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2017年4月 7日 (金)

台湾(その11)

台湾(その11)

第2章  大航海時代から現代までの台湾

第1節  近代までの台湾

1、オランダの進駐(その2)

先ほど、『1622年、オランダ東インド会社はまず明の支配下にあった澎湖を占拠し、東アジアに於ける貿易拠点を築いた。その後1624年には明軍と8ヶ月に渡る戦火を交えた。両国の間で和議が成立し、明は澎湖の要塞と砲台を破棄し、オランダ人が台湾に移ることを認めた。』と述べたが、その時代における明朝の動きを説明しておこう。
明朝とオランダとの戦いの20年ほど前、1603年(万暦31年)、明朝の将軍であった沈有容が水師を率いて澎湖諸島・台湾本島に至り倭寇討伐を行った。倭寇が割拠していたこの時代、澎湖には別の勢力の手も伸びていた。1604年、オランダ人が3隻の帆船で来航した。当時澎湖には守備兵力はなく、抵抗を受けることなく上陸に成功し、半軍半商の貿易活動を馬祖で行っていた。この事態に1624年、明朝は再び沈有容を浯嶼都司として澎湖に派遣、8ヶ月後にオランダに台湾の領有権を認める代わりに澎湖諸島を再び回収している。

この頃、日本も、台湾に対して領土的な興味を持つ勢力が幾つか存在した。豊臣秀吉は「高山国」宛に朝貢を促す文書を作成し、原田孫七郎という商人に台湾へ届けさせた(高山国とは当時、台湾に存在すると考えられた国名。 実質的には存在せず朝貢の目的は果たせなかった)。また1608年には有馬晴信が、1616年には長崎代官 村山等安が、いずれも成功はしなかったものの台湾へ軍勢を派遣した。

天啓から永暦年間(1626年 - 1658年)にかけて鄭芝龍が澎湖を支配下に置いた。

1644年、明が滅亡し清朝が中国大陸を統治し始める。鄭芝龍の子鄭成功はこれに反発、明の復興を唱え挙兵する。1658年(明・永暦12年、清・順治15年)、鄭成功は17万5千の北伐軍を興す。意気揚々と進発した北伐軍だが途中で暴風雨に会い、300隻の内100隻が沈没した。鄭成功は温州で軍を再編成し、翌年の3月25日に再度進軍を始めた。鄭成功軍は南京を目指し、途中の城を簡単に落としながら進むが、南京では大敗してしまった。その時、鄭成功は台湾本島・澎湖諸島に着目する。そして、1661年に台湾のオランダ人を駆逐し、承天府及び天興、万年の二県を、澎湖島には安撫司を設置した。

1662年、明寄りの支持者である鄭成功はオランダを追放し、同島初の漢民族の政治的実体である東寧王国を設立した。












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