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2019年9月14日 (土)

蹴上疏水公園について

蹴上疏水公園について


明治になって、東京が首都となり、天皇が東京にお移りになった。

 京都は、「<天皇はん>がおられなくならはった!」ということで、騒然となった。
明治政府はそれを鎮めるため、わが国近代化の先駆けをまず京都で行うこととした。すなわち、かの有名な疎水運河と、そしてそれに関連し、わが国最初の発電所と電気鉄道、この三大プロジェクトの建設である。私は,明治政府に天皇ゆかりの人たちが多かったので,こういう世紀のプロジェクトが行い得たのだと思う。明治政府にはまさに心のこもった人たちがいたのである。

天皇が京都から東京に行かれたことで、京都は大騒ぎになった。それを抑えるために明治政府は、世紀の大事業をやらざるをえなかった。 琵琶湖疏水によって、今まで荷馬車による運搬が舟運に変わったこと、ついで発電により個人の家に電灯がつき始めたこと、三つ目にチンチン電車が走り始めたこと、これらの世紀の大事業によって、京の人たちは、明治政府の誠意を見て、やっと納得したのである。

それら大事業の要となる琵琶湖疏水は、非常な難工事で、当時の土木技術では到底成し遂げられない筈のものであるが、それを成し遂げたが田辺朔郎である。田辺朔郎と言っても知らぬ人がほとんどだと思うが、誠に偉大な人物で、明治維新の大功労者の一人である。その銅像が南禅寺の蹴上疏水公園にある。蹴上疏水公園では、蹴上の発電所の発電用水の取り入れ口やかの有名なインクライを見ることができるし、近くの疏水記念館に行けば、琵琶湖疏水がいかに難工事であったか、またそれを田辺朔郎がいかに取り組んだかを知ることができる。

明治維新を理解するため、何はともあれ蹴上疏水公園に是非一度は出かけて欲しい。では、蹴上疏水公園の詳しい説明をしたいと思う。

蹴上疏水公園: http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/sosuikouen.pdf

 

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