文化・芸術

2018年10月18日 (木)

ホームページの更新

私のホームページのWhat’sNewの更新について

稲荷信仰の原点が稲荷山にある。
稲荷山は、縄文時代、弥生時代、古墳時代から現在まで、聖なる地として人々に崇められてきた。歴史的に見て、それぞれの時代に、人々は稲荷山を聖なる山として崇め、心を寄せてきた。したがって、稲荷山というのは、それぞれの時代の人々の心の染み込んだ不思議な空間となっている。このような不思議な空間というのは日本はおろか世界にもない。
その詳しい説明をするとともに、そのような伏見稲荷大社の広大な境内を見て回る素晴らしいホームページを紹介する。また、「お稲荷さん」といえば、全国どこでも狐であるが、それは稲荷神社の総本山伏見稲荷大社の狐信仰が広まったものである。その伏見稲荷大社の狐信仰は秦氏が平安遷都の時に平安京を守るために始めたものであることを説明した。
前回、「清水寺の地主神社」について詳しく説明した。今回は伏見稲荷大社をその由来も含めて詳しく説明する。その内容については私のホームページのWhat’sNewをご覧いただきたい。

私のホームページのWhat’sNew:  http://www.kuniomi.gr.jp/geki/

秦氏について

秦氏について

秦氏というのは誠に不思議な一族で、この一族を理解しないで日本の歴史は語れないというほどのものだ。秦氏は、新羅系の渡来人であるが、新羅系に限らず、さらには渡来系や在来の人たちに限らず、また鉱山や鍛冶に限らず、土木や養蚕や機織りの技術集団を束ねて全国の殖産に力を発揮した一族である。

秦氏の子孫に世阿弥が出ている。秦氏は能の創始者である。
また、秦氏は、朝廷に惜しみなく協力する一族で、桓武天皇の二大政策、平安京の建設と東国の経営にも惜しみなく協力していく。。


秦氏について: http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/hatasini.pdf

地方創生の成功のために(その8)

地方創生の成功のために(その8)
第3章 日本水田農業の再生(その1)

日本農業のうち、畜産や施設園芸などの集約型農業は健闘している。対照的に土地利用型農業の衰退には歯止めがかかっていない。特に高齢化の進んでいる水田農業のゆくえが気がかりである。
小規模な水田農業は日本だけのことではない。モンスーンアジアの農業規模は概して零細である。歴史的には、収穫が安定的で栄養バランスにも優れたコメの人口扶養力の高さに支えられて、人口稠密な農耕社会が形成された。人間を養うのに大きな面積を必要としなかったのである。零細な農業には、水田とコメに象徴されるモンスーンアジアの風土と歴史が刻み込まれている。

しかしながら、現代の日本は途上国段階の農耕社会ではない。経済発展が目覚ましく、高所得の魅力ある職業は数多くある。したがって、まず所得の面でそれなりのものが得られないようでは、水田農業の後継者は育たない。水田農業も他産業なみの所得を得ることが必要である。しかし、農地面積の規模拡大なしに他産業なみの所得をうることは難しい。だから、水田農業における面積の拡大が必要なのである。

戦後の土地利用型農業の技術革新には目を見張るものがある。機械化の進展である。稲作であれば、田植機の発明であり、収穫用のコンバインの普及である。1960年ごろの稲作には10アールあたり年間150時間もの労働が投入されていたが、現在は27時間にすぎない。10ヘクタール程度の経営になると、15時間まで削減されている。労働生産性に劇的な変化が生じているのである。言い換えれば、家族で耕作可能な面積が飛躍的にアップした。このような技術革新があったからこそ、少数ながらとはいえ、10ヘクタール、20ヘクタールの家族経営が成立しているのである。

高齢化の進展とともに貸し出し希望の農地が増加することは間違いない。水田農業の規模拡大には好適な環境が出現していると言ってよい。では、その好適な環境を活かすために必要なことは何か?


2018年10月16日 (火)

地方創生の成功のために(その7)

地方創生の成功のために(その7)
第2章 日本林業の再生(その2)

梶山惠司さんの指摘するところでは、伐採も、植林も、育成も、そのやり方が間違っているという。林道の作り方も間違っているという。どこが間違っているのか? 梶山惠司さんの指摘する間違いについては、次をご覧いただきたい。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/ringyouno.pdf

日本の国土面積は3779万haであり、森林面積は2510万ha(66%)である。そのうち、国有林は769万ha、公有林は283万ha、私有林は1458万haである。

私有林のうち、1131万haは所有者がわかっており、一応森林経営が行われているとはいうものの、実際は、その82.3%は間伐を実施しない森林経営放棄者である。930万haの森林経営放棄者の所有する森林と、不在山林地主の所有する森林327万haは放ったらかしの森林になっている。国は、それら1257万haを国有林として、直轄管理すべきである。そうすれば、結局、2026万haが国有林となり、全森林面積の8割が国の直轄管理(実際は、森林整備センターに委託)となれば、日本の山は蘇る。また、森林の作業を地元の人たちにやらせるようにすれば、日本の山村は仕事が増え、その分だけ元気になるに違いない。そのためには、しかるべき法律を作る必要がある。

