« 地域再生・イタリアに学ぶ(その14) | トップページ | 慈覚大師(その2) »

2019年5月16日 (木)

慈覚大師(その2)

慈覚大師(その2)
はじめに(その2)

以上のように慈覚大師ゆかりの地が京都はもちろん京都以外にも当然ある。そこで、この際、それらを統合して「慈覚大師について」という論文を書くことにした。


円仁(延暦13年(794年)〜貞観6年(864年))は、第3代天台座主。慈覚大師(じかくだいし)ともいう。大同3年(808年)、15歳のとき、広智に連れられ比叡山延暦寺に上り、最澄に師事する。最澄に忠実に仕え、学問と修行に専念して師から深く愛される。最澄が止観(法華経の注釈書)を学ばせた弟子10人のうち、師の代講を任せられるようになったのは円仁ひとりであった。
弘仁5年(814年)、言試(国家試験)に合格、翌年21歳で得度(出家)する。弘仁7年(816年)、23歳で三戒壇の一つ東大寺で具足戒(小乗250戒)を受ける。
この年、師最澄の東国巡遊に従って東国に向かう。最澄のこの旅行は、新しく立てた天台宗の法華一乗の教えを全国に広める為、全国に6箇所を選んでそこに宝塔を建て、一千部八千巻の法華経を置いて地方教化・国利安福の中心地としようとするものであった。
弘仁13年(822年)29歳で最澄から一心三観の妙義を授けられ、その後最澄は死去。
そして、最後の遣唐使として唐に留学するのである。唐での修行は凄まじいものであり、その苦労は「入唐求法巡礼行記」を見ればわかる。

帰国後の活躍もこれまた凄まじいものであった。
円仁は、目黒不動として知られる瀧泉寺や、山形市にある立石寺、松島の瑞巌寺を開いたと言われる。円仁が開山したり再興したりしたと伝わる寺は関東に209寺、東北に331寺余あるとされ、浅草の浅草寺もそのひとつ。このほか北海道伊達市まで渡り、有珠善光寺を創建した。全く驚くべきことである!

今回のこの論文では、唐での苦労と帰国後の業績の主なものを書くことになる。

« 地域再生・イタリアに学ぶ(その14) | トップページ | 慈覚大師(その2) »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 地域再生・イタリアに学ぶ(その14) | トップページ | 慈覚大師(その2) »