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2018年10月10日 (水)

浄蔵について

浄蔵について

浄蔵は、非常に呪力に長けた修験者であり、平安時代、京の人々にとっては、京を守り、自分たちを守ってくれる頼もしい人物であった。

平将門の反乱の折、浄蔵は、朝廷 から命ぜられて、比叡山は延暦寺で、大威徳法(だいいとくほう)という祈祷を行っている。将門の生き霊は四明岳(しめいがだけ)の将門岩に押し込められ、 将門の勢いは急速に衰えていく。京都では伝承としてそういう話が伝えられている。
京都では、浄蔵についていくつかの伝承が語られている。
文章(もんじょう)博士の三善清行が亡くなったのは918年だが、その死去の知らせを聞いたその子の浄蔵(じょうぞう)・・・、彼は天台の修験行者で大峰山で修行中であったのだが、その彼が京都に戻ってきたとき、偶然父の葬列に出会った。 そこで・・・祈祷上手の高僧・浄蔵が念じたところ、亡くなった三善清行が一瞬蘇生したと言われており、「戻り橋」の名がある。
宇治の平等院に「葉二(はふたつ)」という名笛が残っている。元は朱雀門の鬼の笛であったところから、別名「朱雀門の鬼の笛」という。その笛を吹ける者がいなかったので、天皇の命により、浄蔵という笛の名手が、月のあかるい夜、朱雀門にきてその「葉二」を吹いた。 そうすると、朱雀門の上から、鬼が大きな声、でそれを褒め称えたという。
平安時代の初め、この八坂の塔が西へ傾くということがあった。人々は凶事として恐れた。時の天皇は浄蔵を呼びつけ元通りにするのを命じた。浄蔵は、八坂の塔に向かって祈りはじめた。天空にわかにくもり、一陣の風が吹いたかと思うと塔はゆらゆらと揺れ、元の形におさまったという。

なお、祇園祭における山伏山は、浄蔵が怨霊調伏の修行のために山伏となって金峰山や大峰山に立て籠もった時の姿である。これも誠に不思議な話である。

以上のことを書いたのが次のエッセイである。

浄蔵について: http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/jyouzouni.pdf

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