その上で、森林整備センターは、「日本林業はよみがえる」(2011年/1月、日本経済新聞出版社)の著者・梶山惠司の考え方を基本として森林経営をやっていけばいい。

是非、国は、日本林業のあり方を真剣に考えてほしい。政治の役割および行政の役割の重要性は絶大である。国は、林業再生、地域再生のために全力を尽くすべきである。

2018年10月14日 (日)

天神信仰について

天神信仰について

菅原道真が太宰府に配流(はいる)されて不遇のうちに死んだことはよく知られている。天満宮は受験生に大変人気の神社であり、そこでは、菅原道真 は学問の神様になっているのだが、天満宮ができるまでは、道真の怨霊が凄かったらしい。

遂に、その後942年になって、道真の霊は多治比のあやこという女性にご託宣を下し、道真の霊を祭らせる。天神の誕生であり、北野天神社の創建へと繋がっていく。今の位置に北野天神社が創建されたのは946年である。

それらの経緯を含めて、天神信仰について書いたのが、私の論文「天神信仰について」である。

天神信仰について: http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/tenjinsin.pdf

地方創生の成功のために(その6)

地方創生の成功のために(その6)
第2章 日本林業の再生(その1)

「日本林業はよみがえる」(2011年/1月、日本経済新聞出版社)という本があります。著者の梶山惠司は、内閣官房国家戦略室内閣審議官をやった人で、政府の高官でもあったのです。ドイツ・チュービンゲン大学留学、日興リサーチセンター・ロンドン、フランクフルト勤務、富士通総研を経て、2009年11月よりバイオエナジー・リサーチ&インベストメント(BERI)株式会社の代表取締役社長。2001年から2003年にかけて富士通総研より経済同友会に出向し、環境問題を担当。以降、欧州の気候変動政策に関する調査研究、森林・林業再生のための研究および実践を行うという経験もお持ちです。

山村地域では、林業の衰退と ともに、地域の活力も低下し、限界集落と呼ばれる問題まで起こっています。このままでは地域そのものが消滅してしまうでしょう。このことを政府はもっと真剣に考えるべきであります。政府の取り組みがいい加減なのか、林業復活の兆しはまだ見えていませんが、梶山惠司さんは日本林業再生の可能性を指摘しておられる。彼は次のように述べておられる。すなわち、

『 現在我々が目にする森林の大半は戦後に植林されたものである。専門家によれば日本の山々はこれほどの緑があふれるのは数百年ぶりのことである。このことは苦労してわれわれの祖父母、父母やわれわれが植林した成果である。拡大造林に対しては行き過ぎだったとか、広葉樹を伐採したなど批判も多い。しかし、苦労して築き上げた森林を将来につなげ得るか、それとも徒労に終わらせてしまうかは、われわれの努力次第である。』・・・と。

本の帯に書かれているが、日本の森林は「宝の山」であり、日本は世界に冠たる林業大国になれるということらしい。

彼はさらに次のように述べておられる。すなわち、

『 戦後の植林から50年を超える森林も多くなり、いよいよ利用段階に入ることから、日本林業はまさに、本来の優位性を回復できる地位を獲得しつつある。』

『 林業を起点とする木材関連産業は、木材を加工する製材や製紙などの一時加工、木材を利用する家具や住宅などの二次加工等々伝統的な利用に加え、バイオマスエネルギーなどの古くて新しい利用形態も広がっている。さらに、これらに付随するさまざまなサービスの需要も大きく、産業の裾野が広いのが大きな特徴である。このため、安定した木材生産体制を構築できれば、木材関連の一大産業集積を興すことが可能となる。こうした産業は自ずと資源に近いところに立地するのであり、林業再生は疲弊が深まる地域経済にとって、大きな希望を与えることなるだろう。』・・・と。

2018年10月12日 (金)

ホームページの更新

私のホームページのWhat’sNewの更新について

地主神社には、平安時代に清水寺が創建された時よりはるかに古い信仰の歴史があった。つまり、清水寺の谷筋は、縄文時代からの死者埋葬の地であり、縄文人の祈りがあったのである。

大谷本廟から清水寺にかけての尾根筋が「鳥辺山」である。比叡山から東山に続く主尾根にある阿弥陀峰から発して、清水寺を経て大谷本廟に続く枝尾根が「鳥辺山である。そして、その北側、すなわち阿弥陀峰から発する谷が「鳥辺野」である。
伏見稲荷の場合は伏見山から発する谷筋に埋葬地の中心「御膳谷(ごぜんだに)」があり、「六道の辻」の場合は阿弥陀峰から発する谷筋に埋葬地の中心にそれがあったという訳である。

地主神社の公式ホームページによれば、地主神社の創建年代は縄文時代とされ、近年の研究により「恋占いの石」が縄文時代の遺物であることが確認された。また、周囲が湖であった時代にも、地主神社の境内地は島となっており、不老長寿の霊山「蓬莱山(宝来山)」 あるいは、「蓬莱の島」として古代人の信仰をあつめていた。地主神社の東隣下の崖には今も 「船着き場」の跡が残っている。

