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2017年3月13日 (月)

地蔵信仰(その10)

地蔵信仰(その10)

おわりに(その1)

第1章において、『 地蔵という名称は、「大地に万物を生み、諸宝を蔵す」という意味で、大地に豊穣をもたらす地の神であり、十一面観音と地蔵が一対に祀られるのは、天の神の依り代の神籬(ひもろぎ、神の依り代となる木)と、地の神の出現する磐座が、一対に祀られていたことに起因する。』と述べた。すなわち、十一面観音と対に祀られている地蔵菩薩が、泰澄の発想による日本最初の地蔵菩薩のタイプで、それは日本古来の繋ぎの神の伝統を引き継いでいる。

次に、第2章においては、『 私の記憶にあるお地蔵さんは、 奈良を中心に、十一面観音と対になって祀られている地蔵菩薩とはまったく違うが、京都の寺町三条の矢田寺に祀られている地蔵菩薩(代受苦地蔵)とは、どうも同じ範疇のものらしい。』と述べ、その起因について『 延命地蔵菩薩経というのがあるが、そこに「 若有重苦 我代受苦」とあって、地蔵菩薩は、「 衆生にもしも重苦があれば、 我が代わってその苦を受けん」と、お釈迦さんに誓っている。』と説明し、さらに『 代受苦地蔵 は、亡くなった子どもや親を地獄の苦しみから救って欲しいという切なる願いだけでなく、生きている人間にももし重苦があれば、それを救ってくれるのである。そういう点で、 私の記憶にあるお地蔵さんはすべて 代受苦地蔵であって、矢田寺の代受苦地蔵とは姿は違っていても、同じ範疇のものである。』と述べた。すなわち、矢田寺に祀られている地蔵菩薩および私の記憶にあるお地蔵さんは、ともに代受苦地蔵に起因する。その代受苦地蔵という考え方は、平安時代初期に、珍皇寺において小野篁が大きく関与して広まった思想である。珍皇寺のお地蔵さんもそういう地蔵である。

次に、第3章においては、『 人々は、あの優しげなお地蔵さんでも、疫病・災害などをもたらす悪神・悪霊が聚落に入るのを未然に防ぐことができると考えて、実際に、村はずれの峠、村境、道の分岐点、橋のたもとなどにあの優しげなお地蔵さんを祀った。』と述べ、さらに『 平安時代の末期ないし室町時代において、お地蔵さんは、第2章で述べた 代受苦地蔵 という本来の姿から、より積極的に人々の災いを未然に防ぐ姿へと、進化を遂げられたのであろう。村はずれの峠、村境、道の分岐点、橋のたもとなどに祀られている「笠地蔵」のようなお地蔵さんこそ、庶民誰もが親しみの持てるかつ頼りになるお地蔵さんである。』と述べた。

十一面観音と対に祀られている地蔵菩薩は、泰澄の発想により、国家権力を背景に広まったものであり、矢田寺に祀られている地蔵菩薩(代受苦地蔵)は、小野篁の発想により、民衆の信仰心を背景に広まったものである。それらに対し、村はずれの峠、村境、道の分岐点、橋のたもとなどにあの優しげなお地蔵さんは、誰の発想によるものでもなく、自然に民衆の信仰心が生み出したものである。そこに、地蔵菩薩の進化の過程がうかがわれる。民衆の信仰心の広がりというものは地蔵菩薩の性格をすっかり変え、現在では、十一面観音と対に祀られている地蔵菩薩であろうと、 矢田寺に祀られている地蔵菩薩(代受苦地蔵)および私の記憶にあるお地蔵さんであろと、それらを区別することなく、すべてお地蔵さんであり、「笠地蔵」のような庶民誰もが親しみの持てるかつ頼りになるお地蔵さんのイメージであろう。


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