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2019年3月14日 (木)

水田農業のあり方(その2)

水田農業のあり方(その2)
第1章 誰が支える日本の農業(その1)


第1節 昭和一桁世代に依存する水田農業


2000年の農業センサスによれば、日本には13万5163の農業集落があり、このうち水田集落は8万86を数える。統計上の水田集落とは、農地に占める水田の割合が70%を超える集落を指す。そして同じ農業センサスによると、半分の水田集落には主業農家が一戸も存在しない。正確にいうと50・4%にあたる4万342集落には主業農家がいない。農家らしい農家が一戸もない集落が半数を超えるのである。これが水田農業の実態である。高齢化が著しく進んだ山間部の集落だけでない。耕作の条件に恵まれた平地農業地域の水田集落でさえも、その45%には主業農家が存在しないのである。

それでも日本中の水田が荒れ果てているというわけではない。一部には耕作放棄地の拡大が憂慮されている。また、少なくとも現在までのところ大半の水田で耕作が維持されている。これを支えているのは、ひとつには地域で広い面積の耕作を引き受けている農家や法人の存在である。残念ながら、いまのところ少数であり、そのシェアはそれほど大きくはない。2000年の時点で農林水産省が推計した結果によれば、米の生産額に占める主業農家のシェアは36%に過ぎない。この推計からは販売金額の小さい自給的農家が除かれているから、これでもいくぶん過大に見積もられていると言って良い。ちなみに同じ推計によると、生乳生産に占める主業農家のシェアは96%、野菜生産に占める主業農家のシェアは85%であった。

水田農業を支えているもう一つの要素、それは昭和一桁世代の頑張りである。農村を訪ねてみると、稲作作業に、あるいは水田に不可欠な用水路の維持保全の仕事に従事している元気な高齢者の姿を見かけることが多い。昭和一桁世代は、農業従事者の層が非常に厚いことで知られている。

仮に10代後半で職業に就いたとすると、世代が農業に従事しはじめたのは、終戦前後から高度経済成長期のスタートのころまでということになる。多くは専業農家であった生家の農業を継ぐかたちで就農したに違いない。けれども、経済成長とともに専業農家は兼業農家に移行し、第一種兼業農家は第二種兼業農家に移行するという大きな流れが形成された。この流れのなかで昭和一桁世代の農業者も、農業のウエイトを減らしたかもしれない。あるいは、自分自身は引き続き農業中心の生活を送っていても、子供の世代が恒常的な勤め先に通うことで、家としての農業のウエイトは低下したかもしれない。しかしながら、この世代の半世紀以上にわたる農業経験の厚みは本物である。それが今日の水田農業を支える力となっている。


今後長期にわたってこの世代に水田農業を支えてもらうことはできない。むろん、健康な生活を送っていただくうえで農作業に勤しんでもらうのは、大変よいことに違いない。けれども、長く地域農業の中心に位置し続けることはできない。

世代は移り変わっていく。水田農業にとって深刻な問題は、昭和一桁世代に続く農業者が急速に先細り状態となることである。
内発的な変化に乏しいとこころから、かえってある種の安定状態にあるかに見える兼業農家は、これを支えてきた昭和一桁世代の大量のリタイアによって、持続するポテンシャルを急速に失いつつある。現状の農業構造の固定化は、水田農業の衰退を放置することとほとんど同じである。

何としても後継者世代の育成を図らなければならない。後継者世代の先細り状態は、高度成長期以降の若者の就業選択の帰結であって、この事態を短期日のうちに解消することは難しいことではあるが、集落営農に希望をもちたい。
集落を基礎とした営農組織は、通常、集落営農と呼ばれている。一定の条件を付してではあるが、集落営農を対象とすることで、小規模な兼業農家もその一員というかたちで、国の政策の傘下に入ることが可能となった。水田農家の高齢化が著しい状況のもとで、何としても後継者世代の育成を図らなければならないのだが、集落営農には担い手のインキュベータ(孵卵器)としても機能を期待できるはずなのである。

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