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2017年2月23日 (木)

地蔵信仰(その2)

地蔵信仰(その2)

第1章 地蔵菩薩信仰の始まり(その1)


滋賀県立近代美術館では平成22年10月19日(火)から11月21日(日)まで企画展「生誕100年特別展『白洲正子 神と仏、自然への祈り』」を開催した。
http://www.shiga-kinbi.jp/?p=9338

その白洲正子生誕100年特別展については、岐阜県安八郡神戸町が素晴らしいホームページを作っていて、「白山比咩(ひめ)の幻像」については、そのホームページに詳しい。

http://www.goudomatsuri.com/arekore/shirasu-masako/kami-to-hotoke.htm


つまり、そこには、 白洲正子「十一面観音巡礼」という本 の中の「白山比咩の幻像」というところに書かれている文章の全文が掲載されていて、白洲正子の名文をネットで楽しむことができる。しかし、それはコピーできない仕掛けになっているので、私は、白洲正子「十一面観音巡礼」(2010年2月、講談社)より肝心な部分を抜き書きして、皆さんに白洲正子の感性と見識の素晴らしさを紹介しておきたいと思う。

白洲正子「十一面観音巡礼」(2010年2月、講談社)より抜き書きした肝心の部分とは以下のものである。

木地師とは言わないまでも、何か神社を回って歩く旅の彫刻師に、御神体の面や神像を専門とする、特殊な集団がいたのではあるまいか。たとえば、「飛騨のたくみ」と呼ばれたような、流浪の工人たちである。
前に能面を見て歩いていた頃、公けに知られている彫刻とは別に、山岳信仰と結びついて、そういう流れがあることに私は気づいていた。それは民衆の生活に深く浸透しているに関わらず、案外人に知られていない。が、そこにはほんとうに日本の土から生まれたものがあり、私たちの祖先の血がかよっているように感じた。この(日吉神社の)十一面観音を見て、私はその想いをあらたにする。これは都の仏師が造ったものではなく、山から山へ、里から里へ放浪した、無名のたくみが彫ったものに違いない。重文などに指定されたのが、むしろ不思議なくらいに思われる。


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