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2018年7月 4日 (水)

リズム論(その18)

リズム論(その18)
第2章 中村雄二郎の「リズム論」 (その10)
第2節 中村雄二郎のリズム論におけるリズムとは?(その4)

3、「祈り」は「リズム」である

私の電子書籍「祈りの科学シリーズその1」は、「100匹目の猿現象」から始まって、私の論考は最終章(第13章)の「内なる神」まで進んでいくのだが、私の結論は、『「祈り」によって,「内なる神」が振動して「外なる神」と共振する。まさに、これはリズム現象である。「祈り」は「リズム」である。21世紀は,「祈りの時代」であり、また「リズムの時代」でなければならない。』という最終章の最後の言葉にある。

「内なる神」は、脳の中に存在する神で、中沢新一のいうスピリットがそうである。「モノ」には心、つまり 魂の「タマ」、それにはスピリットの作用が働いているのであり、そのお陰で「内なる神」が振動するのであり、「内なる神」と「外なる神」との響き合いが起るのだ。

 第4章で説明した通り、多くの可能性の中から、祈りは祈りの振動だけを選択しているのである。神経細胞ネットワークは祈りの振動だけを選択し、それを他の神経細胞ネットワークに伝えていくのである。その結果祈りが身体にいい結果をもたらすのである。このことは「内なる神」が祈りを聞き届けてくれたと考えざるを得ない。脳には「内なる神」が存在するのである。
 ところで共鳴(共振)というのは一体になることだから、祈りの共鳴(共振)の場合,「内なる神」と「外なる神」と一体不可分な存在である。したがって、脳に「内なる神」が存在するとすれば「外なる神」も存在するのである。

 なお、誤解があるといけないので、念のために申し添えておくが、人間というものは「内なる神」の存在する誠に不思議な動物だが、その秘密は「知恵の能」にある。

  そしてその不思議な「知恵の能」をつくったのは、実は、「外なる神」である。「内なる神」があって「外なる神」があるのではない。もともと「外なる神」がおわしますのである。第11章で説明したとおり、「外なる神」のつくったその不思議な「知恵の能」は、私たち人間はまだ一割ぐらいしか使っていないらしい。ほとんどのものがこれからの発達を待っているという。

 私は、第4章で、「この神経細胞のネットワークにある選択性が固定的なものではなく柔軟性があるということは、誠に重要なことであるのでよく覚えておいてもらいたい。」と申し上げたが、「知恵の能」は使い方次第であって、悪知恵を働かせてはならないし、ましてよほどのことでない限り「丑の刻参り」などをしてはならない。

 「祈り」こそ大いに実践すべきである。私はこれからの時代は、「祈り」の時代であると思う。
 「祈り」によって、「内なる神」が振動して「外なる神」と共振する。まさに、これはリズム現象である。「祈り」は「リズム」である。21世紀は、「祈りの時代」であり、また「リズムの時代」でなければならない。

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