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2017年3月16日 (木)

地蔵信仰(その11)

地蔵信仰(その11)

おわりに(その2)

時代の流れとともに、これからもお地蔵さんは、進化をしていくであろうが、将来、どのようなお地蔵さんが地域に祀られるのか私には想像できない。

しかし、すべてが複雑で困難な時代、家庭の親父であろうが、会社の重役であろうが、国のリーダーであろうが、怒りを抑えて常に冷静な判断ができる人間が求められている。通常、私たちは、往々にして怒りで血が頭に上り、冷静な判断ができなくなるときがある。私たち人間は、慈悲と怒りの両面を持っている。私たちがその怒りを抑えるためには、やはり仏(ほとけ)の力にすがるしかないのではないか。自分自身を慈悲と怒りの両面を持っている人間だと自覚し、地蔵菩薩を以って終身の守護とした歴史上の偉大な人物がいる。足利尊氏である。

足利尊氏が終身の守護とした地蔵菩薩は、この論文で縷々述べてきたお地蔵さんとは根本的に性格を異(こと)にする。 足利尊氏が終身の守護とした地蔵菩薩は、私たちに幸せをもたらすというより、克己のためのものであり、私が通常抱いているお地蔵さんのイメージとは異なるので、この論文では取り扱わなかった。しかし、 すべてが複雑で困難なこの時代、足利尊氏が終身の守護とした地蔵菩薩のような地蔵菩薩が必要かと思われるので、「おわりに」当たって、私の書いた論文「足利尊氏の地蔵信仰」を紹介しておきたい。

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/takajizou.pdf

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