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2018年1月11日 (木)

大久保一翁(その7)

大久保一翁(その7)

では次に、大久保忠寛の本領の一つである思想について述べておきたい。

松平春嶽は、横井小楠から、開国通商、殖産興業、国民会議の設置など、日本の根本的な改革を教わり、積極的な開国通商を行うべしとの開明的な政治感覚を持つようになっていたが、朝廷の攘夷決行要求に苦慮していた。それを助けたのが大久保忠寛である。
つまり、松平春嶽は、文久年間(1861~63年)に政治総裁職を命じられ、京都からの勅使(三条実美と姉小路公知)が幕府に突きつけた攘夷決行要求に苦慮していた。そのとき、大久保忠寛は越前屋敷において次のような重大な発言を行っている。すなわち、

『 攘夷の勅諚はお受けすべきではない。強いて承服せよというのであれば、大政を朝廷に奉還し、徳川家は以前のとおり、駿河・遠江・三河の三国を領知する一諸侯の地位にもどればよろしい。政権を奉還すると、天下がどうなるか。予測はできぬが、徳川家の美名は千載の笑いをまねくよりははるかによい。』・・・と。

 そのとき大久保忠寛の話を聞いていたのは、松平春嶽と横井小楠の2人だったが、彼の話には心底驚いたといわれている。ときは文久2年10月20日──この日は、幕末維新の変革史において画期的な日になったのである。この大久保忠寛の啓明は、あの山内容堂も感銘を受けたとされている。山内容堂は、10月23日に越前屋敷に松平春嶽を訪ねて次のように述べている。『 今日、城内で大久保なにがしの「大開国論」をうかがった。いちいち感服のほかはなかった。』・・・と。




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