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2017年2月23日 (木)

地蔵信仰(その3)

地蔵信仰(その3)

第1章 地蔵菩薩信仰の始まり(その2)

白山は越前、加賀、美濃の三国にまたがる霊山で、養老年間に、泰澄大師によって開かれた。泰澄は白鳳11年(683)6月、越前麻生津に誕生したが、夏であるのに、その日は白雪が積もったという。幼い頃から「神異の童」と呼ばれ不思議な霊力を持つ少年であったが、14歳の時、越智(おち)山にこもって、十一面観音を念じ、自ら髪を剃って比丘となった。麻生津も、越智山も、福井県の西側にあり、そこからは白山の全景がくまなく見渡される。彼は白雪にかがやく高峯を望んで、そこには必ず神霊がこもっているいるに違いないと信じ、いつの日か登りたいを願っていた。ある夜の夢に、美しい天女があらわれ、「早く来るべし」とのお告げをうけ、養老元年4月、九頭竜川をさかのぼり、大野郡から平泉寺を経て、白山の頂上に至った。頂上には、深い緑をたたえた池があり、そのかたわらで祈っていると、九頭龍神が池の面に出現した。泰澄は、これは方便のすがたで、まことの神ではないと見破り、更に念じていると、全身に光を放って、妙相端厳たる十一面観音が現れた。泰澄はその前にひれ伏して、衆生の為に慈悲をたれ給えと祈ったが、三拝もせぬ内に、観音の姿は消え失せたという。

泰澄の前に出現したその十一面観音とは、泰澄の頭の中に刻み込まれたであろうが、私たちはそのお姿を想像しようもないが、白洲正子はその鋭い直感で想像しておられる。それは、上に紹介した神戸町のホームページに掲載されている「白山比咩(ひめ)の幻像」として紹介されているものである。それは、神戸町の「日吉神社」の木造十一面観音像である。

http://hiyoshi-jinjya.jp/about/important_kannon.html

その後、泰澄は三年の間山にこもり、修行をつんで「越の大徳」と呼ばれ、元正天皇が病になられた時は、祈祷のために平常宮に招かれた。 そして、養老3年(719)からは越前国を離れ、奈良は言うに及ばず各地にて仏教の布教活動を行う。聖武天皇が大仏造立の詔を発する以前のことである。その泰澄の布教活動によって地蔵菩薩が作られていった。泰澄は地蔵菩薩の生みの親である。したがって、地蔵菩薩の謂れを知るには泰澄の始めた「白山信仰」を知らねばなrない。



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