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2018年6月 2日 (土)

リズム論(その8)

リズム論(その8)

第2章 中村雄二郎の「リズム論」 (その2)
第1節 場所性について(その2)
2. 養老孟司の身体論(その1)

 今、養老孟司(ようろうたけし)の「バカの壁」(2003年4月、新潮社)という本がベストセラーになっている。彼は、かって永く東大の解剖学の教授をしていて、まあいうなれば脳の専門家である。「唯脳論」などという本も書いているのだが、彼のいうことには吃驚することが多く、目からウロコが落ちるようなことが多い。今回の本もそうだ。例えば、『 現状は、NHKの「公平、客観、中立」に代表されるように、あちこちで一神教が進んでいる。それが正しいかのような風潮が中心になっている状況は非常に心配です。安易に「わかる」、「話せばわかる」、「絶対の真理がある」などと思ってしまう姿勢、そこから一元論に落ちていくのは、すぐです。一元論にはまれば、強固な壁の中に住むことになります。それは一見、楽なことです。しかし向こう側のこと、自分と違う立場のことは見えなくなる。当然、話は通じなくなるのです。』・・・・などと言われると、もう吃驚してしまう。しかし、養老孟司の言うことは真実であると思う。科学的であると思う。

 さて、私は先に論考「神話と現実」において、『 神話を語るには「場所の持つリズム性」が重要である。宮沢賢治の童話や草野心平の詩を語るには「場所の持つリズム性」が重要である。私たちは、そういう「場所の持つリズム性」に着目すべきであって、子供や若者はそういう「場所」の発するリズムに耳を傾けなければならないのである。「場所」の発するリズム、それは風土の発するリズムということかもしれないが、そういうリズムに耳を傾けることによって具体性の世界と深く結び付いた感性というものが養われるのである。』・・・と述べた。
日本人と自然とは一体不可分の関係にある。日本人は、山や川に恵まれ、しかも四季折々の風景の中で自然と一体になって生きてきた。そういう日本独特の場所性を生きてきたと言える。場所性を生きるということは、場所のリズムに身を任せるということであって、俺が俺がと自己主張をしないのである。無為自然の姿がそこにある。だから日本人は、無意識のうちに老子の言う自然、道、宇宙の真理が身に付いているのではないか。自己主張をしない日本人。これが日本人の特性だ。日本的精神とは述語的生き方であり、日本の歴史伝統文化の心髄は、違いを認める文化である。
それが、中村雄二郎のリズム論であると思う。その核心部分は場所の持つリズム性にある。 そして、その場所の持つリズム性というものは、プラトンの「コーラ」とも繋がっており、その意味で、中村雄二郎のリズム論はひとつの哲学であると言える。そのリズム論から主体性の乏しい日本人ということが言えるのか? それが今回の論文の主テーマであるが、追々その説明をして行きたいと思う。

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