ところで、時代が進んで、強者と弱者が出て来ると、堪え難いひどい仕打ちを受ける人も出て来る。そういう人の願いは相手がいなくなることであり、「呪い」という「祈り」とはまったく逆の信仰形態も発生して来る。清水寺の谷筋では、「祈り」の他にさかんに「呪い」も行なわれたようだ。その名残が清水寺の地主神社に残されている。 

清水寺・地主神社の内容については私のホームページのWhat’sNewをご覧いただきたい。

私のホームページのWhat’sNew:  http://www.kuniomi.gr.jp/geki/

朱雀大路

朱雀大路 

朱雀大路は平安京の中心となる道路であり、現在の千本通に当たる。そこには朱雀門が造られたし、大極殿も造られた。千本通の北方には、船岡山のみならず、小野篁や紫式部ゆかりの閻魔堂など見るべきところがあるが、ここでは朱雀門と大極殿に絞って説明したい。

朱雀大路:http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/suzakuouji.pdf

地方創生の成功のために(その5)

地方創生の成功のために(その5)
第1章 国が持つべき問題意識(その4)

宮中の新嘗祭は本来、祭祀に先立って前夜に、「忌火御膳の儀」(新たに切り出された清浄な火で炊かれた御飯などの御饌を御神前に御供えする)と「鎭魂祭」(嚴重な潔齊の上、歴代天皇をはじめとする皇族の御魂を鎭め賦活する)が神嘉殿で行われている。なお、新嘗祭の神饌(しんせん)は、全国各地から献納された新穀が用いられる。

新嘗祭は、宮中と同時に伊勢神宮に於いても執り行われているが、民間に於いても五穀豐穰の感謝の祭りとして、毎年11月23日に全国の神社でも、それぞれに御祭が執り行われている。一言で言えば、「新嘗祭」は五穀を中心とした、新穀の収穫を神々に感謝し、祝う祭りである。 

新嘗祭は、夕刻から深夜にかけて齋行される「夕の儀(ゆうのぎ)」と、深夜から明け方にかけて齋行される「暁の儀(あかつきのぎ)」から構成される。

祭祀当日、身を清められた 天皇は、綾綺殿(りょうきでん)に出御され、純白の絹の御祭服を召される。夕刻になると 天皇は、神嘉殿に進まれ、外陣の御座に著御される。
この間、膳舎(かしわや、神饌を調進する殿舎)から神嘉殿に神饌が運ばれてきます。

神楽歌が演奏される中、 天皇陛下は内陣にお進みになられ、御座に著御され、御手づから箸を取られ、柏の葉を重ねて竹のひごで結った葉盤(ひらて)と言う御皿に神饌を御親供(ごしんく、天皇御自ら神に供物を捧げること)される。新穀から調進した神饌を 天皇御自ら御勧めし、神々に御召しあがり戴くのである。

御親供の後、 天皇は御拝禮なされ、次いで皇祖(こうそ、天皇の祖先)への御告文(おつげぶみ)を奏される。御告文が終わると 天皇は、神々に捧げられたものと同じ神饌の米と粟との御飯、御酒(白酒・しろき、黒酒・くろき)を御召しになられる。此の儀を「御直會の儀(おんなおらいのぎ)」と言う。 皇祖と飲食を共にされることは、新嘗祭の核心ともいうべき嚴肅な儀である。

御親祭を終えられた 天皇は、神嘉殿を御退出される。続いて 天皇は、同じく神嘉殿で、深夜から暁にかけて「暁の儀」 を御親祭される。このように、 天皇は、夜を徹して最高の丁重さを以て神々をおもてなしされるのである。
「 故郷は、実際の故郷のみならず、心の故郷も含めて、ただ単に懐かしいという思いを抱かせるものにとどまらず、哲学的意味を持ったものでもあり、絶対に守りとおしていかなければならなものである。」ということ、「日本は歴史的に瑞穂の国である」ということ、この二点が国が持つべき問題意識である。

2018年10月10日 (水)

ホームページの更新

私のホームページのWhat’sNewの更新について

劇場というのは、劇が演じられているから劇場であり、何も演じられていないときに劇場に行っても意 味がない。それと同じように六道の辻も御盆のとき(8月7日~10日)以外は何の変哲もない場所である。ところが、御盆にはがぜん様子が変わって刺激的な 場所となる。かつては髑髏の地、冥界への入り口らしい雰囲気が醸し出される。
六堂の辻は京都の魔界中の魔界である。
 御盆のときには、地元では「六道はん」と呼んでいるが、六道詣りという精霊迎えの行事が行なわれ る。六道はんとは珍皇寺のことをいうのだが、六波羅密寺や西福寺でも特回向が行われる。もちろん主役は珍皇寺である。珍皇寺の境内だけでなく松原通りにも若干の店が出る。「幽霊飴」の店が出たりして昔の雰囲気がよみがえる。
京都の魔界中の魔界「六堂の辻」の内容については私のホームページのWhat’sNewをご覧いただきたい。

私のホームページのWhat’sNew:  http://www.kuniomi.gr.jp/geki/

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー