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2018年1月18日 (木)

大久保一翁(その9)

大久保一翁(その9)

上述したように、元治元年7月に勘定奉行を命ぜられるも、 一橋慶喜の第二次長州征伐に反対し、就任数日で勘定奉行を御役御免となる。勤仕並寄合となる。

政治に関わることに嫌気がさした大久保は隠居を願い出、元治2年2月に息子に家督を譲り、大久保一翁と名を改めた。

隠居として悠々自適の生活を送っていたが、元治2年9月30日急に出仕が命じられた。体調不良と言って断ったが老中からの命令で大急ぎで大坂に来るようにと命じられて準備中待機命令があって待機。12月に再度命令を受けて上坂した。 この段階において、大久保忠寛の本領の一つである政治力が、再び、発揮される。以下そのことについて述べておきたい。

元治2年22日に大坂着。24日に将軍・徳川家茂に謁見。その後老中・板倉勝清らと会談し、長州対策について質問攻めにあった。大久保は征討に反対した上でいくつか案を出し、妙案として薩摩藩の力を借りることを提案した。薩摩の協力を得ることは老中達から拒まれたが、大久保忠寛の提案した領国没収や藩主父子の永蟄居を採用する事になった。

同時期、大久保一翁の噂を聞いた薩摩の大久保一蔵と小松帯刀は、「大久保一翁、勝(海舟)両氏を除いて幕府に人は居ない」「この二人に事を執らせたならば、天下はたちまち治安に帰するだろう」と評価した。

以後特に老中からの呼出もないため江戸に帰ろうとしていたところ、慶応2年1月18日夜に突然坂本龍馬が訪れた。驚いた大久保一翁は「幕吏に探知されているからすぐに立ち去るように」と警告したと言われる。

大久保一翁は、2月13日、帰府の許可を得て大坂を退出。2月末に江戸に戻った。この後幕府瓦解までの2年間を市井で暮らす。

慶応4年1月12日、大坂城を脱出した徳川慶喜が江戸の浜御殿に戻った。その後江戸城に入ると和戦いずれにするかで家臣団の混乱を招いたが、慶喜の決断により恭順する事に決まった。
慶応4年1月23日、慶喜は勝海舟を陸軍総裁、矢田堀鴻を海軍総裁、山口直毅を外国事務総裁に任命、そして大久保一翁を同日に会計総裁に任命、さらに2月8日には若年寄=老中に次ぐ重職に任命して事態の収拾に当たらせた。慶喜は大久保や勝に好意的ではなかったが、薩長側で彼らへの評価が高かったため起用したのである。




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