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2018年3月15日 (木)

三国志(その14)

その14、赤壁の戦い

呉に赴いた諸葛亮は、降伏派の張松、虞翻、歩隲、薛綜、陸績、厳畯、程秉を次々と論破した。そして、張温と駱統がさらに難題を持ちかけようとしたとき黄蓋にさえぎられた。黄蓋は「せっかくの話、我が殿にご言上されよ。」と言って、孫権のもとに案内した。諸葛亮は孫権を「魏は兵が多くても寄せ集めの軍。水上戦ともなれば呉が有利でございましょう。」と説得し開戦を勧めた。孫権はいろいろと悩んだ挙句、遂に、開戦を決意する。このようにして、呉と魏との大戦が始まる。それを導いた孔明の説得工作の話が「その13」であった。「その4」は、いよいよ、かの有名な赤壁の戦いである。

孔明の使命はまず成功したといってよい。呉の出師は思いどおり実現された。

周瑜は「孔明もいまわが陣中にあるが、共に曹操を討つには、ぜひ一度、劉予公も加えて、緊密なる大策を議さねばなるまいかと考えておる。」と使者を劉備のもとにやる。劉備はそれに応じて、呉に向かう。劉備は周瑜との会談を終えて、その帰り道、江岸まで急いできたところ、水辺の楊柳の蔭から手をあげて、孔明が突如現われ出でる。相抱いて、互いの無事を歓ぶ。孔明は、その歓びを止めて、「私の身はいま、その象においては、虎口の危うき中にいますが、しかし安きこと泰山の如しです。決してご心配くださいますな。――むしろこの先とも、お大事を期していただきたいのは、わが君の行動です。来る十一月の二十日は、まさしく甲子(きのえね)にあたります。お忘れなく、その日は、ご麾下趙雲に命じて、軽舸を出し、江の南岸にあって、私を待つようにお備えください。いまは帰らずとも、孔明は必ず東南の風の吹き起る日には帰ります」というやいなや、劉備を船へせきたてると、自分も忽然と、呉の陣営のうちに、姿をかくしてしまった。

時、建安十三年十一月。荊州降参の大将を船手の先鋒として、魏の大船団は、三江をさして、徐々南下を開始していた。そして呉の軍船と小競り合いが始まるのである。その間、いろいろな駆け引きや策略が行われるが、それらについてはここでは省略する。本文をじっくり読んでもらいたい。

ある日、呉軍の軍議がひらかれた。呉の諸大将はもちろん、孔明も席に列していた。「江上の大戦となれば、いま貯蔵の矢数ぐらいは、またたく間に費い果たして、不足を来すであろう」との周瑜の言葉を受けて、孔明は、かの有名な100本の矢である。その様子は次のYouTubeをご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=A5ko1wpWInE

この後、これも有名な「孔明・風を祈る」場面となる。

その祭壇を作るため、魯粛、孔明も馬を早めて南屏山にいたり、地形を見さだめて、工事の督励にかかる。士卒五百人は壇を築き、祭官百二十人は古式にのっとって準備をすすめる。東南の方には赤土を盛って方円二十四丈とし、高さ三尺、三重の壇をめぐらし、下の一重には二十八宿の青旗を立て、また二重目には六十四面の黄色の旗に、六十四卦の印を書き、なお三重目には、束髪の冠をいただいて、身に羅衣をまとい、鳳衣博帯、朱履方裙した者を四人立て、左のひとりは長い竿に鶏の羽を挟んだのを持って風を招き、右のひとりは七星の竿を掲げ、後のふたりは宝剣と香炉とを捧げて立つ。こうした祭壇の下にはまた、旌旗、宝蓋、大戟、長槍、白旄、黄鉞、朱旛などを持った兵士二十四人が、魔を寄せつけじと護衛に立つなど――何にしてもこれは途方もない大形な行事であった。

時、十一月二十日。孔明は前日から斎戒沐浴して身を浄め、身には白の道服を着、素足のまま壇へのぼって、いよいよ三日三夜の祈りにかかるべく立ったのであった。

周瑜の部将の黄蓋は、互いに密集している魏の船団に向けて発進、油をかけ薪を満載した船に火を放ち敵船に接近させた。折からの強風にあおられて曹操の船団は燃え上がり、炎は岸辺にある軍営にまで達した。船団は大打撃を受け、おびただしい数の人や馬が焼死したり溺死したりした。曹操は後退し烏林に陣を張った。この時、周瑜らは渡渉し陸上から曹操の陣に追撃をかけ、曹操軍は潰走したのである。

八十余万と称えていた曹操の軍勢は、この一敗戦で、一夜に、三分の一以下になったという。溺死した者、焼け死んだ者、矢にあたって斃れた者、また陸上でも、馬に踏まれ、槍に追われ、何しろ、山をなすばかりな死傷をおいて三江の要塞から潰乱した。曹操は命からがら逃げに逃げたのである。左右の森林から一隊の軍馬が突出して来た。そして前後の道を囲むかと見えるうちに、「常山の子龍趙雲これに待てりっ。曹操っ、待て」という声が聞えたので、曹操は驚きのあまり、危うく馬から転げ落ちそうになった。敗走、また敗走、ここでも曹操の残軍は、さんざんに痛めつけられ、ただ張遼、徐晃などの善戦によって、彼はからくも、虎口をまぬがれた。そしてあるところでは、張飛が現れ、曹操は、耳をふさぎ、眼をつぶって、数里の間は生ける心地もなくただ逃げ走った。やがてちりぢりに味方の将士も彼のあとを慕って追いついて来たが、どれを見ても、傷を負っていない者はない有様だった。峠を越え、約五、六里ばかり急いで来ると、青龍の偃月刀をひっさげ、駿足赤兎馬に踏みまたがって来る美髯将軍――関羽であった。「最期だっ。もういかん!」一言、絶叫すると、曹操はもう観念してしまったように、茫然戦意も失っていた。――ふと見れば、曹操のうしろには、敗残の姿も傷ましい彼の部下が、みな馬を降り、大地にひざまずき、涙を流して関羽のほうを伏し拝んでいた。「あわれや、主従の情。……どうしてこの者どもを討つに忍びよう」ついに、関羽は情に負けた。無言のまま、駒を取って返し、わざと味方の中へまじって、何か声高に命令していた。曹操は、はっと我にかえって、「さては、この間に逃げよとのことか」と、士卒と共に、あわただしくここの峠から駈け降って行った。

この日、夕暮に至って、また行く手の方に、猛気旺な一軍の来るのとぶつかったが、これは死地を設けていた伏勢ではなく、南郡(湖北省・江陵)の城に留守していた曹一族の曹仁が、迎えに来たものであった。

曹仁は、曹操の無事な姿を見ると、うれし泣きに泣いて、「赤壁の敗戦を聞き、すぐにも駈けつけんかと思いましたが、南郡の城を空けては、後の守りも不安なので、ただご安泰のみを祈っていました」と、曹操が生きて帰ってくれたことだけでも、無上の歓喜として、今はかえって怨むことも知らなかった。曹操もまた、「今度ばかりは、二度とこの世でそちに会うこともないかと思った」と、語りながら、共に南郡の城へ入って、赤壁以来、三日三夜の疲れをいやし、ようやく、生ける身心地をとり戻した。




その14、赤壁の戦い: http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/sekiheki.pdf







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