文化・芸術

2020年1月26日 (日)

方広寺

方広寺(京の大仏)

現在の方広寺は京都府京都市東山区大和大路通七条上ル茶屋町527-2にある天台宗の寺院である。 豊国神社がすぐ南に隣接している。もともとは豊臣秀吉によって創建された大仏殿で、広大な境内を持っていた。豊国神社はその敷地内に明治になって建てられたものである。 
横191メートル、縦240メートルの回廊に囲まれた土地が、秀吉が創建した頃の方広寺の境内で、その中に大仏殿があった。秀吉が創建した頃の方広寺の境内には、現在、現在の方広寺と豊国神社と京都国立博物館の新館がある。

では、方広寺の由来を詳しく見ておきたい。

方広寺: http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/houkouji.pdf

 

シャングリラ(その31)

シャングリラ(その31)
第3章 政治改革・当面の課題(その3)
第1節 概要(その3)

中国の中央政府は、現在、無神論の立場をとって、けっこう厳しいコントロールを行っている。それはそれで良いとして、今後は、民族宗教の保護育成を積極的に行うことが望ましい。特に、漢民族の道教とチベット民族のチベット仏教は、中国の発展のみならず世界平和に大きく貢献することができると考えるからだ。


中国中央政府の支援のもと、道教とチベット仏教がより盛んになれば、道教寺院やチベット仏教寺院を中心として、第二第三のシャングリラができるであろう。

宗教こそ理想的な生活を支える基(もとい)である。現在、中国政府は無宗教の立場を取っているが、中国政府は、将来、民族の宗教というものを大事にしてさらなる発展を遂げて欲しいと思う。シャングリラは、そういうことを気づかさせる理想郷なのである。自然景観が美しいというだけではない。

 

 

 

 

山の魅力(その3)

一般的な「山の魅力」(その3)


山の風景は美しい。アルプスやヒマラヤのように純白の雪をかぶって、神々しく天を突く山の姿は、おのずと人間の崇高な感情を抱かしめる。神に出会ったときの敬虔感情も、かくなるやと思わしめるものがある。いや、そのような容易に人をよせつけることのない孤高の山との出会いは、崇高な感情、といったよそよそしいものではなく、全身がわなわなと震えるような強烈な肉体感覚をともなった、一種の宗教的体験と言った方がよいかもしれない。そんな山の不思議な魅力に取り憑かれて、どれほど多くの人間が山で命を失っていったであろう。
また、そんな聳え立つほどの高さがなくとも、日本ならどこにでもある里山のように、その瑞々しい緑に覆われた穏やかな山並みに、魂が揺さぶられるような深い郷愁を覚えた経験は、誰にでもある筈だ。低くて小さい丘のような山でも、妙に存在感のある山もある。そのような山を故郷を想い出すのである。
https://www.youtube.com/watch?v=_C_WIGih-V8

今やこの文部省唱歌をいつでも歌えるというのは、中高年層に限られるようになったのだろうか。それにしても日本人は実際の出身地とは無関係に、山と故郷のイメージを重ね合わせ、自分の深層心理に不思議な精神空間を構築し、そこにはえも言われぬノスタルジアを覚えてきたのである。特に日本人の場合、たとえ都会の中で、日々、多忙な生活を送っていたとしても、いつか暇ができれば、山間のひなびた温泉に出かけて、のんびりと清流でも眺めながら、湯に浸かってみたいという思いを心の片隅に秘めている人が、年齢層にかかわらず多い。若い女性向けの月刊誌でさえも、しばしば温泉つきの山宿特集を組んでいる。
そのように、どこか日本人には子が母を求めるように、山を懐かしむ心情がそなわっているようだ。

沖縄の歌(その1)

沖縄の歌(その1)
十九の春

https://www.youtube.com/watch?v=CNlM3tkued8

2020年1月25日 (土)

勝ち名乗り

勝ち名乗り

https://www.youtube.com/watch?v=Pc-lb4UbH-I&fbclid=IwAR0cKwH_kt4tvgy_7gm2L9FVFELEtd718e8kxR-LD-sJrskL0y2QYTBPPVI

2020年1月23日 (木)

伏見稲荷大社について

伏見稲荷大社について
稲荷信仰の原点が稲荷山にある。
稲荷山は、縄文時代、弥生時代、古墳時代から現在まで、聖なる地として人々に崇められてきた。歴史的に見て、それぞれの時代に、人々は稲荷山を聖なる山として崇め、心を寄せてきた。したがって、稲荷山というのは、それぞれの時代の人々の心の染み込んだ不思議な空間となっている。このような不思議な空間というのは日本はおろか世界にもない。
その詳しい説明をするとともに、そのような伏見稲荷大社の広大な境内を見て回る素晴らしいホームページを紹介する。また、「お稲荷さん」といえば、全国どこでも狐であるが、それは稲荷神社の総本山伏見稲荷大社の狐信仰が広まったものである。その伏見稲荷大社の狐信仰は秦氏が平安遷都の時に平安京を守るために始めたものであることを説明する。
伏見稲荷大社について :http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/husimiinarini.pdf

シャングリラ(その30)

シャングリラ(その30)
第3章 政治改革・当面の課題(その2)
第1節 概要(その2)

