や手法を明確化して,日本版ジオパーク(J-GEOPARKS)を創発する」ための研究活動を開始しました。その ためには,行政・政界,業界・財界,学界など,あらゆる団体・組織の多くの人々との懇談・対話を通じて,広く見識を衆議することが大切と考えています。

  さらに,地域の持続的発展に寄与し,内外の人々に受け入れられる日本版ジオパーク
(J -GEOPARKS)の設置に向けた合意形成と制度設計を行う必要があります。そのためには,日本版ジオパーク(J-GEOPARKS)について,①政策 提言に止まらず,②議員連盟の組成,ならびに③『ジオパーク新法(仮称)』を視野に入れた国民的運動を展開していく必要があります。合わせて各層向け,マ スコミ向け出版物などの上程,各種研究集会や広報活動を展開して,もって我が国固有の日本版ジオパーク(J-GEOPARKS)を内外に発信することが必 要です。

  21 世紀を迎え,人類は資源・エネルギー枯渇や環境破壊など“地球と人間のかかわり”を根源とした深刻な問題に直面し,人々は地球に関心を寄せるようになりま した。例えば,世界遺産も地学的観点から注目されることが多くなってきました。我が国では次の候補である小笠原が気になるところですが,ここでは Boninites(無人岩と言う小笠原諸島の古い呼称に因んだ学名)と呼ばれる独特・固有の岩石に象徴されるジオテクトニクス的地学条件がその決め手に なるのではと考えられています。さらには, Biodiversity depends on Geodiversity(地球環境多様性が生物多様性を決める)の言葉に表れるように,人間活動にかかわる気候変動や自然破壊など地球環境問題への理解 は“ジオ(GEO)”の視点を欠くことができません。
  日本ジオパーク・モデル化研究会は当面,ジオパーク設立に向けた具体的活動を展開していく過程において検討すべき諸問題・課題について,地域の人々や自治 体をはじめ関係する多くの方々と語る場を早期に創設したい,そのためのモデル事業をどんどん増やしたいと思っています。皆さんのご理解とご支援,さらには 積極的なご参加やご意見を期待しています。

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