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2017年4月30日 (日)

台湾(その23)

台湾(その23)

第3章 現代の台湾

第2節  台湾問題について

1、台湾問題とは(その1)

台湾問題については、日本大百科全書(ニッポニカ)の解説に詳しく、かつ、要領よく説明されているので、それを以下に紹介しておきたい。執筆者は中嶋嶺雄である。
台湾地域を中華民国政府が支配し、中国大陸の中華人民共和国(中国)政府は「台湾解放」「台湾の統一」を主張し続けているという、いわゆる「二つの中国」の問題を一般に台湾問題という。中国革命の結果、1949年10月に中国共産党指導下の中華人民共和国が成立し、中国国民党指導下の中華民国政府は、同年末台湾に逃れて、台北を首都に台湾本島および澎湖(ほうこ)島などの付属諸島と大陸沿岸の金門島・馬祖島を統治して今日に至っている。

こうして、現実には「二つの中国」が存在するが、中華人民共和国政府(北京政権)も中華民国政府(台北政権)もそれを認めず、「一つの中国」の原則にたってきたために、台湾問題は単に中国民族の統一という内政上の課題にとどまらず、国際政治上のイシュー(焦点)として大きな問題を投げかけてきた。国連中国代表権問題や中国承認問題がそれである。こうした台湾問題は第二次世界大戦後のアジアの冷戦、とくに米中対決構造のなかで、1950年6月に勃発(ぼっぱつ)した朝鮮戦争以来、アメリカが台湾の中華民国政府(総統蒋介石)を承認・支援し、1954年12月には米華相互防衛条約を結んで台北政権をアメリカの世界戦略と結び付けたことによって、さらに大きな問題になった。北京政権が、こうしたアメリカの態度を内政干渉だと一貫して非難したことはいうまでもない。

 中華人民共和国成立後、社会主義諸国やいわゆる第三世界諸国、西側諸国ではイギリスなどが早くから中華人民共和国を承認し、国交を樹立したが、日本は、1952年(昭和27)4月、日華平和条約(日台平和条約)を結び、台北政権を承認してきた。こうした情勢のなかで、1958年夏には台湾海峡危機が訪れ、戦争の瀬戸際に至ったが、台湾海峡危機は、核時代の到来に直面した米・中・ソ3大国がそれぞれの思惑から自己の世界戦略を検証するための一種の「模擬戦争」でもあった。
 やがて1960年代になると、社会主義兄弟国どうしの中ソ両国が激しく対立し、中ソ冷戦とも思われる情勢が表面化した。この間、中華人民共和国を国際社会から締め出しておくことの不当性についての認識は国際的にさらに高まり、1971年10月の国連総会は、中国支持派のいわゆるアルバニア決議案を可決して、ここに中国の国連代表権問題は決着し、台北政府は国連を脱退した。一方、中ソ対立の激化は米中接近を促すこととなり、1972年2月、ニクソン米大統領が訪中して米中共同声明を発し、台湾の現状を認めつつも台湾が中国の一部であること、アメリカが台湾から軍事力を撤去することなどが約束された。米中接近という突然の変化に衝撃(いわゆる「ニクソン・ショック」)を受けた日本も、1972年9月、田中首相が訪中して日中共同声明を出し、中華人民共和国と国交を樹立した。台北政権はこれに抗議して日本と断交し、以後、台湾との関係は民間関係として存続することとなった。



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