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2020年1月13日 (月)

人はなぜ狐に騙されなくなったのか(その6)

人はなぜ狐に騙されなくなったのか(その6)

(3) 岩井國臣の考え(その1)

 「日 本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」。ここに紹介した理由はそれぞれにもっともだと思う。
  しかし,私は,内山節(たかし)の説に深い感銘を覚えており,ここに詳しく紹介した次第である。生命の世界と響き合い,イキイキとした生き方を生きるため に,生命世界の有様を「神のかたち」に仮託する代わりに,キツネにだまされるという物語が語られる。このことは誠に大事なことである。今後も,新たに「キ ツネにだまされる物語」が語られる必要がある思うが,その復活には若干年月がかかると思うので,現在必要なことは,過去に語られた物語を拾い集めること と,そのもの語りがしっかりと残っている所では,津川や王子の「キツネの行列」地域の行事として行なうことだ。

 津 川や王子の「キツネの行列」は、 生命の世界と響き合い,イキイキとした生き方を生きるために行なわれている。私の考えでは,こういう地域は,縄文時代からの「生命性の歴史」が息づいてい るのであると言えるのではないか。
 ウィ キペディアには次のような説明がなされている。す なわち、
『  一般に死骸がバクテリアに分解される際、リン化合物が光って狐火になる現象だったのではないかと言われているが、現在のところそれを確定する根拠は示され てはいない。
し かし、狐火がよく出た年は豊作であるという言い伝え(宮城地方)などは、化学肥料がなかった時代、動物の死骸の数と米の収穫量の関係からその説を支持す る。また、狐火がキツネと関係しているというのは、キツネが死肉もあさるということや、木の根付近に食べ残しを地中に埋めて忘れる習性から考えて不思議で はない。』・・・・と。

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