文化・芸術

2017年8月22日 (火)

ホームページの更新(その5)

ホームページの更新(その5)

新しいホームページ(http://www.kuniomi.gr.jp/geki/2017hp/aratanahp.pdf)を更新しました。

更新した項目は、日中友好親善の中に、「 日中伝統文化を考える旅 」を追加しました。

日中伝統文化を考える旅:http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/tyuuden.pdf

ホームページの更新(その4)

ホームページの更新(その4)

新しいホームページ(http://www.kuniomi.gr.jp/geki/2017hp/aratanahp.pdf)を更新しました。

更新した項目はWhat’sNewを更新し、「喜界島が琉球王国を創った」をアップしました。

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/kikairyuu.pdf



2017年8月21日 (月)

反民主主義論(その4)

反民主主義論(その4)

第1章 民主主義の危機(その3)
第1節 フランシスフクヤマについて(その3)
3、 フランシス・フクヤマの歴史観について

米国のありようはよくも悪くも民主主義と資本主義への評価を左右する。金融危機や格差の広がり、与野党がにらみ合うばかりの政治、ふらつく対外政策など近年の米国に対しては失望の声が少なくない。かかる観点から、2015年1月、日経新聞米州総局編集委員の西村博之が東西冷戦終結の直後、西側の最終勝利を宣言した米政治学者フランシス・フクヤマ氏にインタヴューをした。そのやりとりは次の通りである。

 ――ロシアと米国の対立が激しくなっています。
 「世界政治に厄介な変化がいくつも起きている。一つがロシア問題で、冷戦後の25年間で最大の失望だ。民主化を進め欧州の一員になると思われたが、プーチン大統領のもとでファシズムにも似た、たちの悪いナショナリズムへと転じ、領土の拡張も目指している」
 「もう一つ厄介な動きは中国だ。巨大で権威主義的な国が近隣国に領土を主張している点はロシアと共通する。しかも両国とも国民の強い支持が背後にある」
 ――1989年の論文「歴史の終わり?」で民主主義と資本主義の勝利を宣言しました。いま「新冷戦」という言葉も聞かれます。
 「東西冷戦には地政学的な闘争とイデオロギー対立の両面があった。もはやイデオロギー対立は存在しない。大事なのは目標としての社会制度の最終形態が何かということだ。その歴史の終着点が民主主義だという事実は揺るがない。旧ソ連は共産主義を世界に広めようとしたが、いまのロシアはエネルギー輸出に頼る質の低い国家制度にすぎず、誰もまねしないはずだ」
 ――中国はどうですか。
 「勢いをもつ唯一の対抗勢力は中国だ。ただ同国は自らの体制を他国に広げる気はない。自国には最適だと信じているだけだ。そもそも中国モデルとは何か。一部はマルクス・レーニン主義で、ほかの一部は儒教主義だが、これらは相いれない。残りの部分は露骨な利己主義だ。つまり中国の制度には一貫した哲学による裏打ちがなく、思想的な戦いで勝つのは難しい」
 「今後も米国と中国の競合は激しくなり、中国は領土面でも主張を強めるだろうが、これは思想やイデオロギーとは無関係だ。旧来型の地政学が、両国を駆り立てているのにすぎない」

しかし、「歴史の終着点が民主主義だという事実は揺るがない。」という点と「中国の制度には一貫した哲学による裏打ちがなく、思想的な戦いで勝つのは難しい」という点については、彼は間違っているのではないか?



2017年8月18日 (金)

反民主主義論(その3)

反民主主義論(その3)

第1章 民主主義の危機(その2)
第1節 フランシスフクヤマについて(その2)
2、 フランシス・フクヤマの言う「説明責任」

フランシス・フクヤマによれば、近代国家の必要条件はデモクラシーではなくてアカウンタビリティである。これに対する適当な日本語がないため「説明責任」という意味不明の言葉に訳されるが、これは単なる「説明する責任」ではなく、「説明のつく行動をとる責任」である。
アカウンタビリティには、「結果に対する責任」と「説明する責任」の二つの責任の意味合いが含まれる。まず、「結果に対する責任」とは自己の役割を全うし、求められた結果を出すことをいう。一方、「説明する責任」とは他者から求められた情報を十分に開示し、結果に至った理由を説明することをいう。

