« 台湾(その20) | トップページ | 台湾(その22) »

2017年4月23日 (日)

台湾(その21)

台湾(その21)

第2章  大航海時代から現代までの台湾

第2節  台湾の近代化
2、日本の統治時代

(3)ダム(その2)

台湾では、日本よりも八田與一の知名度のほうが高い。特に高齢者を中心に八田與一の業績を評価する人物が多く、現在でも、烏山頭ダムでは八田の命日である5月8日には慰霊祭が行われている。また、現在烏山頭ダムにある八田與一の銅像はダムの完成後の1931年(昭和6年)に作られたものである。住民の意向によって出来上がったユニークな像は、八田與一本人の意向を汲み、一般的な威圧姿勢の立像を諦め、工事中に見かけられた八田與一が困難に直面した時に一人熟考し苦悩する様子を模し、碑文や台座は無く地面に直接設置された。その後、中華民国の蒋介石時代に日本の残した建築物や顕彰碑の破壊がなされた際も、八田與一の銅像は地元の有志によって守り隠され続け、1981年(昭和56年)に再びダムを見下ろす元の場所に設置された。

八田與一の銅像:http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/hattayoiti.pdf


1938年、八田與一は台湾総督府に復帰し、勅任技師として台湾の産業計画の策定などに従事した。また対岸の福建省主席の陳儀の招聘を受け、開発について諮問を受けるなどしている。


そして、太平洋戦争中の1942年(昭和17年)、陸軍の命令によって3人の部下と共に大洋丸に乗船した八田與一は、フィリピンの綿作灌漑調査のため広島県宇品港で乗船、出港したがその途中、大洋丸が五島列島付近でアメリカ海軍の潜水艦グレナディアーの雷撃に遭い撃沈され、八田も巻き込まれて死亡した。沒後、贈正四位勲三等が贈られている。
日本敗戦後の1945年(昭和20年)、妻の外代樹も夫の八田の後を追うようにして烏山頭ダムの放水口に投身自殺を遂げた。 


八田與一の妻を慕う銅像除幕式:http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/jyomakusiki.pdf


« 台湾(その20) | トップページ | 台湾(その22) »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1117507/70351082

この記事へのトラックバック一覧です: 台湾(その21):

« 台湾(その20) | トップページ | 台湾(その22) »