文化・芸術

2018年8月17日 (金)

下鴨神社

下鴨神社

私の新たなホームページ( http://www.kuniomi.gr.jp/geki/2017hp/aratanahp.pdf )の「旅の総括」の「NO5、京都の紹介」の「1、平安遷都を深く知るために」に「(7)下鴨神社」を追加しました。

「旅の総括」: http://www.kuniomi.gr.jp/geki/2017hp/hptabi.pdf

2018年8月14日 (火)

比叡山

私のホームページのWhat’sNewの更新について

比叡山は、京都人にとって守り神のような存在として親しまれている山である。

私も京都生まれの京都育ちであるので、そのような感覚を持っている。天皇や京都御所を守護する山と言われてきたが、それはそれとして、私たち京都人にとってそういうことではない。また、延暦寺という高野山と並んで日本を代表する寺院があるからでもない。

しかし、天台宗の総本山・延暦寺から数々の名僧が出ているので、そういう名僧たちの存在によって、私は延暦寺を誠にありがたい寺院であるとは感じている。例えば、私は、延暦寺の名僧・元三大師の角大師(つのだいし)は、廬山寺で天皇自らがお刷りになって庶民にお配りになったことを知っている。また、源氏物語の作者・紫式部は、延暦寺の名僧・源信を深く尊敬しており、源氏物語に源信の思想が反映していることも知っている。

したがって、私としは、延暦寺が如何に素晴らしい寺院であるかを知ってもらいたいと思う。

そこでこ延暦寺の知られざるところを紹介するために私のホームページのWhat’sNewを更新した。

私のホームページのWhat’sNew:  http://www.kuniomi.gr.jp/geki/

地域再生のための参考実例(その7)

地域再生のための参考実例(その7)
「NPOおっちラボ」

「NPOおっちラボ」は、2011年から雲南市が主催する次世代育成事業「幸雲南塾~地域の未来を創る人の育成塾~」卒業生が中心となり、2013年4月に立ち上げた組織です。地域の未来を創る若手実践家(若者チャレンジ)の育成や、若者や市民の地域活動を支援しています。
http://occhilabo.com/

このような地域再生のためのNPO法人を作ることすらなかなかうまくいかないのが実態かと思う。雲南市の場合は先進事例として注目に値すると思うので、是非全国の市町村長さんには、雲南市の事例を参考に地域再生に取り組んでもらいたい。地域の未来を創る若手実践家(若者チャレンジ)の育成は地域再生の一つの課題である。一人でも若手実践家(若者チャレンジ)が出てくれば、必ず仲間が出てくるであろう。Uターンで故郷に帰ってくる人も出てくるに違いない。



鞍馬山

鞍馬寺

私の新たなホームページ( http://www.kuniomi.gr.jp/geki/2017hp/aratanahp.pdf )の「旅の総括」の「NO5、京都の紹介」に「14、鞍馬寺」を追加しました。

「旅の総括」: http://www.kuniomi.gr.jp/geki/2017hp/hptabi.pdf

2018年8月12日 (日)

地域再生のための参考実例(その6)

