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2017年7月12日 (水)

日本的生き方

日本的生き方
平成17年9月30日、北海道札幌市で国土政策研究会(鈴木道雄会長)主催による第7回国土政策フォーラムが開催され、本多満北海道開発局長が基調講演を行い、当時国土交通副大臣であった私(岩井國臣)が「北海道の風土」について、特別講演を行った。その中でフランシス・フクヤマの思想に触れているので、この際、それを振り返っておきたい。今私は、民主主義を礼賛する彼とは違って、民主主義の衰退を感じ取っているが、私はもともとアメリカを礼賛する彼の思想には批判的であったのである。
特別講演の中でフランシス・フクヤマの思想に触れている部分は以下の通りである。

 フランシス・フクヤマは、今を時めくアメリカの哲学者だが、「歴史の終わり」という本の反省として 「人間の終わり」という本を書いた。その結論は・・・、「真の自由とは、社会で最も大切にされている価値観を政治の力で守る自由を意味する。」・・・とい うものである。
 闘争本能にしたがい競争に生きるアメリカ的生き方は、如何にも動物的だと私たちには思われるのだ が、フランシス・フクヤマは、そういうアメリカ的生き方が今世界を引っ張っていっているのだし、やがて世界のアメリカ化が終われば、それで世界の歴史の終 わるのだという。果たしてそうだろうか。むしろ、世界は、アメリカ化していくのではなく、日本化していくのではないか?
山折哲雄は、 コジェーブ(1902ないし1968。ロシア出身のフランスの哲学者)の考えをもとに次のように言っている。コジェーブは、現在の歴史の終焉には万人が賢 者になり理想的な世界が到来するという考えである。では、山折哲雄の言っていることを聞こう。
 『 コジェーブは、「動物性」に逆行しつつある「アメリカ的生活様式」の普遍化、世界化に警告を発 していたのだ。(中略)・・ そして驚くべきことに、そのように書きつけた直後に、かれは「日本」の問題なるものをもち出している。「アメリカ的生活様 式」とは正反対の道をすすんだ「日本の文明」のモデルをわれわれの眼前につきつけるのである。能楽や茶道や華道などの、日本特有のスノビスム(上品振舞 い)というテーマがそれである。(中略)
 最近日本と西洋世界との間に始まった相互交流は、結局、日本人を再び野蛮にするのではなく、(ロシ ア人をも含めた)西洋人を「日本化する」ことに帰着するであろう。 』・・・・と。

 アメリカ的生き方と日本的生き方とは自ずと違うものであろう。日本的生き方は、コジェーブや山折哲雄が言うように、「わび」「さび」の世界である。アメリカンドリームという言葉で象徴的に語られる弱肉強食の世界とは違う。
 ここで注意すべきは、アメリカ的生き方と日本的生き方とは自ずと違う・・・というのは「本来とか」 「本質的に」という意味である・・・ということだ。アメリカ的生き方と日本的生き方とは、「本質」に違うものがある・・・と理解すべきである。 
 日本の「歴史と伝統・文化」の心髄は「違いを認める文化」であり、日本社会に日本的生活様式とアメリカ的生活様式の二つがあって良いが、大事なことは、地域の人びととともに風土を生きる・・・その充実感である。日本社会というものは、いろんな生き方を 楽しむことのできる世界である。現在は、アメリカ的生き方と日本的生き方が共存している。都市ではどちらかといえばアメリカ的生き方をする人が多いかもし れない。しかし、地方では日本的生き方をする人が多いのではないか。それで良い。今後ともそうであって欲しい。それが日本らしいからだ。
 日本的といえば日本的、アメリカ的といえばアメリカ的。そのどちらでもない。そういう両義的な生き 方をするのがこれから私たち日本人の生きる生き方ということだ。

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