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2018年8月 8日 (水)

リズム論(その33)

リズム論(その33)

第3章 無について(その3)

第3節 無と空は同じか?

無が空と同じかどうかという問題について、私の浅学の故だろうが、納得のいく説明にお目にかかったことがない。この問題は大変難しい問題であるようだ。私の能力を超えている問題であると思うけれど、そこは恥を忍んで私の思うところを述べることとしたい。
無は、第1節で述べたように、私は、西田哲学における絶対無の意味で使っているので、ここでは、無が老荘思想における道のことであることを説明する。その上で、無が空と同じであることを説明したい。

2013年8月のNHKテレビテキスト「100分de名著」において、東京大学名誉教授の蜂屋邦夫が、老荘思想の「道」について次のように解説している。すなわち、

『 「有」と「無」とはどちらも「道」の活動である。』

『 「無」と「有」を対比させながらも、「無」と「有」は究極的には同じもの、つまりどちらも「道」である・・・という記述が「老子」にはよく登場します。』

『 結局、その「道」から、あらゆるものが生まれてくる、と老子は言っているのです。』

『 「無」といっても、そこになにもないという意味ではなく、何物であるかが規定できないから「無」といっているだけなのです。「こういうものが存在します」と明言すると、その存在に限定されてしまうので、一切合切を包括するものとして「無」という言葉を老子は使ったと考えるべきでしょう。』

『 老子は「無」というものを、なにもないのではなく、ありとあらゆる可能性を含みもつ状態だとしているのです。』・・・と。

なお、参考のために、蜂屋邦夫の「老荘を読む」(1987年7月、講談社)並びに「老子」(2008年12月、岩波書店)という本から「無」に関連する記事を紹介しておきたい。
蜂屋邦夫は、「老荘を読む」では『「無己」「無功」「無名」とは、世俗世界での自己主張、行動、評価などを、いずれも超えている、ということであろう。』述べているし、「老子第37章」では「道常無為」「而無不為」「無名之撲」「夫亦将無欲」という言葉について「無」というものを考える場合のヒントを与えてくれている。これらを読んでも「無」とは「道」と同じ概念であり、宇宙の原理をひとつの言葉で言い切ったものであることが判るだろう。老荘的世界は捉えないようのない「無」の世界であるが、それは「有」の世界、すなわち世俗の世界と切り離して考えるわけにはいかない。「道」とは、「有」と「無」とを包含したものである。そのことについては、金谷治の「淮南子(えなんじ)の思想・・・老荘的世界」(1992年2月、講談社)という名著があるので、是非、皆さん方にはそれを読んでもらいたい。

さて、2の「空について」で述べたように、 ダライ・ラマは「空は形あるものを生成させる基盤となる。」と言っているし、中沢新一も「空(力の充溢した空間)」と言っている。そして、蜂屋邦夫が「100分de名著」で解説しているように、老子は「無からあらゆるものが生まれてくる」と考えている。したがって、「空」と「無」とは同じことであると言い切って良いと思う。

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