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2017年11月28日 (火)

沖縄の歴史(その16)

沖縄の歴史(その16)

第5章 琉球が日本国に併合されるまでの経緯(その1)
第1節 琉球藩の設置(その1)

琉球藩の設置は、第一次琉球処分と呼ぶこともあるが、処分というのは手段であり、目的ではない。したがって、琉球藩の設置を第一琉球処分として語っては、その目的が見えなくなってしまう。なぜ明治政府は、琉球藩の設置を行ったのか、そこが一番大事であり、それをこれから語りたいと思う。その際に大事なのは、歴史観であり、基本的に正しい歴史観を持っていないと、琉球藩の設置を行った明治政府の動機も見えてこない。歴史観というのはまことに重要である。第1章から第4章まで縷々述べてきたように、琉球に対する正しい歴史観は、琉球に人々はもともと日本民族であり、琉球王国の国王の出自は北九州豊後菊池の名和一族であるという歴史観である。基本的にそういう認識を持っていただいて、これからの私の説明を聞いてもらいたい。

当時、中国は、諸外国もそうだが、琉球は独立国で日本のものではないという認識に立っていた。そういう状況のもとではあったが、明治政府は重大な決意を持って琉球藩の設置を行った。明治政府は、日本本土の廃藩置県の翌年、1872年(明治5年)に、琉球国王・尚泰を、明治政府により「琉球藩王」とするとともに大日本帝国の華族の身分を与えた。これが琉球藩が設置である。このことは、私は明治政府の大英断だと思うのだが、人によっては不合理な断行と見えるかもしれない。そこでまず私の考えを申し述べたい。

1842年、イギリスはアヘン戦争で清国に勝利すると、南京条約締結し、清国に香港を割譲させ、寧波、厦門、福州、広東、上海を開港させた。イギリスに遅れをとったフランスや米国は、東アジアに残された最後の未開国、日本に狙いを定める。フランスや米国もイギリスに続いて、清国と同等の条約を締結し、これら大陸沿岸の港を自由に使えるようになった。それから2年後の1844年には、フランスの艦隊が琉球に姿を表し、その情報が即座に薩摩に伝わったのである。それら西欧列強は日本開国の拠点として琉球(沖縄)を狙っていた。薩摩の志士はそれを単なる琉球の危機ではなく、薩摩藩の危機、そして日本国全体の危機と認識し行動を開始したので会う。だからこそ、明治維新は薩摩藩から始まっていったのだ。



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