« 日米中三国同盟の可能性 | トップページ | 地蔵信仰(その7) »

2017年3月 6日 (月)

地蔵信仰(その6)

地蔵信仰(その6)

第2章 矢田寺に祀られている地蔵菩薩(その2)

小野篁(たかむら)が、あるとき、閻魔大王の要請を受けて、奈良は郡山(こおりやま)の矢田寺の住職で有徳の誉れも高い満米(まんまい)上人を地獄に招待、八寒八暑の地獄を案内した。そのとき火焔の中で亡者(もうじゃ)を助けようと一心に働いている僧(http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/hp8-87.jpg)を見つけた。いぶかしむ満米上人に向かってその僧は、「私は地蔵菩薩である。娑婆(しゃば)に戻ったら私の姿を造れ。生きている人を済度してやろう」と告げたという。地獄から帰った満米上人は小野篁の協力を得て、承輪12年(845)に郡山の矢田寺に模した別院を五条坊門のあたりに建立し、地獄で出会った地蔵菩薩を写したお地蔵さんを本尊にした。その後、応仁の乱などで伽藍は焼失して転々としたが、戦国時代の天正七年(1579)に現在地に復興された。

矢田寺本堂のひさしにつるされた鐘(http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/yada4.jpg)は、珍皇寺の「迎え鐘」に対して「送り鐘」と呼ばれ、死者の霊を冥土に送り返すときについたという。今では日々の苦が鐘をつくごとに消えていくといわれている。是非是非鐘をついてください。この鐘をつき、高野槙(http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/yada3.jpg)を納め、絵札(http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/jigokuya.jpg)を買ってくる・・・、これがお盆の習わしである。
お盆には・・・・珍皇寺の「迎え鐘」の響きに乗って死者の霊が帰ってくる。この世に・・・。そして、御盆のひとときを私たちとともに過ごしたのち、矢田寺の「送り鐘」の響きに乗って帰っていく。
矢田寺の地蔵菩薩は、地獄とこの世を自由に往来されて、私たちの切ない祈りを聞いて、亡くなった子どもや親を地獄の苦しみから救ってくれる、そういう地蔵菩薩である。

ところで、「はじめに」述べたように、私の記憶にあるお地蔵さんは、 奈良を中心に、十一面観音と対になって祀られている地蔵菩薩とはまったく違うが、京都の寺町三条の矢田寺に祀られている地蔵菩薩(代受苦地蔵)とは、どうも同じ範疇のものらしい。
延命地蔵菩薩経というのがあるが、そこに「 若有重苦 我代受苦」とあって、地蔵菩薩は、「 衆生にもしも重苦があれば、 我が代わってその苦を受けん」と、お釈迦さんに誓っている。すなわち、 代受苦地蔵 は、亡くなった子どもや親を地獄の苦しみから救って欲しいという切なる願いだけでなく、生きている人間にももし重苦があれば、それを救ってくれるのである。そういう点で、 私の記憶にあるお地蔵さんはすべて 代受苦地蔵であって、矢田寺の代受苦地蔵とは姿は違っていても、同じ範疇のものである。

« 日米中三国同盟の可能性 | トップページ | 地蔵信仰(その7) »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1117507/69827009

この記事へのトラックバック一覧です: 地蔵信仰(その6):

« 日米中三国同盟の可能性 | トップページ | 地蔵信仰(その7) »