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2017年4月13日 (木)

台湾(その13)

台湾(その13)

第2章  大航海時代から現代までの台湾

第1節  近代までの台湾

2、鄭成功(その2)

鄭成功は彼自身の目標である「反清復明」を果たす事無く死去し、また台湾と関連していた時期も短かったが、鄭成功は台湾独自の政権を打ち立てて台湾開発を促進する基礎を築いたこともまた事実である為、鄭成功は今日では台湾人の不屈精神の支柱・象徴「開発始祖」として社会的に極めて高い地位を占めている。台湾城内に明延平郡王祠として祠られており、毎年復台記念式典が催されている。
明延平郡王祠は、開山王廟ともいう。日本統治下に入った後の1896年(明治29年)、開山王廟は鄭成功を祭神とする神社となって開山神社(かいざんじんじゃ)と改称され、翌1897年(明治30年)には県社に列格した。日本式の拝殿は作られたが、中国風の祠はそのまま残され、本殿とされた。第二次世界大戦終戦後、中華民国政府によって社殿が全て取り壊され、中国北方式建築を模した鉄筋コンクリート製の廟に建て替えられた。建物が全て新しいものであることから、延平郡王祠(開山王廟)は古蹟に認定されておらず、史跡のみである。
中央には鄭成功の座像が祀られ、後殿には彼の母「翁太妃」(田川マツ)の位牌が安置されている。

中華民国海軍のフリゲートの一番艦には鄭成功の名を取り、「成功」と命名されている。つまり、中華民国海軍のフリーゲートは、その一番艦を筆頭に 成功級フリーゲートと呼ばれているのである。

鄭成功は、日本人にも古くから知られており、『国性爺合戦』(こくせんやかっせん)という浄瑠璃がある。『国性爺合戦』は、近松門左衛門作の人形浄瑠璃であり、のちに歌舞伎化された。鄭成功を題材にとり、これを脚色。結末を含め、史実とは異なる展開となっているが、 鄭成功が古くから日本人にも知られていたことは、鄭成功という人物がいかに偉大な人であったかを物語っており、現在の私たちも鄭成功という人物ならびのその母・ 田川マツに想いを寄せることが、台湾を理解知る上で極めて大事なことのように思われる。

また、 台湾台南市には、1663年に鄭経が鄭成功を祀った鄭成功祖廟がある。




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