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2017年10月 1日 (日)

反民主主義論(その16)

反民主主義論(その16)

おわりに

一国の政治システムというものは、その歴史的経緯から現在の政治システムがあるのであり、日本で場合、今後、中国のような共産党一党独裁政治になることは絶対にない。現在の民主政治ががずっと続くことになる。しかし、民主政治には、本論で述べたような、本質的な欠点があるので、そのあり方を考えねばならない。そこで、日本における民主政治のあり方について私の考えを申し述べたい。

第2章ではイギリスの議会について見てきたが、 イギリスの議会は、1991年に国王の任命する貴族議員で構成される貴族院が無力化して、国の重要法案は選挙で選ばれた議員で構成される庶民院で決められることとなった。すなわち、1911年に成立した議会法によって、庶民院で開始された法案については、貴族院の反対があったとしても、最初の討論から三回の会期を連続して庶民院を通過した場合、国王の同意に送られるというものに成った。 この規定によって、貴族院の拒否権は、2年間だけ法案成立を遅らせることができるという「一時停止的な拒否権」にとどめられる。第二に、歳入など予算にかかわる法案を「金銭法案」と規定し、これらは貴族院の同意が得られなくても、一ヶ月後には成立するとしたのである。これに対して、日本の場合、上院つまり参議院の拒否権は非常に強い。
衆議院可決後に参議院で否決され返付された(又は修正議決され回付された法律案への同意を否決した場合の)衆議院議決案を衆議院で出席議員の3分2以上の多数で再可決すれば法律となる。しかし、3分2というハードルは非常に高く、実質、参議院の同意が得られないとすべて法案は成立しない。この衆議院可決案の受領後60日以内に参議院が議決しない場合、衆議院は参議院が法案を否決したとみなすことができる(憲法第59条)。
このように 日本の場合、上院つまり参議院の拒否権は非常に強いのである。

それでも、日本の政治がうまく行っているとは言いがたい。何が足らないのか? 私は、根本的な問題として、二つあると思う。一つ目は参議院における成熟した議論をもっと増やすことよって参議院の権威をさらに高めること、二つ目は天皇が「祈る人」であることを政治家はもちろん国民も十分認識して、皇室の繁栄を図ることである。

まず一つ目であるが、民主主義の欠点であるポピュリズムに陥らないよう、参議院における成熟した議論をもっと増やさなければならない。地方区選出の参議院議員は、衆議院議員の場合と同様、その時の風に流されやすい傾向があるが、そうならないためには、国民の判断能力を上げることが基本的に必要である。しかし、これはほとんど不可能に近い。ではどうするか? 学校教育やマスコミに期待することは無理。私はいろいろ考えた挙句、結局は二つ目の解決策しかないのではないかと思うようになった。天皇が「祈る人」であることを政治家はもちろん国民も十分認識しておれば、天皇の「お気持ち」を察して、有識者の多い参議院では、いい加減な議論は影を潜めていくのではないか。

日本の場合、国会という政治的権力を越えて、天皇という政治的権威が存在する。天皇には政治的権力はない。しかし、天皇には権威がある。もちろんそれは宗教的権威ではない。政治の世界でも天皇の権威はある。国会は天皇のご臨席の下に開催されるし、大臣や副大臣の任命も天皇によって行われる。政治の世界における天皇の権威を「政治的権威」と呼んでいるのだが、天皇に政治的権力はない。政治的発言も許されていない。しかし、少なくとも天皇から任命された大臣や副大臣は、 天皇の「お気持ち」を察していい加減な行動をとりにくくなる。それが私の実感であり、私は、天皇と皇室の繁栄を願わずにはおられない。

イギリスの場合も国王という権威が存在するが、その歴史は日本の場合の方がはるかに古く、その権威はより深く私たち国民の心に染み込んでいる。


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