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2018年6月11日 (月)

リズム論(その10)

リズム論(その10)

第2章 中村雄二郎の「リズム論」 (その4)
第1節 場所性について(その4)
3.身体内を駆け巡る粒子の不思議な現象(その1)

 清水博の「生命を捉えなおす」(中公新書)は、初版が1978年である。その後大いに研究も進み、その増補版が出たのが1990年5月である。特 に注目すべきは「関係子」という考え方であろう。中村雄二郎はメディオンと呼んだらどうかとアドバイスしたようであるが、中村雄二郎のリズム論とも関係が 深く、関係子が発生するリズムの「相互引き込み現象」は清水博の画期的な発見であるといえるようだ。関係子に関する研究がこれからどんどん進み、生命の神 秘がもっともっと明らかにされるであろう。清水博の名付けた関係子というものの着想は実にすばらしい。しかし、最近出版された「場の思想」(2003年7 月7日、東京大学出版会)には、あまりにも専門的すぎるということであろうか、関係子の話が出てこない。誠に残念である。
 清水博のイメージする関係子という概念と、中村雄二郎のイメージするメディオンという概念とは厳密にいえば必ずしも同じものではないのかもしれな いが、私は、哲学としては、やはりメディオンの方がなじみがいいと考えている。哲学としては、意識野を駆け巡る粒子又は波動(リズム)というイメージでは なかろうか。唯識においては、意識と無意識の間を循環する粒子又は波動(リズム)というイメージではなかろうか。私は、今まで、そういうイメージで粒子又 は波動(リズム)という言葉を使ってきたが、私は今後、そういう粒子又は波動(リズム)をメディオンと言い換えることとしたい。私は、中沢新一の「神の発 明」(2003年6月、講談社)におけるスプリットに注目しており、「この 世」にスプリットが出現する場合私たちの意識野にどのようなメディオンたちが出現しているのか、そんな問題が問題になってくるように思われる。スプリット たちとメディオンたち、なかなか面白いテーマではないか。メディオンについてはおいおい語っていくとして、ここでは、清水博の名付けた「関係子」につい て、その要点を説明しておきたい。

 私は今まで、生命学という言葉を使ってきたが、清水博は、生命学とは言わないで、「生命関係学」と呼んでいる。その理由は、関係性というものの重 要性を十分認識した上でのことである。生命システムは多様な複雑性とそこに自己組織される秩序があるというのが清水博の基本的な考え方であるが、その場 合、清水博の考えからすると、その秩序というものは一義的なものではなく誠に多義性に富んだものである。そういう秩序の多義性というものはどこからくるの かというのがもっとも基本的な問題で、清水博は、生命の働きを生成的、関係的に捉えない限り、その問題は解けないと考えている。関係性というものの重視で ある。その粒子がたくさん集まったときにその状態によってグループとしてのいろんな機能が出現してくるのだそうだ。もちろん粒子ごとに特定の機能というも のはあるのだが、グループとしての機能はそれら個々の機能の合計ではなくて、全然別の新たな機能は追加的に出現してくる。それは何故か。多くの粒子がどう いう状態になっているか、そそれら粒子の間の関係性によって、いろんな機能が出現するのだそうだ。そういうことで、関係性というものが大事である。そうい う関係性というものに着目して研究を進める必要がある・・・というのが清水博の考えである。

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