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2017年3月 1日 (水)

地蔵信仰(その5)

地蔵信仰(その5)

第2章 矢田寺に祀られている地蔵菩薩(その1)

京都の繁華街といえば京極である。最近は京都駅も賑やかになってきているが、やはり京極というか河原町通を中心に御池通から四条通にかけて、私は一番注目されて良い場所であると思う。ただ単に商店があるというだけでなく、これほどわくわくする「知のトポス」は他にない。寺町三条を少し上がったところに、矢田寺がある。
http://kyoto.wakasa.jp/detail/25/479/

矢田寺には十一面観音は祀られていない。したがって、泰澄が始めた地蔵菩薩とは全く違う。

「はじめに」では、『 六堂の辻・西福寺では、昔、お盆に住職が西福寺に保存されている地獄絵の解説をしておられた。その住職が亡くなられてからは、現在、住職による絵解きは行われなくなっているが、地蔵菩薩は地獄とこの世を自由に往来されて、私たちの切ない祈りを聞いて、亡くなった子どもや親を地獄の苦しみから救ってくれる、そういう意味のことが地獄絵には描かれているのだと思う。』・・・と述べたが、地獄絵の意味するところのものは、亡くなった子どもや親があの世で地獄の責めに合わないよう、地蔵菩薩に救いを求めるものである。そのための行事がそもそも「お盆」であるが、六堂の辻では、その「お盆」の行事として「六堂まいり」が古来から行われきたようである。その謂れは次の通りである。

この世とあの世の境目が、古来より六堂の辻あたりであるといわれ、あの世の入口と信じられてきた。この「六道の辻」の名称は、古くは「古事談」にもみえることより、この地が中世以来より「あの世への通路」として世に知られていたことがうかがえる。
このような伝説が生じたのは、六堂の辻あたりが鳥辺野(三大風葬の地のひとつ)に至る道筋にあたり、この地で「野辺の送り」をされたことより、ここがいわば「人の世の無常とはかなさを感じる場所」であったことと、小野篁が冥土通いのため、珍皇寺本堂の裏庭にある井戸をその入口に使っていたことによるものであろう。
現在、「六堂まいり」は、先祖の霊をお迎えする京の風物詩となっている。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/6domairi.pdf

一方、矢田寺は、家に戻ってきた先祖の霊をあの世にお送りする行事を行っており、それは珍皇寺の「六堂まいり」と一対のものとなっている。両者で違う点は、地蔵菩薩である。珍皇寺の地蔵菩薩が多くの石像であるのに対して、矢田寺の地蔵菩薩は、俗に「代受苦地蔵」と呼ばれ、燃えさかる火焔を前にして、まさに地獄の中に現われたかのごとく道具立てが見事である。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/yadajizou.pdf


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