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2017年5月 5日 (金)

台湾(その28)

台湾(その28)

第3章 現代の台湾

第2節  台湾問題について

2、台湾問題を解決するための日本の課題(その3)

では、最後に、中国が行うべき根本的な宗教改革について触れておきたい。

私は、「シャングリラ」という論文の「はじめに」、『中国は、現在、無神論の立場に立っているが、それを180度転換して、積極的に民族の宗教の保護育成を図らなければならない、というのが私の結論である。近代国家の責任を果たすために、習近平はそろそろ毛沢東を超えなければならないという訳だ。』と述べ、第2章第2節の3で、毛沢東の宗教観について、以下のように説明した。

最近、北京で出版された一冊の本は、内外から注目された。本の題名は「私の知っている毛沢東」(中国語原題「我所知道的毛沢東」中央文献出版社刊)、著者は毛氏の元秘書林克という人物だ。
 この本によれば、共産党政権が支配後間もなく、毛沢東は仏教史の専門書がないことに驚き、関係機関の責任者を呼びつけ大きな声で叱ったそうだ。知名度の高い学者達を集め仏教史を研究するように指示し、具体的にいつ頃までに本を出さなければならないのかを命じたという。
 仏教史に決して無関心ではなかった毛沢東が自ら起こした文化大革命で、あらゆる宗教に空前の弾圧を行なったのはなぜだろうか?身近な秘書にも、信仰を持 つ宗教家が一番尊敬できると何回も言い残した毛沢東は、なぜ自分の意志に反して中国の宗教を無差別に破滅しようとしたのか?残念ながら、この本を読むかぎ りでは明快な答えが出てこない。そこで、私は、毛沢東がなぜ自分の意志に反して中国の宗教を無差別に破滅しようとしたのかを考えてみた。
天皇は、いっさい政治に口出しはしない。そういう意味で天皇には政治的権威はない。しかし、天皇には権威がある。その権威はもちろん宗教的権威ではない。それでは、その権威を何と呼べばいいのか? 私は、それを政治的権威と呼ぶこととしている。
毛沢東は 、絶対的権力を志向したため、宗教的権威のみならず政治的権威をも認めなかった。宗教心がまったくなかった訳ではなかったようだが、宗教家ではもちろんなかったので、宗教的権威者ではない。何事も恐れない絶対的権力者として君臨した。そこで、毛沢東は、無神論の立場をとらざるをえなかったのだ。私はそう思う。
毛沢東の働きかけか、あるいは毛沢東が無視論の立場を取っていることを知っている側近の人たちが働きかけたのかはわからないが、「批林批孔運動」という林彪と孔子を批判する猛烈な運動が1973年から1976年まで中国で巻き起こる。毛沢東一派が政敵林彪一派を葬り去ろうという権力争いがその本質であったかもしれないが、権力争いが激しければ激しいほど、思想的なものが必要となる。それが孔子批判なのである。林彪は孔子の「克己復礼」や「中庸の道」などを高く評価した。「批林批孔運動」では、法家を善とし儒家を 悪とした。
法家とは儒家の述べる徳治のような信賞の基準が為政者の恣意であるような統治ではなく、厳格な法という定まった基準によって国家を治めるべしという法治思想の立場である。法治思想は、秦が滅びた後の漢王朝や歴代王朝に受け継がれていった。
したがって、秦の始皇帝、前漢の高祖・文帝・景帝、曹操、諸葛亮、武則天、王安石、李贄(李卓吾)らは善人で、それらと同じ思想の毛沢東も善人というわけだ。それに対して、孔子、孟子、司馬光、朱熹らは悪人で、それらを高く評価する林彪は悪人というわけだ。
そうした運動の結末として、林彪は追い落とされたのである。
「批林批孔運動」の延長線上に、文革(1966年~1976年)がある。文革は、名目上、「封建的文化、資本主義文化を批判し、新しく社会主義文化を創生しよう」という政治・社会・思想・文化の改革運動だった。しかし実際は、大躍進政策の失敗によって政権中枢から退いた毛沢東が自身の復権を画策し、民衆を扇動して政敵を攻撃させ失脚に追い込むための、中国共産党の権力闘争であったのである。
この説の冒頭に述べたように、 毛沢東は 、絶対的権力を志向したため、宗教的権威のみならず政治的権威をも認めなかった。宗教心がまったくなかった訳ではなかったようだが、宗教家ではもちろんなかったので、宗教的権威者ではない。何事も恐れない絶対的権力者として君臨した。そこで、毛沢東は、無神論の立場をとらざるをえなかったのだ。
関羽が神として祀られている関帝廟は、横浜にもあり、私たちにもおなじみの道教の寺院であるが、毛沢東廟は、日本にはもちろんないし、中国でも非常に珍しい。しかも、毛沢東廟で毛沢東は神として祀られているのではなく、人間として祀られているという点で、誠に面白い。毛沢東は無神論の立場をとって、それが現在の中国の中央政府にも引き継がれている点を考えると、毛沢東廟は、ただ単に面白いというだけではなく、現在の中国の中央政府が無視論の立場を取り続けていることを実感することのできる貴重な事例である。その事例は、次をご覧ください。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/takubyou.pdf

以上のように、中国は、 現在、無神論の立場に立っているが、それを180度転換して、積極的に民族の宗教の保護育成を図らなければならないのである。漢民族については、道教が民族宗教であるから、中国は、今後、積極的に道教の保護育成を図ると同時に、その最高権威者をして、台湾政府の閣僚の任命を行わせしめなければならない。

再度申し上げるが、現在の民主主義選挙制度によって選ばれた閣僚の任命を、それなりの宗教儀式のもと、道教の最高権威者が行えば、台湾の閣僚は、天を意識、天命を意識し、現在の中国人民共和国の天命政治を理解し、それに従うはずである。そうすれば、台湾省の閣僚は、総統も含めて、自分の省はもとより国全体の発展に尽くそうという気分になるだろう。今皇帝に忠誠を尽くす人が出てくるかもしれない。それが天命政治のいいところだ。


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