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2019年3月12日 (火)

水田農業のあり方(その1)

水田農業のあり方(その1)
はじめに


ニーチェは、当時のキリスト教団体を含むキリスト教の価値観と戦い、人間の尊厳を取り戻そうと悪戦苦闘した大哲学者であるが、東洋の神に憧れを持ちつつも、結局は神を信じなかった人である。ニーチェは、ニヒリズムに陥ると人間の尊厳はなくなるとして、ニヒリズムの何たるかを哲学的に深く考えたが、神を信じることができなかったので、結局は発狂して狂い死にしてしまう。神は存在するのか存在しないのか? そのことが大きな哲学の課題になっていたが、その後、ホワイトヘッドは神の存在を哲学的に明らかにした。さらに後年になって、ハイデッガーは、神の存在する(「神とのインターフェース」の多い)「故郷喪失」こそニヒリズムに陥る原因であると、哲学的思考を深めた人である。以上のことは、私の「故郷論」に書いたが、故郷は、実際の故郷のみならず、心の故郷も含めて、ただ単に懐かしいという思いを抱かせるものにとどまらず、哲学的意味を持ったものであり、絶対に守りとおしていかなければならなものである。

そのためには、地域のやるべきことと国がやるべきことがある。

私の故郷論:http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/hurusatoron.pdf


地域の役割については私の「故郷論」の中で一応具体的なことを書いたが、国の役割については、「ふるさと創生」の本質をよく考えて欲しいと述べただけで、その具体的な内容を書くことができなかった。新たな「ふるさと創生」を考える上で、林業の再生と水田農業の再生は二つの大きな柱かと思う。林業のあり方については、先般、梶山恵司の「日本林業はよみがえる」を紹介することで、日本林業のあり方について具体的な課題が明確になったかと思う。問題は農業のあり方である。

幸いにもこのたび、生源寺真一の「農業再建」((2008年1月、岩波書店)という本「日本の農業の真実」(2011年5月、筑摩書房)いう二冊の本が見つかった。梶山恵司の「日本林業はよみがえる」もそうだが、それらの名著を読まずして「故郷論」を書くなどお恥ずかしい限りである。梶山恵司の「日本林業はよみがえる」はすでに紹介したので、今回は生源寺真一の「農業再建」と「日本の農業の真実」を読みながら、彼のもっとも言いたいところを紹介したいと思う。今後、それに基づいて私の「故郷論」を加筆修正したい。

生源寺真一は、東京大学農学部教授、名古屋大学農学部教授を経て、現在は福島大学教授
。これまでに日本フードシステム学会会長、日本農業経済学会会長、食料・農業・農村政策審議会会長などを歴任。多くの著書がある。

生源寺真一は、「日本の農業の真実」のなかで、『ひとことで農業政策といっても、その範囲は実に広い。しかし、日本農業最大の問題は水田農業にある」と述べている。そこで、ここでは水田農業に焦点を絞って、「農業再建」と「日本の農業の真実」を読んでいくこととしたい。日本農業のあり方は、「日本の農業の真実」でわかりやすく論ぜられている。

政治の役割および行政の役割の重要性は絶大である。国は、生源寺真一の「日本の農業の真実」にしたがって、水田農業の再生、地域再生のために全力を尽くすべきである。

再度申し上げるが、故郷は、実際の故郷のみならず、心の故郷も含めて、ただ単に懐かしいという思いを抱かせるものにとどまらず、哲学的意味を持ったものであり、絶対に守りとおしていかなければならなものなのである。

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