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2017年5月21日 (日)

火祭り考2(その4)

火祭り考2(その4)

「現在、全国さまざまな地域で「火祭り」が行われているが、日本の三大火祭りといえば、通常、玉垂宮の鬼夜(福岡)と野沢の火祭り(長野)と那智の火祭り(和歌山)であろう。」と今回の論考「火祭り行2」の冒頭に書き、これまで、それら三大火祭りについての論考を進めてきたが、その補筆として第4章として「向田の火祭」を紹介することとしたい。「向田の火祭」を日本三大火祭りに挙げる人もいるからだ。



まず、その様子をご覧いただきたい。
https://www.youtube.com/watch?v=0rU97CEnYcQ

能登半島の七尾湾に浮かぶ緑の島・能登島は、夢の架け橋であった美しい能登島大橋の実現によって、長い間の離島の生活とともに、不便な僻地とも異なる新しい生活が始まった。その島の向田の150戸の人々にとって、毎年7月の最終土曜日の夜に行われる延喜式内社・伊夜比咩神社の火祭は、村人挙げて大行事である。

能登島は、供述したように、古くは良質の材木が産する地で、 伊夜比咩神社の大屋津姫命(オオヤツヒメ) が、船材を伐り出すことを教えたと言われている。万葉集には、越中の国司として在職した大作家持の歌「とぶさ立て舟木伐るという能登の島山今日みれば木立繁しも幾代神びそ」があり、能登島の様子が歌われているが、当時は確かに能登島で船材が伐り出されたようだ。

日本海に翡翠の道があり、朝鮮半島との交易があり、能登島がその拠点になっていたものと思われる。事実、縄文時代の遺跡のほか能登島には多くの古墳がある。

伊夜比咩神社の創建は時代が不明とされているが、古墳時代もしくは大友家持の時代(奈良時代)に建立されたに違いない。神社は神に祈るところである。必ず祭神が祀られ、それなりの神事が行われる。いつとはなしに現在のような火祭りが神事の一つとして行われるようになった。「柱松」という神事である。

「柱松」については、小畑紘一という人の研究がある。それが始まった時期については触れられていないが、その論文を読むと、「柱松」についてはいろいろな種類のものがあり、修験道由来のものもあるが日本古来のものもあるようだ。

向田の火祭りは、「柱松」の神事であり、日本古来のものである。

小畑紘一さんは、『  柱の素となる材料は俗の存在であるが、 これが清めの儀礼などを経て神霊が憑依した霊力のある聖なる柱に変化すると人々は信じ る。この結果柱は、天と地を結ぶ道となり、供養、祈願、感謝などと言った祭りの目的を天 に届けることが出来る存在になったと見做されるのである。柱は、祭り後燃やされ、或は倒 されて「俗」に戻る。』・・・と言っているが、私は、確かに、「柱松」の柱は、天の神と地の神とを繋ぐ通い道であると思う。

以上のより詳しい内容は、次の論考・ 第4章「能登島向田の火祭り」 をご覧いただきたい。

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/hima04.pdf




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