中国のチベット支配にともなって発生した各種の問題を「チベット問題」という。中国政府とチベット亡命政府の間で発生した過去の歴史認識に関してさまざまな議論がなされてきたし、現在でもなお問題がないわけではない。
過去の歴史認識とは、チベットに対する中華人民共和国の支配・統治にともなって生じる各種の問題である。特にチベット独立運動への弾圧、弾圧にともなう中国軍によるチベット人の大量虐殺や人権侵害が大きな争点である。この中国軍による弾圧については、国際的には、中国側の自制を求める意見が強いが、中国の立場からすると、一連のチベット人による動乱は「反乱」であり、「虐殺」は反乱分子の「平定」とされる。国際的に中国側の自制を求める意見が強いとしても、チベットの独立を主張する国際世論はないので、チベット側としては、「高度な自治」を志向するしか方法はない。これがどうなるか、その問題が現在の「チベット問題」である。


私の見通しとしては、チベット側と中国側の話し合いを重ねて、双方が歩み寄れば、「高度な自治」の実現が可能な段階に来ている。したがって、チベットにおける中国の政治改革の最大の課題は、台湾と香港の一国二制度に関わる問題であろう。しかし、この問題の解決には相当の年月を要するであろう。台湾と香港の場合、歴史的なものを考えれば一国二制度をとらざるをえないかもしれないが、この極めて重要で、かつ、難しいこの一国二制度という政治改革の問題は、私の能力を超えており、私は、その方向を指し示すことはできない。今後、習近平と蔡英文の叡智に待つよりほかはないのではないか? したがって、ここでは政治改革の当面の課題として、宗教改革の方向についてのみ述べることとしたい。中国が国際社会における尊敬を勝ち取るには、第二第三のシャングリラをつくることしか方法がないのではないかと思われる。では、第二第三のシャングリラをつくるにはどうすればいいか? そのことについて書いたのがこの第3章である。

 

 

 

山の魅力(その2)

一般的な「山の魅力」(その2)

日本はどこに行っても、里人たちは祠(ほこら)を建てて山の神を祀り、それを中心として、さまざまな祭典を営むだけでなく、山を精神的鍛錬の場とする習俗を伝えている。登山そのものを教義の中心にすえている宗教というのは、世界広しといえども、日本の修験道ぐらいのものである。おまけに山にまつわる伝承文学となれば、これは日本の独壇場に近い。もちろん外国にも山に関連する物語は多々あるが、日本人ほど山という空間に対して想像をたくましくし、盛りたくさんの説話を世代から世代へと語り継いできた民族も少ない。物語の世界で山姥(やまんば)、雪女、山男、山童(やまわらわ)、河童、ひとつ目小僧、鬼、天狗、仙人など、さしもの深山幽谷も多彩な住民でひしめきあっている。最近、日本の山を埋め尽くしている宗教色抜きのハイカーでさえ、山の頂上に至れば、ご来光を拝んだり、そこにある祠に手を合わせたりしている。

ヨーデル(その6)

ヨーデル(その6)

https://www.youtube.com/watch?v=BZL0kiyjbyo&fbclid=IwAR1KE11B1R4KVygrns-WBvbfTWOnyaXru0jQDbL9NTvVaQPZPHHbGtz1CfI

2020年1月19日 (日)

シャングリラ(その29)

シャングリラ(その29)
第3章 政治改革・当面の課題(その1)
第1節 概要(その1)

第1章ではシャングリラについて書いた。シャングリラとは、今では雲南省の都市名になっているが、本来は、理想郷のことである。
第1章で述べたように、 松賛林寺.(ソンツェンリン寺)は、この地域のチベット人にとっての精神的拠り所となる巨大な僧院である。
そして、 松賛林寺.(ソンツェンリン寺) を中心として、シャングリラのチベット民族は、ヤン・リービンさんの言うような理想的な生活をしているからこそ、シャングリラは理想郷なのであろう。 松賛林寺(ソンツェンリン・ゴンパ)の趣を見て、私はそう思わざるをえない。梅里雪山も信仰と深く結びついている。

そもそも理想郷とは何か?

理想郷とは、和製漢語であり、これをきっちり説明している辞書はないようだ。中国では、「無何有郷」(むかうのきょう)という言葉があるが、これは 荘子が逍遥遊(しょうようゆう)篇で述べている言葉であり、老子や荘子が理想とした世界・郷(さと)のことである。

老子の道とは、どんな定義にも収まらない宇宙の原理であるが、強いて言えば全てを生み出す「天下の母」のようなものである。荘子は、その「道」というものを「攖寧(えいねい)」と呼んでいる。攖寧とは、万物と触れあいながら自らは安らかでいることである。

荘子が逍遥遊(しょうようゆう)篇で述べている「無何有郷」(むかうのきょう)とは、自然のままで、何の作為もない理想郷、つまり想像上に描かれた理想的な世界のことである。つまり、現実には決して存在しない理想的な世界・郷(さと)のことであり、老子や荘 子は、常にこうした状態に身を置こうとした。

英語のユートピアとは、理想郷や「無何有郷」も含めて、いろいろな意味で使われているが、理想郷とは、老子や荘子が理想とした世界・郷(さと)のことであり、その定義はない。定義がないと私の話を進めることができないので、私は、この際、「雲南省にある都市シャングリラのような地域」と定義しておきたい。

雲南省のシャングリラがそうであるように、理想郷とは、風光明媚であり、そこで信仰心に満ちた祈りの生活が行われているところで、観光地となっているところである。
中国には大変多くの観光地があるが、雲南省のシャングリラのような風光明媚で、かつ、中国人の生活文化を感じることのできる観光地はそれほどあるわけではない。

したがって、第二第三のシャングリラをつくることは、中国の国土政策上大事なことである。シャングリラは、世界における国土づくりの理想となる。第二第三のシャングリラをつくることによって、それを中国が示すのだ。世界のどの国もこういうことはなしえない。

 

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