ベストセラー「歴史の終わり」から21年。フランシス・フクヤマが最後の仕事に選んだテーマは、世界・全社会における「政治秩序の起源」という課題であり、その著作の日本版が「政治の起源」(2013年11月、講談社 )である。
その要点を言えば、近代国家の三大必要条件は、一つには「国家」つまり国家の強力な権力、二つ目には「法の支配」それが適正に行使されるための憲法と法律が整っていること、三番目には国家権力は憲法と法律にしたがって適正に行使されていいないとならないことがある。この三番目の必要条件が「アカウンタビリティ」であるが、日本版が「政治の起源」(2013年11月、講談社 )では「説明責任」と意味不明の言葉に訳されているので、 日本版「政治の起源」(2013年11月、講談社 )を読んでもなかなかフランシス・フクヤマの真意が理解できない。

そこで、私は、「説明責任」を「国家の国民に対する責任」と言い換えたい。「国家の国民に対する責任」は、民主主義国家では「 国家の国民に対する結果責任と説明責任」となるし、共産党一党独裁の中国では、「国家の国民に対する指導責任」となる。中国の最高権力者は、 多くの国民が神を信じながら無欲になって無為自然の中に生きる、そのような生き方ができるよう指導しなければならない。民主主義にかぶれ、共産党一党独裁国家を転覆させようとする輩を決して許してはならないのだ。

中国は、その長い歴史の中で「天命政治」が行われてきたのであり、 多くの国民が神(道教の神々)を信じながら無欲になって無為自然の中に生きる、 そういう方が国民も幸せだし、国家にとっても都合がいいという「老荘の思想」が息づいてきたのである。ゆめゆめ民主主義を理想としてはならない。



2017年8月17日 (木)

ホームページの更新(その2)

ホームページの更新(その2)

新しいホームページ(http://www.kuniomi.gr.jp/geki/2017hp/aratanahp.pdf)を更新しました。

「書籍と論文など」という項目のところにある「劇場国家にっぽん」の中身を更新しました。

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/2017hp/hongeki1.pdf

反民主主義(その2)

反民主主義論(その2)

第1章 民主主義の危機(その1)
第1節 フランシスフクヤマについて(その1)
1、中国への悪影響

多くの国民が賢くて国家に対して色々と要求をするような国家より、多くの国民が神を信じながら無欲になって無為自然の中に生きる、そういう方が国民も幸せだし、国家にとっても都合がいい。老子の第3章と第65章にはそういう趣旨のことが書かれている。

しかし、国民の中には、賢くて国家に対して色々と要求をするような人も出てくる。そういう人は、現在ではインターネットを使って人々に働きかけ、政府に対してデモを行い、国家に働きかけ、自分たちの要求を実現しようとする。

中国では、その代表が 劉 暁波である。 劉 暁波は、コロンビア大学で客員研究者として米国でアメリカの政治を学んだ人であるが、天安門事件に関連して、3度に渡って投獄された。
2008年、「世界人権宣言」発表60周年を意識してか、劉 暁波は、中国の大幅な民主化を求める「零八憲章」の主な起草者となり、再び中国当局に身柄を拘束された。
インターネット上で公開されたサイトは当局によって即座に閉鎖されたが、コピーが転載され続け、2008年12月署名者は6191人、最終的には1万名余りに達した。
2010年2月に「国家政権転覆扇動罪」による懲役11年および政治的権利剥奪2年の判決が下され、4度目の投獄となり遼寧省錦州市の錦州監獄で服役。2017年5月末に末期の肝臓がんと診断され、家族らが仮出所を申請し認められたため6月末に仮出所した。現在、中国医科大付属第一医院(中国語版)に入院し闘病生活を送っている。

「零八憲章」は一言で言えば、民主主義のことであり、フランシス・フクヤマの言う「説明責任」を求めるものである。

ホームページの更新(その1)

ホームページの更新(その1)

新しいホームページ(http://www.kuniomi.gr.jp/geki/2017hp/aratanahp.pdf)を更新しました。

「書籍と論文など」という項目のところに、「桃源雲情」と「劇場国家にっぽん」の中身を掲載するとともに、「電子書籍の立ち読み」を掲載し、さらにすべての論文などを掲載しました。

