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2017年9月 6日 (水)

反民主主義論(その8)

反民主主義論(その8)

第1章 民主主義の危機(その7)
第2節 反民主主義を唱える人たち(その3)
3、 プラトンとニーチェとミヒェルス

歴史的に民主主義への批判は数多いが、ここではこの三人を挙げておきたい。

古代アテネなどの民主政は、各ポリスに限定された「自由市民」にのみ参政権を認め、ポリスのため戦う従軍の義務と表裏一体のものであった。女性や奴隷は自由市民とは認められず、ギリシア人の男性でも他のポリスからの移住者やその子孫には市民権が与えられることはほとんど無かった。しかし、後に扇動的な政治家の議論に大衆が流され、政治が混乱しソクラテスが処刑されると、プラトン・アリストテレス・アリストパネスなどの知識人は民主政を「衆愚政治」と批判し、プラトンは「哲人政治」を主張した。

ニーチェは、民主主義の価値相対主義と平等主義はニヒリズムであると指摘した。リベラル(寛容)であるということは、命がけで守る信念もこだわりもないということであり、平等であるということは、高貴な貴族が消滅し、国民全体が畜群と化すということである。ニーチェは、“命がけで戦うなど野蛮であり、そんなことはしない自分たちは理知的であり、合理的であり、大人である”と胸を張る民主主義者たちのことを、最後の人間と呼ぶ。“民主主義者たちは胸を張るが、その胸は空っぽだ”と指摘している。

ロベルト・ミヒェルスは、実行力を持った組織をつくろうと思ったら、必ず権力は集中し、寡頭制化するという寡頭制の鉄則を説き、本質的な意味でチェック・アンド・バランスの機能した権力分立体制をつくることの困難さを指摘している。少数による多数の支配は不可避であり、現代の民主体制でも、国民→議員→政党→党首というように、必ず一個人や一組織に最終的な権力が集中する構造になっている。


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