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2019年5月25日 (土)

慈覚大師(その6)

慈覚大師(その6)
第2章 京都における慈覚大師ゆかりの地(その1)
第1節 赤山禅院(その1)

赤山禅院の公式ホームページによると、赤山禅院の由緒は次の通りである。
赤山禅院(せきざんぜんいん)は、平安時代の仁和4年(888年)に、第三世天台座主 円仁の遺命によって創建された、天台宗総本山 延暦寺の塔頭のひとつです。
慈覚大師 円仁(794年~864年)は、838年、遣唐使船で唐に渡り、苦労の末に天台教学を納めました。その行程を守護した赤山大明神に感謝し、赤山禅院を建立することを誓ったとされます。
日本に戻った円仁は天台密教の基礎を築きましたが、赤山禅院の建立は果たせませんでした。その遺命により、第四世天台座主 安慧(あんね)が赤山禅院を創建したと伝えられています。
本尊の赤山大明神は、唐の赤山にあった泰山府君を勧請したものです。泰山府君は、中国五岳(五名山)の中でも筆頭とされる東岳・泰山(とうがく・たいざん)の神であり、日本では、陰陽道の祖神(おやがみ)になりました。
赤山禅院は、平安京の東北にあり、表鬼門に当たることから、赤山大明神は、皇城の表鬼門の鎮守としてまつられました。
以来、皇室から信仰され、修学院離宮の造営で知られる後水尾天皇(1596~1680)が離宮へ行幸された際、社殿の修築と「赤山大明神」の勅額を賜っています。
現在も方除けのお寺として、広く信仰を集めている由縁です。

また、赤山禅院は、
●天台宗随一の荒行、千日回峰行の「赤山苦行」の寺
●千日回峰行を満行した大阿闍梨により「ぜんそく封じ・へちま加持」「珠数供養」「泰山府君祭」をはじめとする加持・祈祷が行われる寺
●全国の七福神めぐりの発祥とされる都七福神のひとつ、福禄寿の寺
●「五十(ごと)払い」の風習の始まりとなった、商売繁盛の寺
としても知られています。
開創以来、1100年以上もの長い歴史を経て、赤山禅院には数々の由緒が重なり、さまざまな信仰を集めています。

 

公式ホームページの赤山禅院に関する説明は以上であるが、他のいろんなホームページを見ても、公式ホームページ以上の詳しい説明がなされているものはない。公式ホームページによる説明がいちばん詳しい説明であるようだ。しかしながら、次の説明はまことに簡潔な説明になっているとはいえ、疑問に思う点がいくつかある。例えば、「円仁という人はどのような人か?」「円仁は、唐からの帰国後なぜ赤山禅院を建立することを誓ったのか?」「泰山府君とはどのような神なのか?」「日本において、泰山府君がどのような経緯で 陰陽道の祖神(おやがみ)になったのか?」「千日回峰と赤山禅院との関係?」「赤山禅院がなぜ商売繁盛の寺となったのか?」などについて、もっと詳しい解説がないと、赤山禅院の真の姿を理解したことにならないように思う。そこで、以下において、私なりの詳しい解説を試みようと思う。

まずは以前に書いた赤山禅院に関する私のホームページを振り返ってみたい。
http://www.kuniomi.gr.jp/togen/tabi/heian1.html


http://www.kuniomi.gr.jp/togen/tabi/heian2.html


http://www.kuniomi.gr.jp/togen/tabi/heian3.html


これらのホームページを見ていただければ、上記の疑問のある程度の部分は解消されると思うが、以下において逐次より突っ込んだ解説をしていきたい。

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