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2019年7月 7日 (日)

慈覚大師(その27)

慈覚大師(その27)
おわりに

円仁は、唐から帰った後の活躍は凄まじいものがあった。この論文では、京都の赤山禅院、広隆寺の牛祭り、立石寺、中尊寺、有珠善光寺について述べたが、円仁が開山したり再興したりしたと伝わる寺は関東に209寺、東北に331寺余もあるのである。

円仁がこれだけの活躍ができたのは、秦氏の支援があったからである。第3章第4節で述べたように、慈覚大師と秦一族とは一体というか非常に深いつながりがあったのである。

平安時代、桓武天皇の二大政策目標は、平安京の建設と東国の経営であった。
そのうち、平安京の建設に秦氏が惜しみなく協力したことは、すでに述べた。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/hatasini.pdf

では、東北経営についてはどうであったのか? 秦氏は、円仁を支える形で、桓武天皇の東国経営にも然るべき役割を果たしていくのである。この論文では、円仁の業績の主なものを書いたが、その裏には秦氏の支援があったことを忘れてはならない。


秀真伝(ホツマツタエ)という誠に不思議な書物がある。歴史書でもああり、哲学書でもある。一般には、偽書と言われているが、私は、そうではなくて、実際に円仁が東国の平和を願って書いたものと考えている。その結論は、次のとおりである。

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/hotumaketuron.pdf


秦一族は、朝廷に惜しみなく協力するとともに、東国を中心に、養蚕、織物、土木工事、鉱山開発など殖産産業の振興に絶大な貢献をした物凄い一族だったのである。

この論文で紹介したもののうち、立石寺は特別の寺である。多くの人は一度はお参りに出かけておられると思うが、まだお参りに行っていない人は、是非、お参りに出かけて欲しい。そして、立石寺創建の裏に秦氏の支援があったことを想って欲しい。そのために、私はこの論文を書いた。

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