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2017年5月15日 (月)

火祭り考2(その2)

火祭り考2(その2)

まず最初に、玉垂宮の鬼夜の様子を見ていただきたい。
https://www.youtube.com/watch?v=bK6dNAHS6AM

玉垂宮の鬼夜は、1月7日に福岡県久留米市大善寺玉垂宮で行われる。国の重要無形民族文化財で、日本三大火祭りの一つである。新年の邪気を払う追儺(ついな)の夜祭りとして知られる鬼夜は、大晦日の夜から1月7日までの鬼会神事の最終日の夜に行われる。
そもそも追儺(ついな)とは、どんな祭りであろうか。現在、全国的にどのような神社やお寺で行われているのか、それをまず見てみよう。代表的なものは次のようなものである。

勝福寺の追儺式(追儺会式):http://seiyo39.exblog.jp/17565792/

長田神社で追儺式:https://www.youtube.com/watch?v=BBQO0wcgK2M

興福寺の追儺会:http://www.kasugano.com/kankou/tsuinae/

豊中市春日神社の追儺式:https://togetter.com/li/935036

その他、全国的に、至る所で行われている

追儺の儀式は、論語にも記述があり、中国の行事がルーツである。平安時代、日本においては天皇や親王が行う宮廷の年中行事となった。その儀式の内容は次の通りである。
方相氏(ほうそうし)と呼ばれる鬼を払う役目を負った役人(大舎人)と、方相氏の脇に仕える侲子(しんし)と呼ばれる役人が20人で、大内裏の中を掛け声をかけつつ回った。方相氏(ほうそうし) は玄衣朱裳の袍(ほう)を着て、金色の目4つもった面をつけて、右手に矛、左手に大きな楯をもった。方相氏が大内裏を回るとき、公家は清涼殿の階(きざはし)から弓矢をもって方相氏に対して援護としての弓をひき、殿上人(でんじょうびと)らは振り鼓(でんでん太鼓)をふって厄を払った。
ところが9世紀中頃に入ると、鬼を追う側であった方相氏が逆に鬼として追われるようになる。古代史家の三宅和朗はこの変化について、平安初期における触穢信仰の高まりが、葬送儀礼にも深く関わっていた方相氏に対する忌避感を強め、穢れとして追われる側に変化させたのではないかとしている。
すなわち、 方相氏=鬼となった平安中期以降、追儺式に混乱があり、現在行われている追儺式の鬼には、二系統があって、追い払わなければならない鬼とそうでもない鬼とがいる。

方相氏(ほうそうし)とは、もともとは古代中国の伝承に登場する鬼神である。そのような鬼神がどのように日本に取り入れてきたかは、鬼神について書いた「日本古代における呪術的宗教文化受容の一考察・・・土公信仰を手がかり と して・・・」という論文が参考になる。 鬼神は崇り神として中国古代民間でひろく信仰され、また陰陽五行思想を基礎とする占いなどの呪術的な宗教体系に取り入れられたが、それらの宗教文化が陰陽師や神祇官或いは呪禁師(じゅごんし)などによっ て日本社会に導入されたのである。

以上のより詳しい内容は、次の論考・第2章「玉垂宮の鬼夜」をご覧いただきたい。

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/hima02.pdf

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