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2017年4月16日 (日)

台湾(その16)

台湾(その16)

第2章  大航海時代から現代までの台湾

第2節  台湾の近代化
2、日本の統治時代

(1)概要(その1)

台湾の日本統治時代は、日清戦争の結果下関条約によって台湾が清朝(当時の中国)から日本に割譲された1895年(明治28年)から、第二次世界大戦の結果ポツダム宣言によって台湾が日本から中華民国に編入された1945年(昭和20年)までの時代である。
日本統治の初期段階は1895年から1915年の西来庵事件までを第1期と区分することができる。この時期、台湾総督府は軍事行動を前面に出した強硬な統治政策を打ち出し、台湾居民の抵抗運動を招いた。こうした情況の中台湾総督には中将以上の武官が就任し台湾の統治を担当した。
1898年、児玉源太郎が第4代台湾総督として就任すると、内務省の官僚だった後藤新平を民政長官に抜擢し、台湾の硬軟双方を折衷した政策で台湾統治を進めていく。
抗日運動を制圧した後は、台湾総督府は日本の内地法を超越した存在として、特別統治主義を採用することとなった。
日本統治初期は台湾統治に2種類の方針が存在していた。第1が後藤新平などに代表される特別統治主義である。これは英国政府の植民地政策を採用し、日本内地の外に存在する植民地として内地法を適用せず、独立した特殊な方式により統治するというものである。
後藤は、文化・文明的に立ち遅れている植民地の急な同化は困難であると考えていた。後藤は台湾の社会風俗などの調査を行い、その結果をもとに政策を立案、漸次同化の方法を模索するという統治方針を採った。
これに対し原敬などは、台湾を内地の一部とし、内地法を適用する『内地延長主義』を提唱した。フランスの植民地思想に影響を受けた原は、人種・文化が類似する台湾は日本と同化することが可能であると主張した。
1898年から1906年にかけて民政長官を務めた後藤は自らの特別統治主義に基づいた台湾政策を実施した。この間、台湾総督は六三法により「特別立法権」が授権され、立法、行政、司法、軍事を中央集権化した存在となっていた。これらの強力な統治権は台湾での抗日運動を鎮圧し、台湾の社会と治安の安定に寄与した。
また、当時流行していた阿片を撲滅すべく、阿片吸引を免許制とし、また阿片を専売制にして段階的に税を上げ、また新規の阿片免許を発行しないことで阿片を追放することにも成功した。そのほか、現在の台湾の教育・民生・軍事・経済の基盤は当時の日本によって建設されたものが基礎となっている。

1919年、台湾総督に就任した田健治郎は初の文官出身者だった。田は赴任する前に当時首相であった原と協議し、台湾での同化政策の推進が基本方針と確認され、就任した10月にその方針が発表された。田は同化政策とは内地延長主義であり、台湾民衆を完全な日本国民とし、国家国民としての観念を涵養するものと述べている。
その後20年にわたり台湾総督府は同化政策を推進し、具体的な政策としては地方自治を拡大するための総督府評議会の設置、日台共学制度、日本語学習の整備などその同化を促進し、台湾人への差別を減少させるための政策を実現した。また後藤は、鉄道や水利事業などへの積極的な関与を行った。

1937年に日中戦争(支那事変)が勃発すると、日本の戦争推進のための資源供給基地として台湾が重要視されることとなり、台湾における国民意識の向上が課題となった総督府により皇民化政策が推し進められることになる。皇民化運動は国語運動、改姓名、志願兵制度、宗教・社会風俗改革の4点からなる、台湾人の日本人化運動である。
国語運動は、日本語使用を徹底化する運動で、各地に日本語講習所が設けられ、日本語家庭が奨励された。日本語家庭とは家庭においても日本語が使われるというもので、国語運動の最終目標でもあった。
改姓名は強制されなかったが、日本式姓名を持つことが社会的地位の上昇に有利にはたらく場合もあり、改姓名を行った台湾人もいたが、朝鮮人と比べて少なかった。
日本は中国と戦争を行っていたことから、台湾の漢民族を兵士として採用することには反対が多かったが、兵力不足からやむをえず志願兵制、1945年からは徴兵制が施行された。およそ21万人(軍属を含む)が戦争に参加し、3万人が死亡した。
また、台湾の宗教や風俗は日本風なものに「改良」された。寺廟は取り壊されたり、神社に改築された。中華風の結婚や葬式は日本風な神前結婚や寺葬に改められた。

1945年8月15日、日本が終戦の詔書を発表し第二次世界大戦(太平洋戦争)が終結すると、台湾は中華民国による接収が行われることとなった。同年8月29日、国民政府主席の蒋介石は陳儀を台湾省行政長官に任命した。
1945年10月25日、中国戦区台湾省の降伏式典が台北公会堂で行われ、日本側は台湾総督安藤利吉が、中華民国側は陳儀がそれぞれ全権として出席し降伏文書に署名され、台湾省行政長官公署が正式に台湾統治に着手した。 ここに日本による台湾統治は終焉を迎えた。

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