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2017年4月15日 (土)

台湾(その15)

台湾(その15)

第2章  大航海時代から現代までの台湾

第2節  台湾の近代化

1、清の統治時代(その2)

建国以来反清勢力の撲滅を目指して来た清朝は、「反清復明」を掲げる台湾の鄭氏政権に対しても攻撃を行い、 清朝の水師提督・ 施琅(しろう)の活躍により台湾を制圧して鄭氏政権を滅ぼすことに成功した。だが、清朝は鄭氏政権を滅ぼす為に台湾島を攻撃・制圧したのであり、当初は台湾島を領有する事に消極的であった。しかしながら、朝廷内での協議によって、最終的には軍事上の観点から領有することを決定し、台湾に1府(台湾)3県(台南、高雄、嘉義)を設置した上で福建省の統治下に編入した。ただし清朝は、台湾を「化外の地」としてさほど重要視していなかった為に統治には永らく消極的であり続けた。 台湾本島における清朝の統治範囲は島内全域におよぶことはなかったのである。
清朝編入後、台湾へは対岸に位置する中国大陸の福建省、広東省から相次いで多くの漢民族が移住し、開発地を拡大していった。その為に、現在の台湾に居住する本省系漢民族の言語文化は、これらの地方のそれと大変似通ったものとなっている。漢民族の大量移住に伴い、台南付近から始まった台湾島の開発のフロンティア前線は約2世紀をかけて徐々に北上し、19世紀に入ると台北付近が本格的に開発されるまでになった。
1874年には日本による台湾出兵が行なわれ、1884年の清仏戦争の際にはフランスの艦隊が台湾北部への攻略を謀った。これに伴い、清朝は日本や欧州列強の進出に対する国防上の観点から台湾の重要性を認識するようになり、台湾の防衛強化の為に知事に当たる巡撫を派遣した上で、1885年に台湾を福建省から分離して台湾省を新設した。台湾省設置後の清朝は、それまでの消極的な台湾統治を改めて本格的な統治を実施するようになり、劉銘伝が巡撫となると、地租改正を意味する清賦事業に着手し、省都・台北府の近代都市化も大きく図られた。電気と電灯、電信、1887年には基隆―台北間に鉄道などの近代的社会基盤を整備し、本土から商人資本を呼び寄せ、興市公司を設立するなど積極的な政策を進めた。また1892年の米の生産量は、人口700万人を養えるほどとなり、1894年には砂糖の生産高は5万3000トンに至り、大量の阿片が輸入されていたが、茶などの輸出のおかげで常に大幅な黒字で、人口も1893年には255万人に到達した。
だが、日清戦争に敗北した為、1895年に締結された下関条約に基づいて、台湾は清朝から大日本帝国に割譲され、それに伴い台湾省は設置から約10年という短期間で廃止された。これ以降、1945年までの50年間、台湾は大日本帝国の外地として、台湾総督府の統治下に置かれたのである。



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