« 藤原不比等論第1章 | トップページ | 藤原不比等論(第3章) »

2017年5月 9日 (火)

藤原不比等論(第2章)

藤原不比等論

第2章 「祓いの神道」について

私たちは、神社に正式参拝した時には「お祓い」を受ける。神道の用語では修祓(しゅばつ)というが、神職が祓詞(はらえことば)を秦上し、そのあとに行われるので、その間は参列している人たち全員が頭を下げた姿勢のままでお祓いを受ける。こういう一般的な「お祓い」も形式からいえば「祓いの神道」であるが、歴史的にいえば、朝廷の儀式としての「大祓(おおはらい)」が古く、「祓いの神道」は「大祓(おおはらい)」に始まったと考えてよい。

「神道史大辞典」(園田稔、橋本政宣編、吉川光文社、2004年6月)によれば、『 記紀に見える須佐之男命の千座置戸(ちくらのおきど)の祓の神話は、祓の起源を物語る説話である。このような古い祓をもとにして、おそらく天武天皇の時代に、国中のあらゆる罪をはらい清めることによって、新しい国家社会を建設することを意図して、大祓の儀式が創始され、やがてこれが毎年6月・12月晦日の大祓の朝儀として制度化されることになった。』・・・とある。

物部神道 は、古代の神道の最後の生き残りで、その命脈は587年の蘇我一族による物部一族制圧によって絶たれた。内容的には謎の部分が多いが、思想は旧事本紀から伺い知られる。十種神宝(とくさのかんだから)や、「ふるべ、ゆらゆらとふるべ」の呪文などが知られる。基本的に魂を奮い起こすことにより精神的エネルギーを高め活力を生み出す神道ではなかったと推定される。

「祓いの神道」は、物部神道が滅び、仏教が国家祭祀の中心になった時代に中臣鎌足が巻き返して提示した神道で、それを藤原不比等が完成さして、国家計画化する。その意味で、「祓いの神道」は「中臣神道」と言ってよい。その後、日本の神道の中心になるが、その根本は大祓詞(おおはらえのことば)に見られるような「けがれとはらい」の思想である。

梅原猛は、その著「飛鳥とは何か」(1986年6月、集英社)の中で、「祓いの神道」は初めて天武天皇によって開始されたが、それは東漢氏の遺産によるものだと言っている。詳しくは「飛鳥とは何か」(1986年6月、集英社)を読んでほしいが、その要点のみここに紹介しておこう。梅原猛は、次のように述べている。すなわち、

『 このように不比等は、東漢氏の伝える道教の儀式を、律令の精神によって改造して、「中臣の大祓の祝詞」なるものを作成し、そして、それに基づいた記紀神話を創造したと思われるが、この祓いに刑罰を含ませる事は、おそらく天武帝から学んだのであろう。』・・・と。

藤原不比等の大改革によって「中臣の大祓の祝詞」が作られ、それに基づいた記紀神話が創造された。しかし、その「祓いの神道」は初めて天武天皇によって開始されたものであり、それは東漢氏の伝える道教の儀式が律令の精神によって改造されたものである。 すなわち、わが国の現在の神道は、藤原不比等が物部神道に道教の祓いの思想によって改良をくわえて大改革をしたものである。

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/huhito021.pdf

« 藤原不比等論第1章 | トップページ | 藤原不比等論(第3章) »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1117507/70511647

この記事へのトラックバック一覧です: 藤原不比等論(第2章):

« 藤原不比等論第1章 | トップページ | 藤原不比等論(第3章) »