音羽山観音寺
音羽山観音寺
位置:https://www.google.co.jp/maps/place/%E9%9F%B3%E7%BE%BD%E5%B1%B1%E8%A6%B3%E9%9F%B3%E5%AF%BA/@34.5009061,135.8461864,13z/data=!4m5!3m4!1s0x6006ca392409e28d:0x815dfa7130fb01cf!8m2!3d34.4794!4d135.879317
観音寺(善法寺)の沿革
当山は、寺伝によれば、藤原鎌足公を、談山妙楽寺(現在の談山神社)に祀った際、鬼門除けの寺として丑寅の方角音羽の地に一寺を建て、鎌足公自作の梅の木の観音像を祀ったのが始めと伝えられています。
奈良時代の観音信仰が篤かったころは頃は、霊場として賑わい、壮大な堂宇がこの山中に軒を連ね、その有様は音羽百坊と称されました。
「多武峰(とうのみね)略記」には、天平寛宝元年(749年)に、心融法師が当山を創建したとの記述があります。
また、京都清水寺の開祖延鎮僧都が霊感を得て堂宇を建立したのが始まりとの記録もあります。ご本尊の体内にも「比の本尊は山城の国清水寺の観音と一体分身の千手観音也」と墨書きがあります。
清和天皇の貞観18年(876年)「音羽流れ」と記録に残る豪雨と山津波で堂宇が崩壊し残った一寺であると伝えられています。
寺名も香法寺・善法寺と変わりながらも、眼病平癒に霊験があり、「音羽の観音さん」と親しまれ、訪れる信者で賑わい、多くの信者の力で維持されて現在にいたっています。
この寺に、尼僧たちが暮らしている。3人の住人は日々笑い転げながら、丹精こめて精進料理を作っている。主な素材は「山の恵み」。季節の素材を創意工夫で使い尽くす。そして「里からの贈りもの」。旬の野菜を届ける人、牛乳を背負って登る人。まさに“究極の手作りスローライフ”。ちょっと不思議で笑顔あふれる尼寺の暮らしぶりである。
http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/92043/2043538/
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