地域再生のための参考実例(その6)
「ささえ合い交通」
NPO 法人 「気張る!ふるさと丹後町」(京都府京丹後市、理事長 村上正宏)が運行する「ささえ合い交通」は、 Uber のアプリベースの ICT システムを活用した「公共交通空白地有償運送」として 、2016 年 5 月 26 日に運行開始してから 1 周年を迎えました。
「ささえ合い交通」は、京都府京丹後市丹後町という人口 5,392 人*で、そのうち 65 歳以上の高齢者が 4 割以上  の地域で運行しています。過疎化による人口減少により、公共交通サービスの継続が十分にできなくなり、そのため利便性の高い交通手段として地域の方々の足となるべく運行しています。テクノロジーを活用して地元の住民が既に保有する自家用車(マイカー)を有効活用することにより、新たな財源を投入する必要がなく、また地域住民が空いた時間に自らドライバーとして参加することにより、持続可能なサービスの確立を目指しています。
ここ1年の間、「ささえ合い交通」は地元の方々の足として活躍してきました**。毎月平均 60 回以上乗車していただいており、特に平日の午前中にご利用いただくことが多く、日常使いだけでなく観光の足としてもご利用いただいています。これまでの合計走行距離は 6,754 km となり、地球の赤道半径以上、丹後町からオーストラリアまで行ける距離となりました。
全乗車の約 8 割が地元の方のご利用によるもので、スーパーや病院、役所などが集まる峰山町や網野町などへの日常的なご利用が多く見られ、「病院や知り合いの家に行くのに利用しています。一人で外出できたので嬉しかったです」 などと喜ばれています。高齢の方にはバス停までの距離までもが遠く感じる方も少なくなく、「玄関先まで来てくれるのが嬉しいですね。
https://www.uber.com/ja-JP/newsroom/kyotango-1yr-anniversary/

京丹後市丹後町の「ささえ合い交通」は、「地元の住民が既に保有する自家用車(マイカー)を有効活用し自らドライバーとして参加する」というところが素晴らしい。多くの過疎地域で京丹後市丹後町の「ささえ合い交通」を見習うと良い。


リズム論(その35)

リズム論(その35)

おわりに

私は「はじめに」で次のように述べた。すなわち、

『 佐伯啓思の主張する「シヴィック・リベラリズム」、すなわち「共和国の精神」というものを十分認識した上で、私たち日本人は、日本的精神を外国人に語らねばならないと思う。私たちは、歴史的にずっと仏教や神道を信仰してきて、日本的精神を作ってきたのだ。では、日本的精神とは何か? そこが問題の核心である。日本的精神をひと言で言えば、「脱主体化」、すなわち自己主張しないことである。それが何故立派なことであるのか、西欧人には理解されなくとも、今後は、私たち日本人はそれを十分理解した上で、西欧人に判ってもらう努力をする必要がある。』

『 この「日本的精神」に関する哲学としては、佐伯啓思のいうとおりかっての西田幾多郎の「無の思想」があるが、比較的最近のものとしては、私の尊敬する中村雄二郎の「リズム論」がある。佐伯啓思や呉善花は中村雄二郎の「リズム論」にはまったく触れていないので、私は、以下において中村雄二郎の「リズム論」について詳しく述べていきたい。そこでは、中村雄二郎の「リズム論」の世界性を述べることになる。また、佐伯啓思が「日本的精神」との関連で触れている「無」についても、その世界性を述べるとともに、中村雄二郎の「リズム論」と西田幾多郎の「無の思想」との繋がりを明らかにするつもりだ。』・・・と。

私は第3章で「無」について述べた。 無の哲学は西洋ではまったくの未熟であると言っていい。それに対して日本では、西田幾多郎によって無の哲学が基礎づけられたし、今後、いくつかの課題を解決して、西洋に通用する無の哲学が完成する可能性は高い。無の哲学こそこれからの世界にあるべき哲学であると思う。

私たち日本人は、リズム論に基づく生活を続けながら日本的精神を生き、かつ、同時に、「哲学的宗教」である道教にエールを送りながら「日中友好親善」を深めて行かなければならないのではないか。ヨーロッパアメリカ文明は、キリスト教も含めて終焉を迎えている。これからあるべき「哲学的宗教」は多神教でなければ世界はやって行けないと思う。日本の宗教は多神教だが、残念ながら哲学の裏打ちがない。中村雄二郎のリズム論はその端(はし)りでしかない。したがって、世界の人びとに日本人の宗教観を理解してもらうことは難しい。「哲学的宗教」である道教は世界最強の宗教である。「哲学的宗教」である道教にエールを送りながら、私たちのやれることをやって行こう。これから大事なことは、中村雄二郎のリズム論を発展させることである。そのためには、多くの人が「野生の思考」に関係のある思想や哲学を書いていく必要がある。

