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2017年4月 1日 (土)

台湾(その7)

台湾(その7)

第1章 日台交流の歴史(大航海時代まで)

第3節 和冦(その1)

倭寇の歴史は大きく見た時に前期倭寇と、過渡期を経た後期倭寇の二つに分けられる。
倭寇の構成員は、前期倭寇では主に日本人で一部が高麗人であり、後期倭寇は中国人が多数派で一部に日本人をはじめ諸民族を含んでいたと推測されている

前期倭寇が活動していたのは14世紀、日本の時代区分では南北朝時代から室町時代初期にあたる。日本では北朝を奉じて室町幕府を開いた足利氏と、吉野へ逃れた南朝が全国規模で争っており、中央の統制がゆるく倭寇も活動し易かった。
中国では1368年に朱元璋が明王朝を建国し、日本に対して倭寇討伐の要請をするために使者を派遣する。
室町幕府将軍の足利義満が1392年に南北朝合一を行うと、明との貿易を望んだ義満は、明に要請されて倭寇を鎮圧した。倭寇鎮圧によって義満は明朝より新たに「日本国王」として冊封され、1404年(応永11年)から勘合貿易が行われようになる。
朱元璋は、福建省に16個の城を築城して1万5千の兵と軍船100隻をおき、浙江省には59の城を築城して5万8千の兵をおき、広東省に軍船200隻をおいて防備を固めた。

日本では1523年に勘合を巡って細川氏と大内氏がそれぞれ派遣した朝貢使節が浙江省寧波で争う寧波の乱が起り、勘合貿易が途絶すると倭寇を通じた密貿易が盛んになり、さらに中央で起こった応仁の乱の為、再び倭寇の活動が活発化する事になる。
後期倭寇の構成員の多くは私貿易を行う中国人であったとされる。 日本人は少ないながらも指揮官的立場にあり、当時日本が戦国時代であったことから実戦経験豊富なものが多く、戦闘の先頭に立ったり指揮を執ることで倭寇の武力向上に資していたことがうかがわれる。


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