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2018年1月23日 (火)

白洲正子の「かくれ里」から

白洲正子「かくれ里」から

白洲正子の名著に「かくれ里」(1991年4月、講談社)がある。その中に「山国の火祭り」という随筆があって、次のように書いている。すなわち、

『 京都は花背原地町の峯定寺の前に、美山荘という料理旅館があって、おいしい山菜料理を食べさせてくれる。(中略)部屋のすぐ前を小川が流れているが、この辺では寺谷川と呼んでいるが、原地の部落で本流(嵐山を流れる桂川の上流)と一緒になり、今夜の火祭りはその二つの川が寄り添う「河内」で行われる。(中略)ドライブと山登りの後のお酒はおいしかった。十時頃にはいいご機嫌になって、暗闇の中を「河内」まで、どことどういったのかさっぱり記憶がない。突然、目の前が開けて夢のような光景が現れた。正面の山から、前の田圃へかけてまばゆいばかりの火の海である。その間を松明をかかげて、おそろしい勢いで火をつけて回る人影が、まるで火天か韋駄天のように見える。夢ではないか、狐につままれたんではないかと、私は何度も目をこすった。』

『 こうして書いていても、あの夢のような風景が、今もって現実のものとは思われない。私はまだあの夜の酔いがさめないのであろうか。それとも狐に化かされたのか。』

『 観光とはまったく関係のない自分たちだけのお祭り、太古のままの火の行事は、私が見た多くの祭りの中でもっとも感動に満ちた光景だった。大文字や、鞍馬の火祭りに失われたものが、ここには残っていた。いささかも仏教臭のない、健康な喜びと感謝の祈り、そこには人間が初めて火を得た時の感激がよみがえるかのように見えた。』

『 つい最近まで、同じような火祭りが、各部落で行われていたいうが、現在残っているのは、原地と広河原だけで、ついでのことにそちらの方へまわってみることにする。広河原は、原地からは上流にあり、着いた時は、ちょうど「松上げ」にかかったところであった。原地とはちょっと違った雰囲気で、山はないかわり、広い河原が見渡す限り地松で埋められ、炎が水にうつってきれいである。やがて、めでたく火がつき灯籠木が倒されて、すべてとどこりなく終わった。このような火祭りが、方々の部落で行われた頃は、さぞかし壮観だったことだろう。火の祭りは、同時に、水の祭りであることもよくわかった。してみると「拝火」より「火伏せ」の方に重きがおかれたに相違ない。二月堂のお水取りにも、火天と水天が出るが、その時用いられる籠松明が、灯籠木を模していることも注意していい。山国に発生した火祭りは、そういう風に形をととのえて、仏教に取り入れられ都会へ運ばれていったのであろう。』・・・と。

花背原地町の火祭りについては、次のYouTubeをご覧いただきたい。
https://www.youtube.com/watch?v=NN4xlI3JV6k



なお、花背原地町の火祭りについては、次のような私の論考があるので、是非、じっくりお読みください。

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/himaturi.pdf

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