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2017年9月24日 (日)

反民主議論(その13)

反民主主義論(その13)

第2章 民主主義の本質(その4)
第2節 イギリスの民主主義について・・・ 近藤康史の「分解するイギリス」 (2017年6月、ちくま新書)より(その2)
2、イギリスの議会

イギリスの議会は、1991年に国王の任命する貴族議員で構成される貴族院が無力化して、国の重要法案は選挙で選ばれた議員で構成される庶民院で決められることとなった。つまり、徹底した民主主義というか、徹底した国民第一主義となった。ポピュリズム政治の始まりである。ポピュリズム政治では、EUの問題など国を左右する問題が生じたとき、良識ある判断ができなくなり、勢い国民投票を行うことになる。したがって、イギリス民主主義の変質は貴族院の無力化から始まったと言える。「分解するイギリス」で、近藤康史は 貴族院の無力化の経緯 について次のように述べている。

イギリスの議会の起源は、貴族からの同意を調達する点にあり、その出自は貴族院(上院)にあるとも言える。庶民院(下院)が成立し、現代へとつながる二院制が確立したのはその後であり、当初は権限も貴族院の方が強かった。しかし、貴族院は選挙で選ばれる議員によって構成されるわけでなない。したがって、代表原理の観点からすれば、選挙で選ばれた代表からなる庶民院の方が、より強力な正統性を持つ。
19世紀以降に参政権拡大という形で民主主義化が進んでいくと、代表原理を有する庶民院の方が優位に立つようになっていく。庶民院の権限の強化は徐々に進んでいくが、貴族院との権限関係が、「下院(庶民院)の優越」へと決定的に結びつく画期となったのは1911年であり、その年に成立した議会法であった。
この頃、庶民院(自由党政権)の成立させた法案が、貴族院(保守党優位)で拒否されるという事態が続発し、庶民院と貴族院との間で対立が高まっていた。1909年の財政に関する法案の扱いをめぐって、その対立は頂点に達する。財政に関する法案については、19世紀にはすでに「下院(庶民院)の優越」が慣習化していたのだが、貴族院はそれを無視し、庶民院の決定を拒否したのである。
それに反発した自由党政権は、二度の解散総選挙を経て、貴族院の権限を制限する議会法を1911年に成立させた。その内容は、まず庶民院で開始された法案については、貴族院の反対があったとしても、最初の討論から三回の会期を連続して庶民院を通過した場合、国王の同意に送られるというものである。この規定によって、貴族院の拒否権は、2年間だけ法案成立を遅らせることができるという「一時停止的な拒否権」にとどめられる。第二に、歳入など予算にかかわる法案を「金銭法案」と規定し、これらは貴族院の同意が得られなくても、一ヶ月後には成立するとしたのである。



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