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2018年5月25日 (金)

リズム論(その6)

リズム論(その6)

第1章 日本的精神(その4)
第2節 呉善花(オ・ソンファン)の認識

呉善花は、その著「日本的精神の可能性」(2002年12月、PHP研究所)の中で次のよう述べている。すなわち、

『 世界がけっしてアメリカ一極化の方向に向かっているわけではない。』

『 古くからの理想モデルとして、それぞれ文化や制度の異なった諸国が、それぞれの長所を生かし合い、短所を補い合い、お互いに協調し合うことによって結びつこうとする国際関係を生み出す方向へ世界を開いていかなくてはならないという、国際協調関係を軸にした世界論がある。この国際協調モデルは理想すぎて困難なもののように見える。しかし、私は逆にもっとも現実的なものではないかと考える。』

『 世界の情報化、消費社会化が進む中で、多くの人々の間に共通の文化価値や社会価値が生み出されている。それと同時に、自然条件も習慣も異なる国や地域の人々が、お互いに固有の文化価値や民族的アイデンティティを理解し合いながら協力し合っていこうとする関係が生み出されている。諸国はますます抜き差しならない相互依存関係に入っていき、人々は対立から協調への道を自覚し、模索せざるを得なくなっていく。そこから、国際協調を現実的なイメージとして描ける時代がやってくるのではないか、というのが私の考えである。』

『 日本が、非利己的な精神を失うことなく何とかここまでやってきたところで、自我的な個人行動の精神に依拠した西欧近代の行き詰まりがはっきりしてきた、というのが今の世界の現実ではないでしょうか。ここで日本がそうした西欧近代の依拠した精神の方向を目指せば、西欧近代の限界とそのまま運命をともにするしかありません。私は、日本はそのギリギリのところに立ち至っているのではないかという思いから、日本の非利己的な精神の未来的な可能性をできるだけ探ってみようと、本書の執筆に向かいました。』・・・と。

今、日本は、バブル経済の崩壊以降、深刻な不況に悩まされ続けている。低迷し続ける株価、高まる失業率、一向に進まぬ構造改革・・・。それに追い打ちをかけ るように、アメリカ発の、公平を前提とした世界標準の波に翻弄され、お家芸の「もの作り」でも、背後からひたひたとアジア諸国の追い上げの足音が聞こえて きている状況だ。

しかし本書のなかで著者は、自身を喪失しかけた日本と日本人に、熱いエールを送る。その基になっているものこそ、日本人自身も気づかずにいる「非利己的な精神」であるという。それを具体的に言えば、オリジナルを上手く取り入れ、オリジナル以上の新たなモノや文化を創り出す力であり、主語を省いても意思疎通が出来る言語であり、「正しく生きる」ことより「美しく生きる」ことに価値を見出す精神などであるという。本書は、この「日本的精神」を検証しつつ、日本再生の道を提唱する、瀬戸際に立つ日本人へのエールの書である。

私も呉善花の認識とまったく同じような認識に立っている。呉善花のいう非利己的な精神は、佐伯啓思のいう脱主体化という「日本的精神」と同じである。


この「日本的精神」に関する哲学としては、佐伯啓思のいうとおりかっての西田幾多郎の「無の思想」があるが、比較的最近のものとしては、私の尊敬する中村雄二郎の「リズム論」がある。佐伯啓思や呉善花は中村雄二郎の「リズム論」にはまったく触れていないので、私は、以下において中村雄二郎の「リズム論」について詳しく述べていきたい。そこでは、中村雄二郎の「リズム論」の世界性を述べることになる。また、佐伯啓思が「日本的精神」との関連で触れている「無」についても、その世界性を述べるとともに、中村雄二郎の「リズム論」と西田幾多郎の「無の思想」との繋がりを明らかにするつもりだ。

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