« 台湾(その4) | トップページ | 台湾(その6) »

2017年3月28日 (火)

台湾(その5)

台湾(その5)

第1章 日台交流の歴史(大航海時代まで)

第2節 にゃんにゃん(その1)

にゃんにゃん(媽祖)は宋代に実在した官吏の娘、黙娘が神となったものであるとされている。黙娘は建隆元年(960年)、福建省興化府の官吏林愿の7女として生まれた。幼少の頃から才気煥発で信仰心も篤かったが、16歳の頃に神通力を得て村人の病を治すなどの奇跡を起こし「通賢霊女」と呼ばれ崇められた。しかし28歳の時に父が海難に遭い行方知れずとなる。これに悲嘆した黙娘は旅立ち、その後、峨嵋山の山頂で仙人に誘われ神となったという伝承が伝わっている。
なお、父を探しに船を出し遭難したという伝承もある。福建省にある媽祖島(現在の南竿島とされる)に黙娘の遺体が打ち上げられたという伝承が残り、列島の名前の由来ともなっている。その伝承が日本にも伝わったのであろうか、南さつま市にはにゃんにゃん(媽祖)の遺体が打ち上げられたとの伝承がある。
媽祖信仰の盛んな浙江省の舟山群島(舟山市)には普陀山・洛迦山があり渡海祈願の神としての観音菩薩との習合現象も見られる。もともとは天竺南方にあったとされる普陀落山と同一視された。
媽祖は千里眼(せんりがん)と順風耳(じゅんぷうじ)の二神を脇に付き従えている。この二神はもともと悪神であったが、媽祖によって調伏され改心し、以降媽祖の随神となった。
媽祖は当初、航海など海に携わる事柄に利益があるとされ、福建省、潮州など中国南部の沿岸地方で特に信仰を集めていたが、時代が下るにつれ、次第に万物に利益がある神と考えられるようになった。歴代の皇帝からも媽祖は信奉され、元世祖の代(1281年)には護國明著天妃に、清代康熙23年(1684年)には天后に封じられた。媽祖を祀った廟が「天妃宮」、「天后宮」などとも呼ばれるのはこれが由縁である。 媽祖信仰は、福建省・潮州の商人が活動した沿海部一帯に広まり、台湾をはじめとする多くの港町に媽祖廟が建てられた。台湾においては、この媽祖信仰は日本統治時代末期に台湾総督府の方針によって一時規制された。なお台北最大規模だった「天后宮」は1908年に台湾総督府により撤去され、かわりに博物館(現 国立台湾博物館)が建てられた。
日本統治の終了後は再び活発な信仰を呼び、新しい廟祠も数多く建立されるようになった。なお毎年旧暦の3月23日は媽祖の誕生日とされ、台湾全土の媽祖廟で盛大な祭りが開催されている。
こうして広まった媽祖信仰であるが、中華人民共和国政府は「迷信的・非科学的な活動の温床」ととらえ、厳しく規制した。特に文化大革命期にはほぼすべての廟祠が破壊され、信者も迫害されたが、改革開放の進展とともにこうした規制は次第に曖昧になり、80年代終わり頃から廟祠の復興が黙認されるようになった。

« 台湾(その4) | トップページ | 台湾(その6) »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1117507/70073359

この記事へのトラックバック一覧です: 台湾(その5):

« 台湾(その4) | トップページ | 台湾(その6) »