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2018年12月 1日 (土)

雨乞いについて

雨乞いについて

世界の多くの文化圏に「雨は神からの贈り物であり、それが途絶えるのは神の罰である」という観念があった。方法は違えど、世界中の雨乞いの儀式は神の注意を惹き、喜ばせ、同情を買う目的で行われる。

日本でも各地に様々な雨乞いが見られる。
仏教伝来以前より、施政者である天皇には国家鎮護の声を神に届ける能力があると信じられ、祈雨もまた古来より天皇自らが神祇に祈ることによって行われた。 文献に見える最古の雨乞いの例は、『日本書紀』皇極天皇元年(642年)の条の記述である。
仏教の浸透とともに読経法会による祈雨が盛んとなり、天武天皇4年(675年)には天皇の命令で祈雨の法会が行われいる。やがて密教の隆盛とともに、祈雨の儀式は読経法会よりも修法が重んじられるようになる。

平安時代の初期、空海も雨乞いを行なった。今なお、神泉苑での雨乞い伝説として語り継がれている。

平安時代の中期、真言宗小野随心院を開創した仁海は、9度の雨乞いの要請に応えて9回雨を降らせ「雨僧正」の異名を取った。

鎌倉時代の雨乞いで有名なのは日蓮の雨乞いである。

さあ、そこで問題なのは、雨乞いの儀式によって実際に雨が降ってくるのかという問題である。そんな問題意識を持って、私は「雨乞いについて」というエッセイを書いた。

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/amagoini.pdf

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