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2017年12月28日 (木)

大久保一翁(その3)

大久保一翁(その3)

そして、その三年後、天保4年(1833年)6月に、将軍家斉の小姓を拝命する。
幕府の職制では、秘書としての役割は側用人・側衆・近習出頭役・御側御用取次役等が担い、小姓は、建前上、その役目の第一は、将軍・藩主などの主君の警護であった。その他では将軍の刀持ち、起床して朝食を摂っている最中に将軍の髪を結う、剣術稽古の相手、将軍の将棋や碁の相手、将軍が大奥に行く時は御錠口まで供をし、大奥から将軍が出てくる時は御錠口で出迎える、将軍が吹上庭園で舟遊びに興じる時は楫取(かじとり)を行うなどであり、将軍の身近に仕えて苦労の多い役職である。将軍家斉はあまり評判のいい将軍ではなかったので、大久保三四郎忠正、名を改め大久保忠寛は非常に苦労したのではないかと思われる。 大久保三四郎忠正は小姓を拝命してから間もなく従五位下志摩守に叙任されている。

その後、天保8年、将軍徳川家斉、将軍職を退任し、大御所として西丸に移動に伴い、大久保伊勢守忠寛は西丸小姓として異動。そして、天保12年には、小納戸肝煎にして奥の番に異動。小納戸肝煎とは、小納戸の支配役・世話役の事で、大久保伊勢守忠寛は出世階段をさらに一歩登ったことになるが、その在職中、右近衛将監に叙任されている。右近衛将監というのは、古くからある朝廷近衛府の役職で、 朝廷の現場指揮官で天皇や皇族の護衛、警護の体制を組み立てる責任者である。
つまり、この時代、大久保忠寛は、小納戸肝煎という幕府の役職をこなすと同時に、右近衛将監という朝廷の役職をこなしていたことになる。いずれ安政5年には、禁裏付という朝廷武官の最高責任者になるのだが、朝廷との繋がりはこの小納戸肝煎になった天保12年の頃にできた。まだ徳川幕府の中が尊皇攘夷か尊皇開国か、その方針が揺れ動いている時期に、大久保忠寛は早々と尊皇開国の考えを持つに至ったようだ。




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