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/hpsyoseki.pdf

2017年8月15日 (火)

反民主主義論(その1)

反民主主義論(その1)

はじめに

現在、民主政治が理想の政治形態だというのが私たちの常識になっているようだ。しかし、果たして民主政治が理想の政治形態であろうか。民主政治の対極にある政治形態として中国における天命による政治形態があり,これもなかなか捨て難い政治形態である。

プラトン・アリストテレス・アリストパネスなどの知識人は民主政を「衆愚政治」と批判し、プラトンは「哲人政治」を主張した。後にアテネ を含む古代ギリシアが衰退して古代ローマの覇権となると、大衆には国家を統治する能力は無いと考える時代が長く続いた。

塩野七生など学識経験者で、今の政治に対し、哲人政治とまではいわなくても、強い政治を望む声が少なくないのも事実だと思うが、そういう人の考えには、プラトンなど古代ギリシャの知識人の考えが、潜在的に影響しているのではないか。かかる観点から、哲人政治を理想とするプラトンの考えに照らして、中国における天命思想にもとづく政治形態は大変魅力のある政治形態であるように見える。

一年少々前に佐伯啓思は,「自由と民主主義はもうやめる」という大変面白い本(2008年11月。幻冬社)を書いた。彼の言いたいことは「アメリカ一辺倒の時代はもう終わったよ!」ということだ。

フランシス・フクヤマは、1989年、ナショナル・インタレストに掲載した論文「歴史の終わり?」において、「人間の政府の最終形態としての自由民主主義」「自由主義国家」「政治的自由主義」「経済的自由主義」が最終的な勝利を収めることで社会制度の発展が終わり、人類発展としての歴史が「終わる」という仮説を提示し、1992年にはFree Press社からさらに本格的に論じた「歴史の終わり」を発表、アメリカ新世紀プロジェクト賛同者に名を連ねるなどネオコン思想家として一躍脚光を浴びることとなる。

しかし、佐伯啓思は、フランシス・フクヤマの歴史観に対し、疑問を呈し、著書「自由と民主主義はもうやめる」(2008年11月。幻冬社)の中で、『本当に,歴史は終わったのか???」と言っているのだ。
さらに、最近、佐伯啓思は、「反・民主主義論」(2016年10月、新潮社)という本を書き、その「まえがき」で、『 2015年から16年にかけて、どういうわけか「民主主義」の意味を改めて問いかけたくなるような出来事があいついだ。それも日本だけでなく、世界的にである。』と述べ、日本、アメリカ、イギリスの例を挙げた上で、『 これだけ列挙しただけでも、21世紀のこの時期に、「民主主義」が改めて問題になっているのだ。』と「民主主義」の衰退がはっきりしてきたことを強調している。

この「反民主主義論」という私の論文は、中国の「天命政治」を擁護するとともに、反民主主義を唱える佐伯啓思など多くの人たちの考えを紹介し、民主主義の本質を明らかにしようとするものである。


ホームページの更新

私は、1994年に「桃源雲情」、2004年に「劇場国家にっぽん」という本を上梓いたしましたが、「桃源雲情」の上梓後に「桃源雲情」というホームページを作り、「劇場国家にっぽん」の上梓後に「劇場国家にっぽん」というホームページを作りました。そのホームページ「劇場国家にっぽん」は2007年に更新しております。しかし、それ以降、中身の充実を図りつつもホームページ自体は更新せずに、今日まで経過してまいりました。あまりにも長い間更新しなかったために、近年の論文などを掲載する場所がなく、不都合が生じてまいりました。そこで、ようやくホームページの更新をすることといたしました。新しいホームページの中心テーマは「日中友好親善」です。合わせて、新しい情報をできるだけ掲載するようにいたしました。それが次のホームページです。

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/2017hp/aratanahp.pdf

今後、「日中友好親善」を念頭にいろいろと書いてゆきたいと考えております。

2017年8月13日 (日)

希望の習近平(その6)

希望の習近平(その6)
新たに習近平に期待するもの
4、中国伝統文化(その3)
そういう私たち日本人であるからこそ、本来日中友好親善を深めなければならないのであるが、最近の話としては周恩来のご恩を忘れてはならない。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/nityuusaisin.pdf


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