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2017年9月13日 (水)

反民主主義論(その10)

反民主主義論(その10)

第2章 民主主義の本質(その1)
第1節 アメリカの民主主義について(その1)

佐伯啓思の「反・民主主義論」は、

第一章 日本を滅ぼす「異形の民主主義」
第二章 「実体なき空気」に支配される日本
第三章 「戦後70年・安倍談話」の真意と「戦後レジーム」
第四章 摩訶不思議な日本国憲法
第五章 「民主主義」の誕生と歴史を知る
第六章 グローバル文明が生み出す野蛮な無差別テロ
第七章 少数賢者の「民本主義」と愚民の「デモクラシー」
第八章 民主主義政治に抗える「文学」
第九章 エマニュエル・トッドは何を炙り出したのか
第十章 トランプ現象は民主主義そのもの

となっているが、第10章だけでも「民主主義」のどこに問題があるのかが判るので、ここでは第10章の要点のみ紹介することとしたい。佐伯啓思は第10章の中で、次のように述べている。すなわち、

『 巨額のカネが動く騒々しい壮大な見世物、これが今日のアメリカ大統領選挙の実態ということになった。』

『 大事なことは、トランプ現象の登場は、決して反民主主義なものではなく、それこそが民主主義そのものだということです。大衆の歓呼によって指導者を選ぶ。一方、指導者たらんとするものは、大衆的歓呼をいかに引き出すかに腐心する、」それが民主主義の核心にほかなりません。民主主義が大衆(デモス)による統治(クラティア)である限り、大衆の歓呼によって選出される指導者こそが民主政治の第一人者なのです。』

『 このことは確かに、民衆の意志で社会を変え、世界を変える可能性に道を開くでしょう。そのことによっていわば世界観も変わってゆくでしょう。世界は自然や生まれた身分によって与えられたものではなく、こうあるべしと意思すればそのように変えることができる、ということです。人々の意思や人為や欲求がここに強く働きかけてくる。ところが、実際には、意思も欲求も人によってその内容が違っている。社会はかくあるべし、というそのイメージが人によって異なる。誰もが自らの思いに従って社会の変革を求めるようになる。
 そこで人々は、自分たちの欲求を主張し、それを実現してくれる指導者を選ぼうとするでしょう。そのために党派を作って競い合うでしょう。この競い合いに敗れて自らの欲求が実現できなかったものは、その政治に不満をつのらせるでしょう。かくて、民主政治は常に不満分子を生み出し、また、新たに彼らの主張を実現してくれる指導者を選ぶために、政治は不安定になり、社会はそれまで以上に不確実なもの、偶然的なもの、恣意的なものによって揺り動かされてしまうのです。
 社会が変化すると言えば聞こえがいいのですが、それが良い方向への変化かどうかはまったくわかりません。ただただ、右へ左へと波間をただようだけで、決して先へは進んでいない、ということにもなる。しかも、そもそもこの社会という巨船の向かう目的地などというものは最初からどこにもない。ということになれば、政治は、様々な党派による自己利益や欲望の実現をめぐる闘争そのものになってくるでしょう。
 もちろん、国家や歴史の向かう方向に確かな目的などというものははなから存在しないともいえます。そんなユートピア思想はヘーゲルやマルクスに毒された近代の産物に過ぎない、ということもいえるでしょう。』

『 しかし、民主主義のもとで、ある程度社会が成熟してくると、人々の関心も不満も、多種多様になってきます。「自由」や「多様性」や「個性」がますます「共通了解」を難しくしてしまう。また、平等の観念は、人々の間に生じるわずかな差異や差別に対して人々の意識を過敏にさせるでしょう。こうしたことの結果、社会を「改革」したはずなのに、そのことがますます問題を生み出し、不満を生み出す。そこでますます「改革」の要求が高まる、という悪循環に陥りかねません。』



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