私は、今後多くの人によって「野生の思考」に関係のある思想や哲学が書かれることを大いに期待しながら、第2章第3節に、「野生の思考」と関係のある思想や哲学をピックアップしておいた。それらは、これからあるべき哲学を見据えての私の勉強の成果であるが、こういった勉強はこれからも引き続き続けて行きたいと思う。それらの成果は以下のとおりである。

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/aratana.pdf


What'sNewの更新

私のホームページのWhat’sNewの更新について

鞍馬寺の高い人気の秘密は、サナート・クラマ縁起や牛若丸伝説に負うところが大きいが、 くわえて「鞍馬の火祭り」、「鞍馬の竹切り会(え)」、「満月祭」などのユニークな祭りのおかげである。 なかでも満月祭は珍しい。

それを紹介するために私のホームページのWhat’sNewを更新した。

私のホームページのWhat’sNew:  http://www.kuniomi.gr.jp/geki/

2018年8月10日 (金)

赤城山

2017年5月、スローシティに、群馬県前橋市の赤城地区が加盟した。地域は、赤城山南麓で市の北半分に当たる赤城地区(宮城、富士見、芳賀、大胡、粕川地区の一部)の155平方キロメートル、人口約5万人の地域である。

スローシティ赤城は日本でも稀有な素晴らしいところである。そこで私は、私の「ピンタレスト」に「赤城山」を追加した。

https://www.pinterest.jp/kuniomiiwai/

リズム論(その34)

リズム論(その34)

第3章 無について(その4)

第4節 私たちはどうすれば無の心境になれるか?

私たち普通の人間は、無心に祈っている時だけしかそういう心境になれないのではないか?

ただし、その前提として、自己を超越する、すなわち脱主体化が必要で、中村雄二郎のリズム論に基づく生活を続けることが不可欠である。

その理由は、我思う故に我ありというデカルト哲学に基づく限り、あくまでも自己が中心で、脱主体化ということはあり得ない。脱主体化の哲学、それは中村雄二郎のリズム論である。したがって、脱主体のためには、中村雄二郎のリズム論に基づく生活をす必要があるのである。リズム論に基づく生活については、第2章に書いたとおりである。しかし、そこでは無との関係で少し書き足らなかった点があるので、この際ここで、無心に祈るということとリズムとの関係を説明しておきたい。冒頭に述べたように、私たちが神に祈りを捧げる時、その祈り方にもよるが、無心の心境になって祈りを捧げることは可能である。

無心という言葉の意味はいろいろあるが、無心に祈るという場合の無とは、ここで問題にしている「無」であって、冒頭に述べたように西田幾多郎の絶対無のことである。

無心に祈っていると何故心が安らかになるのか? これは科学的事実だろうと思うが、それを中村雄二郎のリズム論と結びつけて理解することは大変難しい。私は、第2章第2節の5で記憶の再生が波動現象、つまりリズムのなせるわざであることを説明した。その説明は、「脳と心の量子論・・場の量子論が解き明かす心の姿」(治部眞理、保江邦夫、1998年5月、講談社)によっているが、その本は私の教科書になっており、私の電子書籍「書評・日本の文脈」の補筆『「こころ」とは何か?・記憶、学習、について』でその詳細を紹介した。その教科書から今ここで必要なことをビックアップして見よう。その教科書では次のように述べられている。すなわち、

『 量子脳力学では、外界からの刺激やそれに対する意識の印象も含めた内的な刺激も、最終的に細胞骨格や細胞膜のなかに作られる大きな電気双極子の形にまで変形された後、その近くの水の電気双極子の凝集体として安定に維持されると考えている。』

