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2017年7月 4日 (火)

フランシス・フクヤマの誤り

フランシス・フクヤマの誤り

フランシス・フクヤマは、1989年に発表した著書『歴史の終わり』のなかで、共産主義が終焉を迎え、人類は民主主義に留まると予測したが、それから21年経って、新しい著書を書いた。その日本語版が「政治の起源」(2013年11月、講談社)であるが、それは「政治制度の発展と衰退のメカニズム」を明らかにしたもので、 2013年11月 8日 、日本記者クラブで、国家、法の支配、民主主義的な説明責任の三つが近代的な政治システムに必要だ、と説明し、中国、アメリカ、日本と世界の歴史を語った。

フランシス・フクヤマの考えは、 1989年に発表した『歴史の終わり』の延長線上にあり、共産主義が終焉を迎え、人類は民主主義に向かうというものであるが、果たしてそうであろうか? フランシス・フクヤマは、 日本記者クラブで、「国家、法の支配、民主主義的な説明責任の三つが近代的な政治システムに必要だ」と説明したが、「民主主義的な説明責任」というのは、やはり民主主義にこだわった考え方であり、中国の天命政治に対する理解が不足しているのではないか? 

私がいう中国の天命政治とは、共産党の一党独裁政治に他ならないが、共産党の最高指導者は、絶えず天命を意識すべきであって、国民に迎合する必要はさらさらない。天命政治の場合、国民に対して指導責任があるのであって、民主主義的な説明責任は必要ないのである。したがって、中国がより近代的な政治システムに向かう場合、私は、国家権力と法の支配と国民に対する指導責任がバランスよく融合しておればいいと考える。

何清漣は女性経済学者でありジャーナリストであるが、彼女によると、2015年5月に王岐山(習近平の懐刀であり、中央規律委の実際の指揮官)がフランシスフクヤマと会見した際、王岐山はフランシス・フクヤマに対して、中国は西側の予想するような民主主義の方向には進まないと表明した上で、「歴史の終焉」は書き直すべきと主張したらしい。そして、王岐山は、次の三点を伝えたらしい。

1、中国的特色の「政治」の理念。王は「政治は中国の解釈では文字通り『大衆を管理すること』であるということを理解すべきだ。

2、一党独裁(専制)は変えることはできない。共産党は法の上にあるというのが大原則。

3、 我らは孔孟の道を研究する必要があるのであって、「フクヤマのいう国家、法治、責任の三つの要素は中国の歴史にすべてDNAとして存在する。中国の文化のなかにこのDNAはあるのだ。」と。この意味は中国ははじめから政治的知恵はもう十分にあり、西側から学ぶ必要はない、ということである。

王岐山の考えはよく理解できる。その通りだろう。ただ、私としては、 中国は孔孟の道を研究する必要があるというより、孔孟老荘の道を研究する諸子百家を大事にする必要があると思う。中国の伝統思想には、文治主義の官僚機構を生み出した世俗的な『儒教(孔孟思想)』に対立する思想として、無為自然の『道(タオ)』を説く脱俗的な『老荘思想』がある。


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