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2019年6月 8日 (土)

慈覚大師(その13)

慈覚大師(その13)
第3章 立石寺(その3)
第2節 ライシャワーの碑

ライシャワーは、アメリカの歴史学者。長老派教会宣教師で仏教研究家の A.ライシャワーの子として生れ,16歳まで日本で過した。 1931年オバーリン大学を卒業し,32年日本および中国の歴史と文化を研究してハーバード大学で修士号を取得。 33~38年パリ,日本などに留学。 39年慈覚大師円仁の研究でハーバード大学から博士号を取得。同大学で教鞭をとり (1939~42講師,46~50助教授,50~60,66~81教授) ,その間第2次世界大戦中の 43~45年国防省,45~46年国務省などに勤務。 56~61年ハーバード=燕京研究所所長などを務めた。

ジョン・F・ケネディ大統領からの大使就任要請を受諾したライシャワーは、1961年(昭和36年)4月には駐日アメリカ特命全権大使として東京に赴任し、「日本生まれのアメリカ大使」として日本人の妻とともに日本国民から人気を博す。

1980年(昭和55年)10月に定年で退職するまでハーバード大学日本研究所などで研究活動を続けるなど活躍したほか、その後も多数の著書を出し続けた。
なお、ハーバード大学日本研究所は、ライシャワー退職後の1985年(昭和60年)にライシャワーの業績をたたえて「ハーバード大学ライシャワー日本研究所 (RIJS)」と改称された。
1987年(昭和62年)冬に、公式訪米中の皇太子明仁親王と美智子がライシャワー邸に滞在した。


「入唐求法巡礼行記」を現在の日本人に理解できるように提供したのは、ライシャワーである。彼は、日本を日本史の単独でなく、中国史と東アジア史並びに欧州史をも含め多角的に大局的に分析し解説した。そのような多角的な研究によりライシャワーは博士号をとったのである。

そして、彼は「入唐求法巡礼行記」の英訳も行なった。現在ではさらに世界各国の言葉に翻訳されて世界の多くの人に読まれている。

円仁と「入唐求法巡礼行記」が世界的に有名になったのは、元駐日アメリカ大使のライシャワー博士が、その論文の中でマルコポーロの「東方見聞録」よりも歴史的に価値が高いとして世界の人々に広く紹介したことによる。

そのライシャワーの碑が芭蕉記念館の前庭にある。

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/raisyawano.pdf

 

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