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2020年6月26日 (金)

沖縄の歴史(その4)

沖縄の歴史(その4)

第2章 縄文時代の琉球人(その2)
第2節 縄文時代における琉球と日本本土との交流

縄文時代において、わが国本土では、琉球諸島との交流はあったのか? それから話をしたい。交流はあったのである。柳田国男の「海の道」はあまりにも有名であるが、弥生時代から南洋諸島とわが国本土の往来はあった。中でも有名なのは、「貝の道」である。

北部の島々は、旧石器時代以来、一貫して南九州の文化圏に属し、九州の土器文化をストレートに受け入れ、西日本の文化と歩みを共にした。

中部の奄美や沖縄地域に、縄文文化が伝わるのは大幅に遅れた。

1975年、沖縄本島中部の渡具知東原(トグチアガリバル)遺跡で、中九州の曾畑式土器が発見され、さらにその下から爪形文土器が出土した。しかも爪形文土器が出土した層は、アカホヤ火山灰層の上層からの発見であった。すなわち、この時、7000年前頃、中部地域に九州の縄文文化が伝播したと考えられる。長い「貝塚時代」が始まる。


さて、「貝の道」であるが、 北海道伊達市噴火湾の小島(通称モシリ)にある縄文時代晩期~続縄文時代の遺跡・有珠モシリ遺跡で南海産イモガイやベンケイガイの腕輪やゴホウラの垂飾(すいしょく)が出土していること、噴火湾の北・虻田町の入江貝塚から、沖縄以南の南の海でしかとれないオオツタノハ製の貝輪が見つかっていることなどから、琉球列島と日本本土とを結ぶ広範囲な「貝の道」が注目されている。

これら北海道の遺跡から、鬼界島カルデラの大噴火の際、西日本本土のみならず北海道まで逃げて行った人たちがいたことがわかる。


第2章第2節の全文:http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/okireki22.pdf

 

 

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