『 水の電気双極子の形は、大きな耳を付けたミッキーマウスのような形をしているので、水の電気双極子をミッキーマウスの顔と呼ぶ。』

『 外部の刺激や内的な刺激に応じて、ミッキーたちはシンクロナイズスイミングのような華麗な集団演技をやっているらしい。』
『 生物が死んだ場合、ミッキーたちの動きがだんだんとバラバラになっていき、だんだんとダイナミカルな秩序が消えていってしまうらしい。』
『 量子の世界のミッキーたちは、量子電磁場の調和のとれた美しい波動、華麗な光の「音楽」にあわせて、素晴らしいシンクロナイズスイミングの集団演技を披露してくれるのです。』
『 大脳生理学や分子生物学の範囲の中では、いまのところこれといった新しい記憶の理論はないようで、そこで唯一新たな地平を切り開いているのが、量子場脳理論ということらしい。これは、1960年から70年代にかけて、二人の日本の物理学者・梅沢博臣と高橋康が場の量子論における「自発的対称性のやぶれ」という斬新な記憶の理論を提唱し、現在の研究に引き継がれているものです。』
『 脳の組織の中には、形態としては複数の脳細胞の集団なのですが、機能的には一塊の水の電気双極子の凝集体の中に有機的に取り込まれていると考えられる組織で、50マイクロメートル程度の空間的な拡がりを持つものがあり、記憶を含めた高度な脳の機能を生み出している。』
『 新たな刺激によりその凝集体のある部位の細胞骨格や細胞膜の生体分子が電気双極子を持つようになった場合に、凝集体の中に南部・ゴールドストーン量子であるポラリトンが発生する。』
『 このポラリトンの生成を意識する主体こそが「こころ」と呼ばれるものの実態なのです。』
『 「こころ」のほんとうの姿は脳の中に拡がる無限個の光子のそのものであり、 その運動状態が変わるということとして理解できる。』
『 場の量子論というのは、宇宙全体に適用される一般的かつ普遍的な理論体系だが、脳の中のミクロの世界にも適用できる統一的な物理法則であり、脳に関する物理的な学問は量子脳力学と呼ばれている。そして、量子脳力学では、生命というもの、記憶や意識というもの、そして心の実態というものが、物理的に理解されるようになってきている。』
『 記憶とは、体験のことである。 記憶や意識というもの、そして心というものは、物理現象以外の何ものでもない。ということは、体験というものがすべての始まりであるということだ。胎芽時代の体験、胎児時代の体験、幼児時代の体験、子供時代の体験、青年時代の体験、壮年時代の体験、老年時代の体験それぞれが大事である。それぞれの体験によって「心」というものが形成されて育っていく。はじめから「心」というものがある訳ではない。』

以上で大事なのはミッキーマウスと呼ばれる光子である。量子能力学では、光子は波動と考えられているので、ウオータースイミングの集団演技としての動きが問題である。その動きは、私が思うに、その人の体験つまりその人のアイデンティティーによってさまざまである。産まれたばかりの赤ん坊は、純粋無垢で100パーセント乱れがない。それと同じように、無心に祈っている時は、ミッキーマウスが行う集団演技の動きに乱れがまったくない。心配事や邪念が増えると、その乱れは大きくなっていく。病気になって死にそうになってくると、安定化しようとする力がなくなって、遂には死んでしまう。生きている状態というのは、ミッキーマウスの行う集団演技の動きが多少乱れても、それを安定化しようとする力が働いている状態である。

この不思議な波動の世界を説く鍵は、ミッキーマウスと呼ばれる光子である。量子能力学では、光子は波動と考えられているので、ウオータースイミングの集団演技としての動きが問題である。その動きというのは、リズムである。赤ん坊のように純粋無垢の状態になること、それができるのは、私たちの場合、無心に祈る時だけである。通常は、第2章第3節に書いた中村雄二郎のリズム論に基づいた生活をすることぐらいのことしかできない。通常はそうだが、時には無心に祈ることもやってみたいものだ。

2018年8月 9日 (木)

紫式部ゆかりの地

「紫式部ゆかりの地」を加筆修正しました。

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/murayukari.pdf


蘆山寺境内の南側から入って行く山道は、誠に貴重な空間であるので、より詳しい説明をした。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/kityounakuu.pdf

また、法成寺の位置についても、地図で説明した。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/itihousei.pdf


より以前の記事一覧

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